拝啓

極寒の砌、皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

 このたびは、かの俳句Gatheringという一大イベントを終えることができ、このようなイベントを予てより企画・実行していただいた方々、並びに場を大いに盛り上げてくださった出演者や観客の皆さまに、心より御礼申し上げたいと思う所存です。楽しい時間を、ありがとうございました。

 筆を走らせている現在、俳句Gatheringの終了からはまだ一ヶ月と経っていないのですが、かなり過去のことのように感ぜられます。多くのイベントが目白押しする師走、今思えば、本当に密度の濃い毎日を送っていたのですね。その中でもやはり、俳句Gatheringは相当に印象深いイベントだったのでしょう、思い出そうとすれば今でも鮮明に場の空気が蘇ってくるようです。

 前日、十二月二十日の夕刻頃、阪急三宮駅は帰路につく人々でごった返す、何の変哲もない週末の様相を見せていました。風は肌寒く、どことなく忙しないこの空気感――一年ぶりの俳句Gathering、その前夜、遂にこの日が来たかと思わず武者震いしました。余談ですが、この駅名が「三宮」であるのもこの日までだったのですね。次の日にはすべてが「神戸三宮」に改称されていました。

 準備のための細かい買い物を済ませ、設営の最中の会場に入ると、いよいよ昨年の懐旧と期待の念が隠しきれません。このようにして俳句Gatheringに再び携われるとは、なんて幸せなことなのでしょう! 俄然、準備に力が入ります。

 モニタへのコンピュータ接続では、なかなか手間取りましたね。いい教訓です。端末が違うだけで、ああも融通が効かないとは。結局、左右それぞれのモニタでは違う解像度の画像が表示されてしまい、個人的にはすんなりと納得できない結果だったのですが、仕方がありません。とことんこだわるなら、準備も早いうちからすみずみまで目を配って。言われてみれば当然のことなのですが、身を持って痛感いたしました。


 一夜を明かして、外を眺めれば、雲行き怪しく雨模様。去年のこの日は、雨降りだったっけ。
会場に入ると、開始直前ならではの空気感。段取りの確認に、出演者やスタッフとの打ち合わせ、機材の最終確認……目まぐるしく時間は過ぎ、気付けば開場時刻そして開始時刻。心の準備などという悠長なことを考えている隙もありませんでした。本当は、悠長に構えていられるのがいいのでしょうけれども。

 オープニングを終え、「Pizza-Yah!」のミニライブで会場が温まれば、早速最初の企画「5・7・5でPON!」が始まります。

 企画が始まってしまえば、こちらとしては少し気が落ち着きます。スライド操作なんて、所詮ボタンを押すだけの仕事なのですが、これまた重圧で、一つ間違えればイベントを白けさせてしまいかねません。この役目が一段落つけば、ほっと胸をなでおろし、自分の精神の消耗に気付かされるばかりです。

 さて、「5・7・5でPON!」ですけれども、これは上五・中七・下五をそれぞれ別の人が示し合わせずに作り、出来上がったものを楽しむというもの。これを、二つのチームがそれぞれ行い、二作品を比較して勝敗をつけるのが、この企画です。毎回毎回、予想もつかないような、それでいて面白いコロケーションが展開され、驚嘆させられます。語と語の邂逅の織りなす作品は、見事という外ありません。無作為に選ばれて壇上に立つこととなる観客の方々に天晴。

 この時、選ばれなかった他の観客の方たちはどうなのでしょうか。壇上で生み出される偶然の作品に、喫驚したり落胆したりしていたかもしれません。しかし一方的に展開されるショーに、果たして皆が皆、入り込めていたのでしょうか。形だけの勝負に、何を感じ得たのでしょうか。壇上に立つ人々が天晴なら、それを見守る観客の方々も、きっと天晴なものをお持ちでしょう。それも覗いてみたかった、というのは我儘な言い分なのでしょうか。


 第一部が終われば、休憩時間。場面転換を終えて、こちらも休憩に入るのですが、なんとも変な気持です。というのも、流れている音楽は自分が作った音楽。実は前々から頼まれていくつか曲を作っており、前夜にも寝る間を削って効果音を多少作っていたのですが、自分の生み出した音がこのように使用されると、気恥ずかしい気もします。何せ、このような経験は初めてなのですから。「音楽プロデューサー」なんて肩書き、やはりまだまだ僭越です。さらに精進するまで、待ってはいただけないでしょうか。


 さて、第二部。川柳・連句の小池正博氏と、俳句の小池康生氏という、二人の小池氏によるクロストーク、「俳句vs川柳~連句が生んだ二つの詩型~」。五七五という同じ詩型を有し、俳句と祖を同じくしながらも、あまり知らない川柳の世界。そして、祖でありながらもなかなか生きたそれに触れることの少なかった連句。「俳人向けの企画」といった嫌いはあったものの、特に俳人の方々にとっては非常に興味深いお話であったのではないでしょうか。俳句でいうところの面白さと、川柳でいうところの面白さ、これらが性質を異にしているということを、体感できたことでしょう。

 前半ではお話が続いたのですが、後半からは観客も参加し連句を実践してみるというものでした。

   秋涼し白き団子に歯を立てり    仲里栄樹
    若き言葉に揺れるコスモス    小池正博
   月の夜に楽器いくつも遊ばせて  黒岩徳将
    真空管の重たきことよ       仮屋賢一
   投げ込んでだれかに届くボトル瓶 久留島元
    飛び込み台に飛び込めずいる  小池康生

  ウ(裏)
   旧姓に戻りハワイに旅立ちぬ    岡本信子
    冷蔵庫にはマヨネーズだけ    下山小晴
   夏服をとらぬまま言うさようなら   松本てふこ

表六句は事前に拵えたもので、この日に会場で出来上がったのは裏の三句なのですが、これまたなんて魅力的なんでしょう。はじめは連句に取り組む人も疎らであったのですが、裏の一句目が出来てからは、皆が競うようにしてどんどんと句を作ってゆきます。これが、俳人の底力、いや、意地というものなのでしょうか。「この程度だったら自分にも、いや、自分ならもっといいのができる」と思い立ち、いざ取り組んでみてから「やはり貴方は凄いです、参りました」という、どこかひねくれたような人が多いのも、俳句の世界の特徴なのかもしれません。悪気があるわけではありませんよ。むしろ、褒め言葉であり、僕自身が、俳句の世界を好きだと思っているところがここなのです。

 多くの人が、選ばれた作品に舌を巻き、自分の作品が選ばれなかったことへの悔しさを残しながら、第二部は終了しました。

 休憩の後、いよいよ第三部の幕開けです。


 明らかにこの企画は、昨年のものよりパワーアップしていました。力の入れ具合が違うのは、傍目で見ても分かります。事前に用意されたビデオといい、よく練られた今回の試合に至るシナリオといい、まさにメイン企画の様相です。試合に登場する俳句も、なかなか面白いものが揃いました。勿論、作品として存分に甘さも目立つのですが、そのようなことよりも、各々の持っている感覚的なものが実に豊かだということに改めて気付かされ、嬉しく思うのです。

 俳句甲子園を経験し、今でも携わっている立場である視点から物申すとなると、いくらでも指摘することはあるでしょう。しかし、それは仕方がないことなのですよね。だって、ショーだから。お祭りなのですから。そのように考えて見ると、ショーとしての水準の高さに驚かされます。いくらショーとして差し引いたとしても、許しがたい、気になる発言もまだまだあるのですが、これは先程申しました俳句の水準のことと考え合わせると、これからもっと改善される余地がまだまだ残っているということにほかならないのではないでしょうか。だとすると、恐ろしい限りです。

 第三部のスタイルは今の時点でもだいぶ安定してきているようですね。だから余計に、それまでの企画の存在感が気になってしまいます。「俳句Gatheringと言えば、アイドルと芸人のディベート対決、他の企画はその前座」のようなスタイルになっていくのでしょうか。そうだとしたら、なんだか勿体無いですね。ちゃんこ鍋、キムチ鍋、トマト鍋、カレー鍋、どんな鍋でも〆はやっぱり饂飩。それでいいんですけど、饂飩が一番目立ってちゃあ、空しいです。俳句Gatheringが魅力あるフルコースになればいいな、と願っております。

 この第三部での意外な発見といえば、俳人の方は思った以上の水準で面白いということです。だから、僕は俳句の世界が好きなんですよね。すみません、またこんな話になってしまいましたね。率直な気持ちなのです。お赦しください。

 第三部の後には、参加者の投句した「雪」の作品の選句結果の発表などがなされていたのですが、その頃は懇親会の準備に赴いていたため、人づてにしか結果は知ることができませんでした。まあ、いいでしょう。

 懇親会には見知った顔が多く、また、学生の率も高かったようです。やはり、五時間のイベントともなると、観客であっても体力がものをいうようになるのでしょうか。乾杯の後しばらくしてから、数名の方よりご好意で戴いた句集を賭けての句相撲対決などを執り行ったのですが、長丁場のイベントの後でも皆さん、なかなか手を抜かない句を作られますね。俳人の底力、恐るべしです。そんなことより、飲み会となると皆さん、本当に元気ですよね。長時間の疲れなど、まるでなかったかのように。

 俳句の世界は今日も平和です。


 いま、読み返してみて考えるに、俳句Gatheringを通じて、自分は一体何を感じたのでしょうか……俳句の魅力、というよりも集まった人々、特に俳人の魅力、そして、そのような人々が集まる世界の魅力――そんなものを一番感じたのだと思います。これは、自分が俳句という世界に触れているからこそ、思うことなのでしょうか。だとすれば、俳句、もう少し広げて、詩の世界の中にいない人から見れば、このイベントはどのように映ったのでしょう。

 「なんだかよくわからないけれども、楽しそうなイベント」というように映ったかもしれません。勝手な想像ですけれども。

 俳句の新たな楽しみ方を模索していくイベントのようでいて、いつの間にか、内輪の盛り上がりを外の人に見せつけて巻き込む、そんなイベントになってしまった、そんな気もしました。公式ブログによれば、「俳句の新たな可能性とエンターテイメント性を追求する場所を作り、一般にも開放すること」を通じて、「一般人・俳人の交流」を図っていく、そんなイベントを志向しているようですね。でしたら、もっとオープンな雰囲気を作り上げてみてはいかがでしょうか。喩えがひどく雑だとは思いますが、男子浴場の扉を開けきってオープンであることを謳っている、そのようにも思えてきます。仲間に入ってしまえば外の世界との隔絶はほとんど感じないのですが……もしかすれば、俳句の世界自体に、そのような傾向があるのかもしれませんね。どのようにお考えでしょう。


 色々と申しましたが、最後に、もう一度、俳句Gathering実行委員会の皆さん、スタッフの皆さん、出演者の皆さん、お越しくださった観客の皆さん、当日様々な役目を引き受けていただいた皆さん、各種の援助・応援をしてくださった皆さんなど、関係者の皆様方、本当にありがとうございました。

 特に、このように若輩者をスタッフとして呼んでくださり、本当にありがたく思っております。僅かでもお役に立つことができましたでしょうか。

 俳句Gatheringがより魅力的で、誰もが楽しめるイベントへと近づいていくことを心より願っております。

 以上、乱文にて失礼致しました。

 敬具


平成二十六年一月吉日
     関西俳句会「ふらここ」代表 仮屋賢一

俳句Gathering実行委員会のみなさま
関係者のみなさま



追伸

 俳句Gatheringの評判は、関西にとどまらず、各地に広まっているようです。とはいえ、まだまだ俳人たちの間で、といったところでしょうが、知名度が上がっていくということは同じ関西にいる人間として嬉しいばかりです。

 我々、関西俳句会「ふらここ」も、俳句界、特に関西のそれの発展のためであれば協力は惜しみません。

 是非、これからも、よろしくお願いします。