「かっこつけ」と言われるのが一番悔しいです。
実家に帰省し、自分の就活の時の自己分析ノートを見ていると「人に褒められたい・よく思われたい」というのが自分の全ての行動の原点にあると書いてありました。この会社に入ってから「濱田はかっこつけすぎ」「良く思われようとしすぎ」と度々言われる為、あながち間違ってはいない気がします。最近ずっと、もやもやしていたことが、今までの人生「人に良く思われたい・褒められたい」という感情が「自分の成長の邪魔」になった覚えがなく、むしろ褒められたいということを原動力に努力をしていた為「それの何がいけないのか」なんとなくピンときていませんでした。
では今は、どうしてこの感情がネガティブに働いてしまっているのか自分なりに考えました。自分の中の答えは2つです。
1つ目は「良く思われたい・褒められたい」という感情が「社内にしか向いていないから」だと思いました。もともと、人が好きなのですぐに懐く性格ですが、内定者の頃からお客さんと話す機会も少なく「この人の為に頑張りたい」と思うのはいつも「営業や上司」を対象にしたものだけでした。すると「クライアントの成果」にコミットする先輩や上司からすれば「先輩や上司に褒められること」にコミットとしていた自分はとても目線が低く、泥臭く頑張れない印象しかなかったのだと思います(もちろん、まだまだ頑張りは足りません)
もう一つの理由は、「自分が良く思われたい・褒められたい」という感情はあまりにも「自己中心的な考え」だからではないかと思いました。
「FOR ME」でしか発言・行動できない人間に周りは感化もされなければ、そんな人間が下から突き上げることはありません。大学までは「FOR ME」であっても気ごごろ知れた友人同士なので、みんな助けてくれたりもしました。でも、社会人はそうではなく、常に「組織目線」「会社目線」で物事を考え行動する努力をしていかなければ、周囲を巻き込むこともできなければ組織を底上げしていくこともできないのだと考えました。
こんな感じで、自分の悔しさから少しだけ掘り下げてみて自分のいるレベルの低さを考えた週末でした。笑
持論として「男はかっこつけられなくなったら終わりだ」と思っておりましたが、この言葉は今回の「かっこつけ」とは大きく意味が違いました笑
「クライアントの成果に向きあえば向き合うほど、社内に対して不満を覚える」
自分がしっかりこれを体現していきます。
今回、反省したことを意識して精進して頑張ります。
これからも、引き続き「濱田 弘樹」を宜しくお願い致します。