人はなんのために生きているのか。

 

ズバリ「自分になるため」だと思っています。

 

 

生まれた時ももちろん自分です。

でもまだ自分は完成していない。

その後、たくさん経験を身につけて本物の自分になるんだと思います。

環境とか、容姿とか、才能とか、色々不平等ですけれど、自分に与えられた今世の条件はそれ。

その条件の中でどれだけ自分自身になれるか。

そんなチャレンジ。

 

SNSは「承認欲求」だと言われます。

その通りだと思います。

それって全然いけないことではなく他人に自分を見つけてもらう最高の手段だと思います。

友人が言ってました。

秀才は自分の才能に気づき、天才は他人に見つけられる、と。

これ、真実です。

でも、大体の人が「自分には才能がないことに気づき」「誰にも見つけられない」笑。

だから自分であの手この手で自己表現をして、自分を認めてもらうしかないんです涙。

 

私は才能が全くないのに音楽をやってきました。

でも才能がない中音楽をやるということが、大事だったんだと思います。それが私の人生を作ってきました。もし才能があったら学べなかったことがたくさんあったから。

 

でもまだまだやっていないことが人生にたくさんある。

自分らしくやっていこうと思います。

 

 


 

 

 

 

「ギャンブル依存症」は怖いという話ですが、知らず知らず中毒になっていることって多いと思います。

 

「音楽」も中毒みたいなものだと思います。

音楽があれば盛り上がる。楽しくなる。

 

昔々、音楽は生演奏しかなかったので、「音楽」というのは一年に一度祭りの時に聴いたり奏でたりするだけでした。

その時の人々の興奮と言ったらなかったでしょうね。

 

でも、今は毎日が祭。

毎日、音楽聞いて、踊って、そして美味しいものを食べている。

音楽は、お酒やギャンブルと違って害はないんだからいいんじゃない?と思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

 

どんどんエスカレートして、もっと変化のあるもの、もっと刺激的なものを求めていく。

そうなったとき、ちゃんと自分の中から生まれるものはあるのでしょうか?

外から何かが入ってこなくても、自分の中が空っぽにはならないのでしょうか?

 

 

音楽の楽しさを広めたい、と常々申しておりますが、時代を見ているとそっちじゃないって思うことが多いです。

 

 

 

 

 

 


昨日、昭和記念公園に行きました。



ここは元米軍飛行場で、流血の砂川闘争のあった場所です。

砂川闘争を私は最近知りました。
最後に警官150人に向き合った学生は50人で、もう負ける、というときに学生が歌ったのは『民族独立行動隊』ではなく『赤とんぼ』だったとか。警官は、突撃して来なかったそうです。

この話をしてくださった女性のお兄様はその闘争に参加し、人生が変わってしまったそうです。


のどかで平和な公園の足元には華やかな西洋たんぽぽが咲き、上空には米軍横田基地のヘリコプターの爆音が轟く。
平和は簡単なことではないのだ、と思い知らされました。



     チューリップが満開


    変わった西洋たんぽぽ


         椿





化粧水を作るため、毎年アロエを焼酎に漬け込みます。ついでに柚子の種も入れます。

現在こんな感じ。


化粧水のために作ってるので、飲んだこともないし漬け込んだあとのアロエは捨てていたのですが、「飲まないんですか?」と聞かれました。他の方には「アロエ食べてますけど」と言われました。


なるほど〜。

そんな事も出来るんですね。

今度からは飲んで食べてみようと思います。










 

入学シーズンです。

当事者はワクワクドキドキですね。

 

 

3月に桐朋高校の生徒さんの答辞を読みました。

わかりやすくて、ユーモアがあって、意外性もあって、感謝や愛に溢れていて素晴らしかったです。

とても魅力に溢れた方だというのが、文章から想像できます。

 

 

私はというと、このブログを読んでくださってる皆様にはわかると思いますが、本当にくどくど話す、書くなんですよね。ねちっこい性格そのものです。

オンライン会議を初めてしたとき、内容の整理や確認のために後日録画を見たのですが、愕然としてしました。

話がわかりづらい、周りくどい、ねちっこい、わかってるフリ、知ってるフリ、もう自分の内面がつまびらかにされちゃっていて。

それを見てから気をつけるようにはなったんですが、性格同様でなかなか変わりません。

 

 

簡潔に伝えつつ、優しく楽しい文章を書けるようになりたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月10日に行われた

「こがねいピアノまつり in  公民館」

の動画が出来ました。

 

とってもレトロな公民館でとってもレトロなピアノを弾いてくださった皆様有難うございました。

 

ちびっ子に大人気だったワークショップやじ〜んと感動&楽しかった音楽の宝箱は、なんと動画撮り忘れてしまいました!!

装飾もそうだし、色々撮り忘れて残念。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノを指導していて思うことです。

人間にとって一番大切なものって、やっぱり感性だと。

 

 

 

技術を身につけていく過程では、うっかりここを忘れてしまうんです。特に子供だと親は「情操教育として音楽をやらせたい」と言いつつ、ピアノが弾けることに目が向いてしまう。

 

ピアノの指導で絶対忘れてはいけないのは「楽しむには技術が大事」ということ。

技術がなきゃ、ピアノは弾けない。

技術を身につけるトレーニングは欠かせない。

 

 

でも最後は感性なんです。

幸せな人生を送るための最後の切り札だから。

それを活かすために技術が必要、ということです。
 

 

私はリトミックの最後に毎回絵本の読み聞かせをしています。

読み聞かせにはいろいろな意味を込めています。

 

集中して生の声を聞く。

言葉という一番身近なリズムを感じる。

未経験の体験を絵本の中でする。

次の展開を考える。

前のページを覚えておく。

自分の思っていたものと違うことに楽しさを感じる。

美しい絵から自然を再認識する。

現実とは違う世界に生きる。

現実にはないことを想像する。

 

いろいろありますが、これは音楽に役立つことであるし、人生がより良くなる要素でもあります。

 

親御さんは、音楽のお教室だから絵本読む時間を音楽に当てて欲しいと思うかもしれません。

ひらがなが読めるようになった子は自分で読もうとして、それを親御さんは微笑ましく見ていたりします。

でも選び抜かれた日本語は一番身近な音楽。

字が読める喜びより、聞くことの方がよっぽど大事。

想像することの方が、聞いて考えることの方がもっと大事。

 

 

最高齢の生徒さんは98歳。

ピアノを始めたのは97歳。

ピアノが好きで子供に習わせた、孫もひ孫もピアノを弾ける、でもやっぱり自分で弾いてみたい、と。

素晴らしい好奇心と感性です。

 

音楽のお教室だからこそ感性を大事にしたいです。

 

 

春菊が旬!

 

 

 

 

 

 

 

 

「何も創らなくていい。原生の自然に抱かれたとき、
“ほんとうの絵” が生まれる」。

 

 

とおっしゃっているのは、日本画家の西田俊英さん。

なるほど。心の赴くままに表現すればいいんですね!

 

 

、、、なんて、真に受けてはいけません。

私が思うに、技術無くして芸術は成立しない。

つまり、自然に「ほんとう」が生まれるには圧倒的な技術力が必要ですよ、ということです。

 

子供の絵は芸術だ、と言いますが、私はそうは思いません。

確かに無垢で純粋な心を思い出させてくれます。これは音楽でも同じ。

しかし「芸術」ではありません。

芸術とは突き詰めたクオリティの高い技の中に洗練されたオリジナルの表現が存在します。

 

芸術家と言われる人々が、一本の美しい線、一つの美しい音を作るために、どれだけ命をかけているか。この間テレビを見ていたら、芸術には犠牲が伴う、と言っていましたが本当にそう思います。

 

もちろん絵も音楽も、楽しいだけで充分です。

でも、心の赴くままに思ったことが表現出来るなんてこと、楽しいだけでは出来ません。もしなんの犠牲も払わずに出来てます、というならたぶんそれは、、、ただの自己満足です笑。

 

なかなか思うように描けなかったり、奏でられなかったりした時、みんな落ち込みますよね。

でもそんな時は「自分は本当にそこまでやったのか」と自分に問うてみるといいです。

すると、だいたい「いや、、、やってませんでした。すみません」となります。

そして逆に「まあ、そこまで生活犠牲にしてやってるわけじゃないんだから、こんなもんか」と現実を受け入れられます。

 

 

私はいつも思うのです。

「こんなすごい芸術にほんの少しだけでも関われたなんて、なんて良い人生なんだろう」と。

 

世を覆うような才能はないけれど、これからも芸術を尊び、向き合い続けていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きなことなら頑張れるんだけど、好きじゃないことは全然努力できない、、」

って言う人いますよね。

でもって「わかるわかる、私もそう」と同意している人もいますよね。

 

言っている人も同意している人も、「ダメな私」みたいなニュアンスなんですが、とんでもないです。

好きなこと努力出来るって最強です。

なぜなら私、好きなことでも頑張れません。

というか、好きなことは頑張れません。

 

 

私は自称努力家です。

まず仕事に対して努力している。

そして機械関係。

 

仕事はやっぱりお金もらってるし、期待して依頼してくださる方によかったと喜んでいただけるよう出来る事はやろうと思っています。能力的に色々問題があるので、これはもう日々本当に努力です。努力しないとあっという間に限界が来ます。

 

機械系は、大の苦手でテレビの配線も電球変えるのも、何かが爆発しそうで怖い。でも、パソコンやスマホは使えないと生きていけないから使えるように、歯を食いしばって努力してます。

 

スマホやパソコンを「使わなくても生きていける」というのは間違いです。それは、「洗濯機なんかなくても生きていける」と川に水汲みに行って洗濯板で洗濯し続けてるようなものです。夏にお家でアイスは食べないと言うのと同じです。

スマホはもう現代の洗濯機です。冷蔵庫です。生きていけません。

なので私は努力しました。

「スマホ得意でいいよね」とか言われると、「ふざけるな!」と叫びたくなります。その方になんの恨みもないんですが、要するに涙ぐましい努力を認めてほしいということです。

 

 

しかし。

これらと違って「好きなこと」ってやらなくてもいいんですよ。

やってお金もらうわけじゃないし、やらないからって責任が生じるわけでもないし、やらなくても困らないし、もちろん死なない。

 

なので、私は好きなことこそ適当です。

時間があっても大してやらない。

スマホいじって、お菓子食べて、ドラマ見てる。

全然頑張らない。

 

園芸は趣味の中でもまあまあ時間かけてやる方ですが、じゃあ畑借りてやるかというと、畑に行くのがめんどくさいから借りない。ベランダで済ませている。真夏や真冬はほぼやらないし。絶対無理しない。

 

だから好きなことなら頑張れるって、努力できるってすごい事だと思うのです。尊敬します。

 

私は好きなことを努力できる人になりたいです。

 

まずは朝ベッドでスマホを見ている時間から減らそうと思います。

 

 

 

 

 

 

ピアノまつり、無事終了しました。


朝のコンサートからたくさんの皆様にお越し頂きました。


バードコールワークショップ

ぽろにゃんスタンプも♪


ちょうど満開になって来たこの子達も連れて行きました♪


お越しくださった皆様、ボランティアさんありがとうございました。
詳しくはまた改めて報告致します。