というわけで、稲荷寿司。
初午は稲荷神の縁日で、伏見稲荷大社では稲荷寿司は当たり前のことのようです。
でも、稲荷寿司の発祥は伏見稲荷ではなく、およそ200年ほど前に、
名古屋で生まれ、江戸で広まったらしい。
稲荷寿司に関する最古の記録では、江戸後期の情報屋の走りと言われる、
藤岡屋由蔵の『藤岡屋日記』弘化三年(1846)の記事によると、
◇稲荷ずし
〝去る巳年(弘化二年)十月頃専ら流行也、
本家は平永町なり、筋違の内へ出るの是本家也、其後より替也、
此すしは豆腐の油揚に飯・から、いろ/\のものを入て一つ八文也、
甚下直にてあさびせふゆにて喰する也、
暮時より夜をかけ、往来の繁き辻々に出て商ふ也、
当午の春に成ても益々大繁昌なれば、当時流行唄にも、
坊主だまして還俗させて稲荷鮨でも売せたや。
ごぞんじのいづくも爰にいなりずし
ます/\売る初午のとし
また『守貞謾稿』には、
天保末年(旧暦1844年、新暦1844年2月~1845年1月)、
江戸にて油揚げ豆腐の一方をさきて袋形にし、
木茸干瓢を刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。
(中略)なづけて稲荷鮨、或は篠田鮨といい、
ともに狐に因ある名にて、野干(狐の異称)は油揚げを好む者故に名とす。
最も賤価鮨なり。尾の名古屋等、従来これあり。
江戸も天保前より店売りにはこれあるか。
と記載されて、名古屋が稲荷ずしの発祥のようで、
豊川稲荷では、稲荷ずし発祥の地をうたっていますので、
名古屋とは、これをさすのでしょうか。