2009年の10月に植えた苗も、こんなに大きくなりました。

ユーカリはゆうに3メートルは超え、萩はまるでジャングルのよう。

枯れてしまった苗もありますが、桜桃も木槿も月桂樹も元気に育っています。

金木犀と山茶花はあまり大きくなってないかな?

枇杷の木3本と梔子は4年前。





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ははこぐさの気ままな日々-6


嶋会館は、その昔は「花筐文庫」と呼ばれていました。 (写真は現在の嶋会館)


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昭和11年11月11日 花筐文庫落成式 および 寄贈式



嶋会館は、昭和11年に嶋連太郎氏によって粟田部町に寄贈されます。



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嶋連太郎氏とは? 明治3年粟田部に生まれる。明治17年に、後の総理大臣吉田茂の父(養父)であった吉田健三氏を頼り横浜へのぼります。そして、明治19年、吉田氏の紹介で「秀英舎」という印刷会社に入り31歳の時独立し「三秀舎」と言う印刷会社を興します。その当時としては、印刷業界というのは、今のIT業界のような時代の先端をいく業種で、新しいアイディアと人柄のよさで三秀舎は、従業員30人から昭和初期には600人という大会社に成長します。嶋さんはその「成功と恩恵を郷土に」との思いから、総建築費当時の額で1万5千円という資産をかけてここ「花筐文庫」を建築し寄付しました。

その頃 2000~3000円で家が建ったといいますから、莫大な金額ですね。


そして、翌年昭和12年の4月17日~19日三日間かけて「花筐文庫開庫式」が開かれます。


昭和12年4月17日~19日にかけて、ここ花筐文庫にて、開庫式と一般公開が催されました。

今から75年も前のことですね。

そのことが、南越花筐会誌 第23号(昭和12年7月発行) に書かれていました。





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名にしおふ花筐の萬開の櫻は陽光に映えて研を競ひ、まさに春爛漫の四月十七日、待望久しき文化の殿堂「町立花筐文庫」の開庫式を挙行せらる。


朝来、生憎(あいにく)雨天のため、式場を由縁深き学舎花筐校講堂に変更し、午後二時より厳粛裡に・・・(来賓の名前がズラズラとあり・・・)祝辞のあと祝電の披露なし寄贈者嶋連太郎氏に感謝状および記念品を贈呈・・・寄贈者嶋氏は、本文庫寄付の由来並に工事着手以来各方面より受けたる深甚なる助力後援を感謝し、尚、今後の活用に対する希望をきわめて慎重に感激的に挨拶された・・・。


四時頃、式は目出度く終了すれば、朝来の春雨はカラリと晴れて小鳥の声冴え冴えしく参列者は新文庫に到り館の内外を参観し、この設備を讃え階上の参考品室には・・・(ちょっと長いので省略・・・) 隣接、粟生寺で開催中の書 展覧会をも巡回し、特に山田秀甫氏所蔵の「福井藩維新志士」の屏風等には衆目を驚かせた。

春光麗けき公園を経て祝宴場なる町公会堂に再び参集、直に祝宴は始まり紅君の(よめない汗)よろしく祝賀気分は堂に満ち、何はなくとも花を肴に祝酒に酔えば、何れも顔はほんのり桜色、内も外も 桜櫻!桜櫻!ラブラブ!さくら!慶祝の万歳の声は洋々として三里山を揺るがし解散となる。



十八、十九日は一般公開日となり、四千人もの来場者があったようです。

十八日の夜には、仕掛け花火があがったそうです。

時代も戦争に突入する前の華やかで輝かしい時代でした。



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4月18日の午後からの様子。

桜が満開でした。

(会館の前の木を3月に切り倒し、玄関前はすっきりとしています。)



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満開の花筐公園

私は、最近、俳句をはじめましたが、元々、詩を書いたりするのは好きでした。

俳句をやりたいと思ったきっかけになったのは・・・


この句です。 むらさめに・・・

今日はそんなお話。


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上の写真は、花筐公園から粟田部の町をみたところ。


粟田部って町は、深い歴史のある町ですが、それと同時に文化人がたくさん排出された土地でもあります。


公園から小道を登って忠魂碑へ行く途中。。。

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もみじの紅葉はまだ先のようです。



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花筐公園の中腹に句碑があります。 村雨(むらさめ)塚 といいます。


松尾芭蕉の十哲と呼ばれたの各務支考(かがみしこう)獅子門下の嶋伴平氏の句碑です。


獅子門=各務支考の別号の獅子老人にちなんで付けられた俳句のグループ名です。
美濃を本拠に活動し、歴代宗匠に美濃在住者が多いので、美濃派ともいわれます。



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むらさめに


いよいよ秋の

深きかな



嶋 判平氏の辞世の句だそうです。物悲しいですよね。



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金毘羅さんから二つ目の鳥居を登ったところに


時雨(しぐれ)塚 という句碑もあります。



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しぐるるや (時雨る々や)

空は浮世の


人こころ 寿仙



人の心は変りやすく冷たいということでしょうか? 法幸冶良左衛門氏の詠んだ句です。これも辞世の句。


他にも 杜鵬亭声聲(とけんていうせい) 酒井兵右衛門 という人もいらっしゃったみたいです。


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朽ちぬ名の 誉れやうれし 月の影 千鶴

(千鶴という方はどなたなのかは調べないとわかりません。。。。多分大正時代?の昔の方。)

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刈萱の 思いの跡や 文の塚 千鶴

文塚を あとにのこして 渡る鳥 室 ヨシ女



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ちょっと写っている建物は 山月楼のちん(はなれ)で、大正時代に活躍した童謡作家 野口雨情さん、藤井清水さん達が滞在して、作詞をしたり、作曲したりして(音楽活動)をした所です。


野口雨情さんは、私の大好きな詩人、童謡作家ですラブラブ


山月楼とは、花筐公園になっている三里山のふもとの粟田部、このあたりにあった料亭の名前。

私の父方の実家、吉田家の縁の料理屋です。


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今年も、寒桜(かんざくら)が咲いていました。



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寒桜


今も匂いし


この里に

雨美