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鹿島神宮が舞台の古代神話ミステリー




鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の東国三社が舞台の古代神話ミステリー。“常陸”ヒタチの由来から伊勢・鹿島・香取しかない“神宮”の謎、実在する茨城県の神社や地名の由来まで明かされる。
河津氏の紹介で一気読み。鹿サポや御朱印・パワースポット巡り好きな方は読んで見たらいかが?

山本脩斗選手引退に想う

鹿島アントラーズにとって永遠のライバルはジュビロ磐田。秋田豊引退試合で秋田が磐田との対戦を希望、オールジュビロのメンバーが懐かしい。

2010年前田遼一選手J通算100ゴールがかかったホームで開始4分99ゴール目を決められ、磐田にホーム8年ぶりの敗戦。左SBには山本脩斗選手がいた。


脩斗は早稲田からジュビロに入団した年、原発性左鎖骨下静脈血栓症で長い間苦労した。

思うようなプレーができず、ヤマスタではスタンドから「いいのは顔だけか❗😠」と心ないヤジが飛んだらしい。


新井場の抜けた左SBがなかなか埋まらない時に脩斗が鹿島に移籍してくれピースが埋まった。カシスタでの磐田戦、スタメン脩斗のアナウンスにアウェイゴール裏から拍手が起こった。脩斗がどれだけジュビロサポーターに愛されていたかがわかった。


鹿島移籍後の脩斗の活躍はご存知のとおり。16年クラブW杯決勝レアルマドリッド戦、

18年ACL決勝は脩斗にとっても一生の宝物だろう。

山本選手、鹿島に来てくれてありがとう❤️

いっぱい、いっぱい、ありがとう😭

お疲れ様でした🥹


ポポヴィッチ新監督

任期途中の監督 引き抜かれたのに満面の笑みの会長と監督。やらかした感ありあり。

 

”映画と私”

今日12月1日は映画の日。

VHSやβもない時代、”ぴあ“片手に名画座をハシゴした。

東京ヴェルディの思い出

昔、魂売った(食肉のもつ煮に心奪われてメイン指定席で見る)F東サポが住金ゲートで開場待ちしている間ヴェルディの悪口を大声で話していて、いい気持ちがしなかった。ジュビロ磐田との対戦は「日本クラシコ」と言われたほどバチバチやり合ったが、その前のライバルはヴェルディだった。(こっちは93年から彼らを知っているんだ)

ラモス瑠偉さんの奥様のお葬式に参列したことは以前ブログに書いた。

 



恩讐の彼方、ブログで知り合ったヴェルディサポの方をメインソシオ席に招待したきっかけになった試合がある。

08年8月青春18きっぷで行った東京ヴェルディ1969戦。試合後佐原駅で成田線が集中豪雨で終電まで運転見合せ。0時過ぎて駅からアナウンスがあり、乗客全員JRの費用負担でタクシーで最寄り駅まで送ってくれることになった。

ヴェルディサポは川崎在住が多いので私ら夫婦は呉越同舟、相乗りで横浜まで。成田から配車された運転手さん、『横浜まで客乗せるの初めてだぁ❗』ゴキゲンで東関道をぶっ飛ばす。『レインボーブリッジ通ったことある?』いいえ、ないですと言ったらレインボーブリッジ経由で川崎線の矢向駅で一人降ろし、子安駅で一人降ろし。

最後桜木町駅で私ら夫婦が下車した時のメーターがこれだ(笑)


ヴェルディサポーターのブログ主でこの日同じくタクシーで帰った方とやり取りするようになった。その方はその後日本代表のことを書くことが多くなり疎遠になってしまったが、来季J1に昇格して16年ぶりに再会できることを期待しています。

モトフェス(前編)@カシマ23.11.19.

今日は本山雅志引退記念試合。

ジーコ、レオナルド、ビスマルクがつけたアントラーズの10番を日本人選手として初めて継承し18年在籍した本山雅志選手は15年に退団。03-06柳沢、06-07小笠原、05-08中田と海外挑戦していた時も本山選手は鹿島に居続けてくれた。08年病気を隠して身を削って2連覇に貢献してくれたことは忘れない。
3連覇成し遂げたオリベイラ監督に「クリスタルのような息子」と言わしめた本山選手。
手術後完全回復するまで3年を要した。サポーターの心に刻まれたファンタスティックなゴールは数多い。
復帰した12年は70分からの出場が多かったがホームG大阪戦、札幌戦、名古屋戦のゴールも忘れない。
本山ユニを広げて楽しかった思い出を偲ぶ。
08年09年ユニ。初のボーダーデザインで女性には不評だったが3連覇時代の最強イメージが強い。



10年ユニ。この年からナイキは毎年ユニ更新するように。ソシオエンブレムが不評で1年で取りやめに(笑) 


11年ユニ。トステム様がグループ化してリクシルLIXIL様に。


12年ユニ。リクシル様がチームカラーに合わせてくださったことに感動❗アントラーズのレジェンド、ジョルジーニョ監督初采配は苦戦したが大迫勇也の覚醒はジョルジの功績。ナビスコ杯優勝に感謝。

21年ユニ。本山選手は15年退団したのに?
相方がSOCIOの特権でオリジナルネームでユニ作った唯一無二のユニ(笑)



相方が今日はカシスタ行けないので、
このユニ着て荒野バスで向かいます。

J1第32節;柏戦@カシマ23.11.11.(参戦レポート)

この1年を象徴するような、何の上積みも感じられないお寒い試合だった😢

降格争いしている柏のプレスにパスカットされてはピンチの連続😓GK早川ワンマンショーで前半終了。

後半キレたピトゥカ(動くな、は監督指示だった?)が前に顔を出し始め、佐野海舟が右SBに回ってから機能し始める。ピトゥカ、パスカットされて真大マオにやられる😢終了間際犬飼のハンドをVARが見落とさずピトゥカPK決めてかろうじてドロー😩

DF関川の負傷交代(膝やっちゃったかも😟)やらFW垣田がクロスに頭合わせられず無念の交替やら😢

15年アウェイ清水戦で清水GKが飛び出し、がら空きのゴールを守ったDF犬飼のハンドが「あれは前脚だからハンドではない🤣」と見逃された事があった。


今や柏の主力DFで活躍する元鹿犬飼選手のハンドは「🐶の恩返し」だったかも(笑)



寒くて寒くて、食肉(食肉事業協同組合)のもつ煮が美味しかった記憶しかない。


07年シーズン前スタジアム売店抽選会で食肉はクジ運悪く2階席、4階コンコースのしかも一番端。食肉のもつ煮ファンは店の場所がわからず右往左往。ソシオメイン席から選手の集合写真撮っていた私は4階端っこまでもつ煮食べに来るサポーターに自分の写真を焼き増ししてプレゼントするサービスを勝手に始めた。食肉Sさんが恩義に感じてシーズン終わりの頃連れて行ってくれた店が『伝次』。大将はSさんと同じ高校の1年後輩。店の常連も同校生や1年先輩後輩ばかり。

(大将は常連からガッツと呼ばれる)

⚽一度も見たことない、🀄や⛳の話ばっかりで鹿サポが寄り付かない店。常連客『横浜から来てるんだって?』ガッツ『Sが連れてきたんだ』常連さんのカウンターに毎回座らせてもらって、もう16年になる。



久しぶりに試合後鹿嶋に泊まり『伝次』に伺う。



黙っていても刺し身盛り合わせと日本酒を出してくれる。ガッツさんが刺し身の説明する時は今日一番食べてほしい一品。

『そのボタンエビ、銚子で揚がったレア物で◯◯円したけど◯尾しかなかったから全部買った』『マグロは奥が本マグロ、手前はインドマグロ』
サンマとフグ一夜干し。スーパーのサンマは焼いてもアニサキス怖いからハラワタまでは食べないがこの店の魚なら安心して食べられる。
鹿嶋まつり第1回B級グルメ選手権で優勝した『居酒屋のオヤジが作ったモツ煮』。
優勝後、一見の客がモツ煮ばかり注文するので第2回から参加していない。『アド街ック天国』で取材依頼あった時も「常連さんに迷惑かかるから」と断わったガッツさん。

『税理士は原価率30%以内に抑えろとウルサイがそんなのくそくらえだ。自分等3人(ガッツ夫妻と焼き方)が食って行けてお客が喜んてくれるなら、それでいい』焼き方が揚げたエビフライが身がギッシリ、皮は薄くてプリップリでした❤


うなぎと鰻屋の話

鰻は好きでよく食べるが、以前から東京ではどれだけ“ふっくら”、“柔らかい”かで“美味しい”と評価されることに疑問を感じていた。
昨年「静岡鰻」というブランド鰻を知った(静岡漁協が認定する鰻。“浜名湖うなぎ”は浜名湖で育った鰻全体を指し、ブランド鰻とは違う)。
つゆだく、山椒たっぷり掛けて食べていたが静岡鰻は味が澄んでいて山椒かけずに一気食い。目からウロコだった。


この店は鰻丼では吸い物、鰻重でないと“肝吸い”が付かない。鰻1匹から肝2つしか取れないから。肝だけ鰻屋に卸す業者が存在するが「出処わからない鰻の肝はウチは使いません」と女将。
日本酒の世界では杜氏集団が存在し、杜氏と蔵人のチームが酒蔵から酒造りを請け負う。鰻屋の世界でも明治元年以来、数々の名店に料理人を送り出してきた鰻職人の総本山「野田屋東庖会」がある。
その家元が自ら焼き場に立ち、野田屋流の真髄を伝える直営店が入谷鬼子母神前「のだや」(野田岩は別の店)。
「のだや」で扱うブランド鰻が大井川“共水キョウスイうなぎ”だ。
 




天然地下水(通常は普通に川の水)
白身系魚餌(通常は安いヒカリ物系の餌)
で2年程飼育され(通常は半年の短期)
鰻職人の間では「幻の鰻」と呼ばれる。
飼育量少ないので卸先は厳選され全国で
約40店舗でしか食べられない。


その内1店舗が横浜市内にあることを知り、食べに行った。日本料理「円山」。
暖簾前のイーゼルに説明書がある。




室町時代から三河地方に本家がある「大草覚新オオクサカクシン流庖刀式」免許皆伝の店主。


※マンガ『料理人味平』で味平が上野不忍池の包丁塚で料理対決したのを思い出す(笑)
食後いろんな話をしてくれた。
① 日本料理店として始めたが20年前から鰻専門に。全国の鰻食べ歩いた。共水さんを訪問した時「足音は鰻にストレス与えるから泥棒みたいに抜き足差し足で歩け」と注意された。不注意な言動したらすぐ取引切られる(HPで成田山新勝寺参道の老舗「駿河屋」に卸さなくなったことがわかる。因みに同じく成田の老舗「菊屋」は正月三が日に3000食❗成田の鰻屋恐るべし)。
ついこの前、ご家族で食べに来た(ちゃんと美味しく提供しているか抜き打ちチェックに来るらしい)。


② 名古屋は商売上手。焼いてまぶすから鰻の質が目立たない。
③ 卸値(単位聞き逃した)3000円なら鰻重3000円が基本。「最近横浜で“うなぎの成瀬”増えてますが?」「ありゃボロ儲けだね。卸値半分位だろ。ウチだってやりたいよ(笑)」

関内で有名な鰻屋といったら「八十八ヤソハチ」や文明開化以来馬車道で営業する「わかな」だが、伊藤博文別邸があった金沢八景〜金沢文庫間の旧16号線は鰻街道と呼ばれ「ふくしま」「隅田川」や伊藤博文御用達の「鰻松」もある。
まずは入谷鬼子母神前の「のだや」から
鰻屋巡りしてみようかな。

Jリーグ秋春制移行の問題点

Jリーグが早ければ3年後を目処に秋春制ならぬ夏夏制(今年は5月から10月初週まで真夏日だった)移行に舵を切った。
①開幕は8月初週から。
②厳冬期中断は12月3-4週〜2月1-2週
③閉幕は5月末週〜6月初週。
08年、当時の犬飼会長が秋春制移行を突然ぶち上げ、新潟サポーター有志が冬開催反対署名運動を呼びかけ、私も参加した。
アントラーズ連覇のかかった08年12月6日アウェイ札幌戦最終節。ドーム前で開場待ちするも、路面がぬかるみ座ることもできず雪降るなか立ちっぱなしの辛さを思い出す。文京区のホテルで記者会見後、新潟サポ有志が54000人分の署名綴りをJFAハウスに持ち込み会長代理の田嶋専務理事(現JFA会長)に手渡した。
雪国チームに不公平を強いる問題点は当時散々議論され尽くされたので省略するが、
最近カターレ富山の左伴社長(マリノス社長→ベルマーレ専務→エスパルス社長を歴任)が北國新聞のインタビューで不公平感は解消される目処がたち、リーグ全体を考えるとメリットが大きいと発言している(ご自身のnoteでトーンに変化が見られるが)。
オフ期間2回に増えるのでキャンプ費用が約1400万円増すがJリーグが補填するらしい。
開幕からすぐナイターになるので選手の負担は軽減されるが猛暑日の午後に開場待ちするサポーターの体調リスクはクラブの管理責任(自己責任)に変わりなし。
問題は陸上競技場をホームとするクラブ。
夏夏制にすると試合日程は5月まで決まらず、競技場の使用予約がとれない。他の陸上大会に先を越されると週末開催ができず平日開催になる。平日開催だと観客動員が間違いなく減りクラブの収入が減益する。これば雪国チームに限らず下部カテゴリー含むリーグ全体の問題だ。日本サッカー協会もJFAハウスを売却せざるを得ないほどカツカツなので各クラブのサッカー専用スタジアム建設に補助金出せる余裕もない。田嶋会長はFIFA理事に立候補する手土産になるかもしれないが、
Jリーグ百年構想瓦解の危機にどう対処するのか、元コンサドーレ札幌社長の野々村チェアマンの手腕に期待するしかないが不安一杯である。

”XEROX前座試合~柴崎岳くんデビュー!10.02.27.@国立(参戦レポ)”

お帰りなさい❗

13年前に書いたブログを改めて読み直す。

赤﨑もいたんだね(゚д゚)!