「幸福とは最後の目的地ではなく、旅のしかたのことなのである 」
マーガレット・リー・ランベック

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三線という沖縄の楽器がある。ご存知と思うが、さんしん、と読む。

僕の母は沖縄生まれ沖縄育ちであったが、慣れぬ東京での男四人兄弟の子育てが一段落したタイミングで、たまたま出会ったプロの沖縄民謡歌手に三線を習い始めた。

母は高校卒業と同時に漫画家になるために上京したが、19歳で僕を身籠り、それから30年近く子供を育て続けたのであった。

彼女が三線を始めた時、僕はバンド活動をしており、ギターを弾いていた。母は僕にも一緒に三線をやらないか、と誘ってきた。始めての音楽レッスンで緊張するので、音楽経験者が一緒だと心強いと言う。
僕は三線の習得がギターの足しになるだろうと思い、一緒にレッスンを受けることにしたのだった。


その先生は古我地(こがち)さんといい、沖縄の美ら海水族館の近くの本部という村の出で、沖縄とアメリカのハーフだったせいか、40代半ばでも堀の深い美しい顔立ちの人であった。

彼は若い頃モデルをやっていたと言う。
モデル業を極めようとするうち、本当の男らしい格好良さは肉体労働の中にある、と言う哲学を持つに至り、つい最近まで工事現場で働いていたが、体を壊し、アーティストになった、という異色の経歴の持ち主であった。

その頃彼はデビューCDをインディーズレーベルから発売したところで、僕はその音楽を聴いて、三線を、沖縄音楽をちゃんとやろうと思った。それくらい、良い音色と美しい音楽が収められたCDであった。

古我地さんは月に2回くらいしか演奏活動をしなかったので、僕と母は極力ライブの場に顔を出すようにし、彼の技を盗もうとした。

彼が喜納昌吉の「花」を歌うと、誰もが自然と涙した。
彼の「花」と「てぃんさぐの花」という沖縄の童歌は、何度聴いても心に沁みた。

彼は、僕が始めて出会った、紛れもない「本物の男」であった。


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