そういや今年は嘘吐くの忘れたな。


1978年式汎用人型嘘吐機(Humanoid type Automatic Liar - model 1978)はそろそろ白髪混じりのポンコツの部類に分類されるようになってきたわけだ。




今日は歯医者だがそれはあと。本当は昨日書いて本当か嘘か判断を惑わせたかったネタを書く。




洗脳手術の5回目は先月1?日に行ってきたが、そのことは書き損ねていた。まぁそれはもう日付も思い出せない程度のことだから大したことじゃない。


重要なのはその時、3/31に若者サポートステーションのある広坂庁舎に併設されているジョブカフェ石川で冊子の配送の仕分け作業があるのでお手伝いしてくださいと云われたことだ。




というわけで3/31行ってきましたよ。


俺と同じくサポステに通う若者2人YさんKさんが待っておりました。・・・はい俺遅刻しました30秒。


担当者はその後で入ってきたから云わなきゃ気付かれないが、30秒の遅刻は電波時計してるから自身で気付いてしまう。だから遅れてすみませんと云ってしまう。




挨拶が苦手そうなお二方に簡単なフォーマットを提示すべく、


「おはようございます、(本名)と申します。よろしくお願いします。」


とシンプルのきわみな挨拶をして頭をさげるも、反応が薄い・・・


サポステの仕事も大変なんだなぁ(そんな他人事みたいに・・・自身が当事者のくせに)


心構え等について少し話があった。仕事について大事なことってなんだと思いますか?という質問。


2人が黙っているので、俺は「頼まれた物を頼まれた形のまま上げること」と答えた。手順の省力化の工夫はともかく、出すものは要求通りであるべきだと言ってみた。


昔それができなかった俺がそれを云うかと内心自嘲しながら。


二人は黙ったままだったが、担当者は「できないことはできませんと云うこと」を挙げていた。黙ってはいはい引き受けて、後になってできませんというのが一番困る。できないならできないでできる仕事を回すのは管理者の仕事で責任だから、できないことをできないと云うのも大事なことなんだと云っていた。


俺は昔それができてなかったな。




サポステの担当者に連れられてジョブカフェ石川の一角へ。


送り状と封筒の宛名シール、そして送り先リストをセットにした物が配布された。


リストに従って規定部数の冊子と送り状を封筒に入れ、宛名シールを貼って封をするのが今回の俺たちの仕事らしい。


20部以下は小封筒、送り状は三つ折りにする。


21部以上は大封筒、送り状はそのまま。冊子は2束に分けて輪ゴムで留める。


サポステの担当者を含めた4人で作業を始めた。




送り状を三つ折りにしてまとめる。


数を数えて冊子を取り、互い違いに置いていく。


封筒を取って冊子と送り状を入れていく。


宛名シールを貼っていく。


封筒に封をしてまとめる。




最初のセットが終わったところでふと周りを見る。


二人は封筒を一つ取るたび送り状を三つ折りにして、その都度冊子を取り、宛名シールを貼って封をしていた。つまり、遅い。


いちいち脳が作業の切り替えに対応していると、行動は遅くなる。単純作業の繰り返し作業の場合、分解できる手順はなるべく単純化した方が、トータルでの効率はよくなると思う。


しかし今それを指摘すると彼らが真面目にやってるだけになおのこと角が立つ。担当者も口出しをしないようなので、まずは自分がこなせる分を終わらせることを考える。




1時間後、およそ10分の休憩を挟む。


トイレに行って、自販機でコーヒーでも買おうとして、小銭も千円札も持っていないことに気付く。歯医者のために数回分と渡された五千円札は自販機では識別できないのだった。




作業再開。周りを見ることもやめて自分のエリアだけに集中する。


やがてセットはなくなり、隣のKさんの残りの仕事を手伝う。


リストの後ろ側を見て冊子を30と50に取り分け、大封筒に入れて宛名シールを貼り、封をする。


小封筒はKさんの宛名シール貼りが終わったところからこちらで順次封をしていく。




そんなこんなでおよそ3時間弱で作業は終了。封筒総数をカウントし、相違ないことを確認して終了。お疲れ様でした。


仕事の感想を述べ合ってみたりする。


俺は作業の下準備として予め宛名シールと送り状がきちんと過不足なくまとめられていたことに感心した。


担当者が云うには、今日どうしても出られなかった前任担当者が、後の人(つまり、俺たち)がすぐわかる手引書を用意してきちんと仕上げてもらえるようにと腐心していったのだという。




終礼の後、俺のカウンセリングをはじめる。


担当者は俺の手際のよさとかを持ち上げて、なんで俺が就職できないのかわからないと云った。


俺だってわからない。


それに対する一番簡単な答えは、仕事したくない、責任を負いたくないからだ。たぶん違うが、大きくは違わないはずだ。


責任を果たせない(かもしれない)なら、責任を負っちゃいけない。


頼まれてそれを引き受けた時点で、リスクをも提供する。そのようなことをすべきではない。


きっとそんなこと考えてる。




アクトで退職勧告されたとき、雰囲気がキッチュに似た名前も忘れた上司から「今の会社にはお前を育てる余裕も成長を待つ余裕もなかった」ようなことを云われて辞めた。


それゆえ、完璧にこなせる(であろう)簡単なイメージがある作業しか受けたくないというのが、心の中にある気がする。




加えて、俺は時間に対しての意識が、社会適合度という観点からは致命的にルーズだ。


この日も遅刻した。たとえ30秒でも、云わなきゃ気付かなくても、自身が遅れてしまったという罪の意識を持っていたらそれは遅刻なのだ。


普段も眠くなったら寝て、目が覚めたときが起きたときって生活をしてる。


時間を守るのは金曜土曜の22時、鉄騎大戦の面子が海市島に集まるときくらいだが、こないだはそれにも遅れて1本目のバトロイ10人戦を1回逃した。




この日の朝もやらかした。


弟の引越の手伝いを兼ねて東京へ行っていた母が、この日の朝高速バスでいったん帰ってくる予定だった。


朝0710にバスが着くから、駅まで迎えに来てくれと云われていた。


目が覚めたのは、0810。慌てて電話を入れた。


「ごめん、寝てた!今からすぐ迎えに行く!」


「いいよ、タクシーでもう帰ってきて下の部屋にいるから」


そんな感じ。




きちんと同じ時間に起きられる人が羨ましい。


睡眠って意識がない状態だから、時間を認識なんてできるはずない。


早く眠ればいいんだろうけど、そのときの体がどれだけの睡眠を求めているのかを理解できないから、いつ起きられるか判らない。


早く起きすぎてもそれはそれでリズムが狂う。体が求めるままに寝て起きられるほうがきっと精神と肉体にはいいだろうが、それは社会においては不適合ということだ。




そういうのもあって、仕事という責任を負うことに躊躇している。


あるいは収入の効率のいい内職があれば、それはきっと俺には合うんだろう。


株取引のようなギャンブルではなく、出来高が積み重なっていく労働のほうが、きっと合う。






次回は4/15の11時。だがその前に。




12日に現場見学会というのがある。内装工事関連の会社の作業を見学するという。


直接その仕事に就く就かないはともかくとして、仕事の現場を見るということで、自分の中で何かが変わるかもしれない。変わらないかもしれないが。




そしてその前に。日付は未定だが兼六園の無料開放日に合わせて、お花見ウォークラリーというので親睦を深めませんかというのがあるらしい。


俺はあんまり乗り気じゃないが・・・まぁ日程次第で参加することにした。






この日、岡山で大変お世話になった鍋本ちぇいあるさんより作業中の時間にお電話を頂いていた。らしい。


すんません、マナーモードにしてました。




マナーモードは着信を響かせないためにあるのではなく、出られないときに着信があったことだけを知ってあとで掛けなおすためのモード、という認識なのだが・・・


帰宅してから確認したけど、「また電話するよ~」って感じで、特に緊急性がなかったようなので掛けなおしてません。




翌日に掛ければよかったんだけど、一日置いちゃったから、かえって掛けづらくなっちゃったよ。