ここ天満は、幕末から明治にかけて補給港、造船所が数多く作られたおかげで栄えたそうです。
また九州から京阪神への航路の寄港地としても栄え、繁華街、旅館街、遊郭として栄えた名残りが、昔のまんま残っているというので、前々から一度訪問してみたかった地なんです。
戦後の赤線があった時代まで「オチョロ船」が遊女を乗せて停泊している船まで営業に行っていたそうです。
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竹原港から20分ほどで目的地の天満港に到着。
ここで下船したのは、自分を含めて二人のみ。
夏休みなんで、もう少し観光客がいると思ったんですけど・・・
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港に近いこの狭い路地に、タイムスリップしたような世界が広がっておりました。
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車一台がやっと通れるほどのこの路地に、往時には人が溢れかえっていたんでしょうなあ。
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どうやら食堂跡のこの建物。いつ頃まで現役で営業していたのだろう。庇に玉ねぎが干してあるんで、人が住んでいるんでしょうけど、その気配はありません。
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消えかかった看板ですが、目を凝らすと「一寸一杯、中華そば、うどん、佐野屋・・・」の文字がかろうじて読み取れます。
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よく見ると、何気に三階建て。二階と三階に見える手すりが気になります。
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上の「佐野屋」の隣のこの建物。ここも今は誰も住んでいないような感じです。
二階の造りが遊郭跡の名残りのような・・・
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建物前の防火用水が時代を感じさせてくれます。
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今回の見たかったもののひとつが、この窓は貼られたステッカー。大阪万博当時のこんなものが未だに残っていつなんて、すっげえ感動。
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二階の手すりがなんだか艶かしい。
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この細い路地を、時々軽トラが通っていきます。昔からほとんど変わっていない風景なのでしょうが、既に人が住まなくなって相当経過している建物もあります。
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玄関の面構えといい、二階のハート型にくり抜いた細工の手摺りといい、この建物は間違いなく遺構でしょう。
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この建物の三階建てです。
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この建物の玄関も立派です。ここにも二階の手すりが残ります。歓楽街だった名残りが随所に残っていて、時が経つのを忘れさせてくれます。
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真新しい看板に思わず目が行った玉屋旅館。駄菓子屋さんも併設?ここも既に営業されていない様子です。
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この通りで一番活気があったのがこのお店。スーパーよりも八百屋さんって呼んだ方が馴染む感じのお店です。
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八百屋さんの壊れた日よけテントが気になりましたが、もう何年も前からこのまんまのようです。
ここで地元のおばちゃんに「徳森旅館」が近く解体されてしまうことを聞いたのでした。
・・・つづく
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