今夜聴くのは  シークレット・ガーデン Serenede  to  Spring

 

 

モッコウバラのために

ガーデンパパが作ってくれたパイプのアーチです。

が、ここもジャスミンが最後の踏ん張りで咲いています。

 

 

築41年目にして出窓に取り付けたアイアンの柵は・・・

南側に家が建つ計画を聞き「もしも台風で何かが飛んで来ても大丈夫なように」

という私の心配性から決めたことでした。

 

 

ちなみに

春瑠シークレットガーデン」とは「秘密の花園」と言う意味ではありません。

私に起こる不思議なことは・・・この庭にいる妖精たちが起こしている

 

という意味なんです。 そういう意味も不思議ですかね?

 

ちなみに今回、陽性になっちゃいましたが。ニコニコようせい違いね。

 

 

 

 

 

ノグチ・ミエコ ガラスオブジェ   「時空」  と  「

 

 

今日は・・・つの進展と言うか、大きめの決断がありました。

 

勝手口のほうに、金木犀の木があります。

昨年に続き、今年も鳩が木に潜ってゴソゴソしているのを見つけました。

もしやもしや、、、今年も懲りずに

ここで雌に抱卵させようという雄が偵察に来ているのでしょうか。

 

 

しかし! それだけは私の全細胞が許せません。

 

十年ほど前、孵ったばかりのヒナが(親鳩も)

イタチか猫かカラスか蛇かに襲われ

その痛い遺体をテラスで見つけた時・・・私の全細胞は総逆立ち気絶寸前でした。

 

あのトラウマがまだ癒えていません。

頼むからここで産まんといて、、と出産費用渡しても出て行ってもらいたい。

 

 

そして・・・この木の枝の剪定・伐採を

連絡してこないガーデンパパを、もう待ってられません。

やる気のない人は、木より先に切る。 

違う業者に頼みました。

 

 

そんなことが決まった日に、もう一つ

このブログのトップの(ヘッダー)デザインも、決めました。

 

 

 

 

 

2009年10月にブログを始めてから一貫していること。

 

その日に思ったコトを真っすぐに書こう

素敵なヒトや、好きなモノを読んでくださる方々に紹介しよう

その楽しいトキを共有していこう・・・ ということです。

 

 

 

そのヘッダーに

友人・里井純子さんの描いたクリリンが蝶々に囲まれている絵を載せました。

 

ところが先日5月1日、日付が変わった時

クリリンは消えて、代わりに見たこともない犬が寝そべっていました。

 

 

なんじゃこりゃ~ です。

アンタだれ?そこどいて! です。

クリリンはどこへ行った? です。

 

 

 

 

 

 

そして5日目の今日、クリリンの命日にしたかったけど

(意識したわけではなかったがオットの誕生日でした)

 

新緑の葉が窓辺にかかっているような図に替えました。

 

 

体調が戻って音楽が聴きたくなると、、今日はこの曲しかありません。

春瑠シークレットガーデンのテーマ曲です。(と勝手に決めてごめんなさい

 

 

 

 

 

 

ノグチミエコ 「時空

 

 

さて。何故か今日、こんな事を考えていました。 

 

元町まで電車通学していた高校時代

時々、電車が一緒になる

超美人で一学年違いの下級生とこんな話をしたことを思い出したのでした。

 

 

「どんな職業の男性がイイか」 (だと)

彼女は言いはなったのです「医者は嫌。気持ち悪い」と。

 

私の方が免疫できてなかったか、冷静だったか

心の中でこう思ったのです(そお?女の人の裸を見ただんな様は嫌なのね)

 

その後何年かたって、彼女は

大きな事業を営む家の御曹司と結婚しました。

 

 

私はこんな考えでした。

医学の膨大な知識と技術で命を助ける医者は素晴らしい、と私は思い

だけど「弁護士は嫌だ」と思っていました。

 

 

 

 

ノグチミエコ  「

 

 

今、NHK「虎に翼」を観ながらも、その思いは少なからずあります。

不思議ですね。十代の頃の偏見がいまだあるなんて。

 

 

私は医師と言うのは「愛」が無いと、その職業を全うできないと思う。

しかし、弁護士は「愛」が無くても

悪をも・・・ 法学の膨大な知識と弁護という技術で「善」にしようとする、と。

 

 

だけど「裁判官」は・・・正義じゃないだろうか。

悪と善に境界線を引ける職業だと。

 

とまあ、そんなことを考えたコロナ5日目の私でした。

 

 

 

 

 

 

 

フジコさんが亡くなられて、テレビでは過去の番組の特集をしていました。

 

私はこの人の「ラ・カンパネラ」を初めて聞いた時、

涙が自然に出て来てしまったことを忘れられない。

 

 

そのあと、どんな有名なピアニストが弾いても感動しない。

完璧そうに弾くほどに心は冷めるのでした。

 

 

 

 

 

 

フジコさんの弾くどの音も、一音一音ぜんぶフジコで

指の先から哀しみと苦しみと、屈しない強さがにじみ出て・・・ 音になった。

 

下手か上手かはどーでもいい。

ただ感動してしまうのでした。

 

 

 

でも数年前の番組で聴いた時

老齢による技術は、かつての想いに届かないと静かに分かりました。

 

神さまが「フジコ、もう頑張らなくてもいいよ」と言っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

雨の中で 春がゆっくりと終わっていく。

 

 

 

 

感謝