出かける前は果たして登れるのか心配で”うつ病症候群”に襲われていたのですが、「えい、行かなきゃわからん」とバックギアーをドライブギアーにチェンジできて、出かけました。不安が襲うと、いつもバックギアに入りやすくなってます。
でも今回、一緒に歩いたのは収穫でした。ほんとにありがとう。
ただ最後に安易なくだりでひざに来たのが怖いですね。

初日に苺平で27歳の5人組みかな、みな175センチの水泳の選手のようなきちんとした体型のイケメンの青年たちにであって、久しぶりに山ですがすがしい気持ちになりました。彼らが午前5時にテンント場を出て地蔵まで往復して2時半ころというのは、われわれにはいささか無理だろうという思いを抱かせました。もちろん私ははじめから無理ですが。
でも小屋と天場まで一緒のコースタイムで来られてうれしかったですね。

翌日、観音岳への往復も、じぶんでは思いもよらないほどしっかり歩いたように思えます。日記も書きましたが、honsamaの歩調とリズムで歩けたことが何よりでした。
苺平への登り返しも無事歩け、これはすばらしい発見でした、自分にはね。
老いと病の不安との格闘の日々、それでも山に行く気力を持ち続けることに腐心しています。
私の行動が、誰かの励ましになるのであれば、まだまだがんばって生きたいと思います。
このコース1993年の正月に妻と歩いています。Yutubeのtabioyaji30にUPされています。コースを歩きながら一緒に歩いたときのことが思い出されてきました。
山では妻と喧嘩したことが一度もありませんでした。
夜叉神峠に戻ったときに妻に電話をしました。
「登れたの?」
「登ったよ」
「それは良かったわね」
短い会話だけど、妻が私のことを心配しつつも、登れた事の意味をわかって喜んでくれている。私はこの短い会話の中に43年ともに人生を歩いたパートナーとしての妻の愛情を感じていた。
歳をとるということはすばらしいことだと思う。
私のような年齢になるまで、4,50代ののカップルは、どんぱちやればいい。その先にこういう境地が生まれてくる。
そう思いながら登山口に下ったが、小指の爪があたっていたいのと、ひざが痛くなって、ロマンチックなムードは消え去って、ともかく下った。
久しぶりに、いい山でした。