前回の、「博徒・やくざについて」の続きです。

http://ameblo.jp/hakkouichiu/entry-10043887837.html


博徒・やくざについて 」同様、

以前のブログに頂きました、有難いコメントからの転記です。

今回は、佐吉さんからご教示いただきました「てきや」とは です。




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的屋(香具師(やし)ともいう)


神社の祭礼、または縁日の境内、参道において露店で
興行・物売り・場所の割り振りなどをしたり、
綿菓子、リンゴ飴、甘栗などを販売している。


一説によると香具師の語源は、『古事記』にも登場する火の神で、
出雲国にて出産時に産道を焼いてイザナミを死に追いやり
イザナギに切り刻まれて沢山の神に分裂した
火之加具土神(ほのかぐつちのかみ)の加具土が
“加具士→加具師→香具師” と変化したものらしい。


神社の祭りのときに出店を出すヤシ(香具師)系。


神社の飾り物を売ったり、人材斡旋(口入屋)や
芸能プロダクションのような事業などもしていた。


浅草六区はもともとは神社の土地だった。


その神の土地は独自の掟の体系を別に持ち、
それを仕切るのが地域系のやくざだ。

たとえば東京の新宿にも

花園神社を中心とした地域系のやくざがいるね。


神農という、香具師が祀った神様。


山野を歩いて食物を探し、植物の茎をしがんでいる。
神農はそうして食べられるものや
毒と薬を噛み分けて人間に与えた。


最初の人間の導き手、三皇のトップとして尊敬されてきたんだ。

これはアマテラスさまと並んで、伝統的なやくざの
崇敬の対象となっている。


やくざは物産の開発、流通に関係していたという痕跡が
その信仰に残っている。

本来のやくざはこのような座の役、
いってみれば、"厄の座"でもあるんだ。


そういうシステムのリスクを背負うもの。
つまり災厄の引き受け手でもある。


それは神道では"代受苦"といって、
日本の神の本質でもあるんだ。


的屋(香具師(やし)は、人的結合の面においては、
「親分乾分」の関係を基盤とする団体を形成し、
場所の確保やお世話をする世話人が集まって組織となり
神農会と呼ばれる「庭主」(組合)が起こったわけであるが、
本来一番肝心なお世話を怠って何もしない。
「庭主?」が{00会0代目}{00組分家}{00会00一家」などという
偽?神農会を名乗る。


これらの組織の中のごく一部には、何のお世話もしない場合でも、
挨拶に来るよう呼びつけ、

着到(その地区の世話人にお世話になる場合、
到着した際、挨拶として持っていく手土産)名目で、
金品をたかりだした。


日本のヤクザは通常、親分(組長)に対して
弟分と子分が絶対的に服従する家父長制を模した
序列的・擬制的血縁関係を構築することを特徴とし、
この関係によって暴力団の強固な結合を確実なものにした。


一般に、代表者である組長(会長、総長、総裁などとも)と
構成員である組員とは、

盃事と呼ばれる儀式を経ることによって強い絆で結ばれる。


跡目相続は暴力団社会では最も重要な誓盃儀礼で、
襲名式と銘打って、祭壇を設けた式場において、
羽織、袴に威儀を正した多くの客人衆の見守る中、
代を譲り先代となる親分と代を受ける当代親分が交盃する。


これを「跡目相続の盃」といいます。


ただ、的屋系の暴力団では

式場に的屋の守護神である神農像を置き、
その前で交盃するところから、通常、「神農盃」と称している。


盃事が無事に終わると、

博徒系の暴力団では、先代となる親分から、
末広、魂(刀)、承認書、縄張りの譲渡、組旗の授与を行う。


的屋系暴力団では以上のほかに

神農像と「十三香具虎の巻」を授与します。
これは的屋の虎の巻といわれるもので、江戸時代の享保20年、
幕府から露店が公認されたときに販売することを認められた
香具類13種と露店を公認されたいきさつを書いたもので
的屋では、代々受け継いで行くべき大変大切なものとされています。


暴力団の組織構造の特色は、

擬制の血縁関係で結ばれているということです。
この身分関係を成立させるものが、
「盃事」あるいは「盃式」「交盃」とか「結縁」「縁組み」と呼ばれる儀式です。


もともと、我が国においては、

約束事を固めるのに盃を取り交わす風習があります。


例えば、婚礼儀式で三三九度の盃を取り交わして
夫婦の契を結ぶことなどはその代表例と言えると思いますが、
それ以外の約束事の固めにもしばしば盃事が行われています。


すべて神道ですね。


親子盃は、親分子分の血縁関係を特定するための儀式。
先ず、吉日を選び日取りが決定されると、
清められた式場の床の間に祭壇を設け、
博徒系の場合は、右側から「八幡大菩薩」「天照皇大神」「春日大明神」
の三軸が掛けられます。


このような誓盃(せいばい)儀礼の場にこうした掛軸を掲げるのは、
暴力団の社会は、強者信仰が強く、強者であるはずの親分の上に、
なお民族神と二武神を置いて、その力を借りようとする意味合いがある。


これに対し、的屋系の場合は、

「今上天皇」「天照皇大神」「神農皇帝」の3軸が掲げられます。

この神農皇帝というのは、前述どおり、的屋の守護神とされ、

造化の神の一人といわれている。


祭壇には12本の百目ローソクを灯します。
これは当日の客人衆の祝意を表すものといわれていますが、
客人には必ず干支があるところから、
12本で十二支となり、客人衆全員を意味してもいるわけです。


その他祭壇には奉書付神酒、献納物が飾られ、
三宝に乗せた徳利一対、盃1個、盛り塩3山、
生魚一対(向鯛)が用意されます。


このうち、生魚一対として鯛が用意されるのは、
新子分にとっては親子盃は出生盃とみなされているところからであって、
2匹の鯛が背中合わせに置かれるのが作法とされ、
一方の鯛は一方の鯛より低く置き並べられます。


つまり、低く並べられるのが新子分のもので、
親分と肩や頭を並べることは絶対に許されないことを意味している。


兄弟盃 も吉日を選び、祭壇を設け、羽織・袴に威儀を正し、
厳粛な雰囲気の中で古式に則って儀式を行うわけですが、
その模様については割愛します。
ところで、一口に兄弟分といっても、その中身は
「五分の兄弟」

「五厘下りの兄弟」

「四分六の兄弟」

「七三の兄弟」

「二分八の兄弟」

に分かれており・・・・まあ、そんなところまではいいですね(笑)
ま、とにかく、やくざの儀式はすべて神道形式なのです。

彼らの日常行動において最も重要視される「顔」(面子)であります。


暴力団社会においては、「顔」(面子)の問題は彼らの生活基準であり、
行動の中核をなすものであります。

すなわち「顔」は暴力団社会における

身分的序列に直接関連をもち、

従って、互いに「顔を売ろう」と張り合い、

「顔がつぶれる」ことをもって最大の屈辱としています。


つまり顔は、ヤクザの威信を表したものであるところから、
「顔(面子)をつぶす」、「顔に泥を塗る」ことを極度に嫌い、
このような場合には、その相手方に対して、
強烈な物理的反撃を加えることになります。
が、ヤクザ社会にも、戦後、
この「顔」(面子)の色合いが様変わりしてきてしまいました。


昭和20年代の戦後の混乱期になると暴力集団として、
青少年不良集団である「愚連隊」が出現し、
それまでの博徒、的屋などの利権が荒されるようになり、
これら新・旧勢力間の利権をめぐる対立抗争が激化する一方、
組織の離合集散の結果、渾然として、
各々の組織的色分けが次第につかなくなって行きました。


また、同時に、各々の組織は利益になるものは何でもするようになり、
現在では、賭博を本業とする暴力団はほとんど見当らない。
さらに、日本人構成員の比率も減り、
山口組の構成員2万5千人のうち約70%の者
が部落出身者であり、約10%の者が韓国人等の外国人。

前にも書きましたが
ヤクザが、神事から離れて、戦後から現在のように
「政・官・業」と繋がると、世の中ろくなことが起きないのである。
戦後の「鉄の四角形」の癒着で世の中おかしくなっている。
最近の代表例は、村上ファンド、
ライブドアの野口英昭「怪死」事件、耐震偽装・・・・

ペリーこそが、日本をおかしくさせ、
これ以上、諸外国の挑発にのせられて
日本がおかしくならないことを神様に祈ります。

このブログのご提唱どおり、
まさに、神道が、地球を救えるのですね、

とにかく、パパさまは、すごいですね!
死ぬ前に(笑)、こんな話ができて幸せです。

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佐吉さん、有難うございました。

私たちは、おかげさまで今日もすこぶる元気で

仲良く、仕合せに過ごしています。



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