商店街では、若い子たちがチャレンジショップをしていた。
道行く人は、お昼の食事には、応援したい子の出店に向かう。
必要なものは、その日その日、町に出て調達するのだろうか。
仕事や何事かの用事を、町に出て済まし、+αの出会いを楽しむように、人でごった返していた。
出店はいつも日替わりで にぎやかで、
それぞれの店舗には、支えてくれる友人知人、ファンの人達の列があり、
とても温かく 豊な心持ちの まなざしの中で、沢山のもの事が、保健所や法律等の規制があるようでもなく、自己責任の範囲でラフに追行されていた。
そんな夢を見た。
その夢は、大きな災害の後の、遠くの大きな町だった。
そこを、娘や母を乗せて、私は車で案内していた。
こんな風になったんだなって思いながら。
傷跡が黒く汚れの様にあちらこちらに見えていた。
そういう事も、夢の中では感覚としてとらえていたけれども、
災害が良いとか悪いとかではなく、
こんな時代がくるのであれば
私達は充分、生きていく事が楽しいだろう。
商店街の空きスペースを、
レンタルやチャレンジする子たちが、
こんな風に気軽にお店を出せる様な、
簡単で便利な仕組みは、出来ると思う。
お祝いにえっちゃんが作ってくれたちらし寿司
こんな彩と活気が、黒い汚れの様な傷跡も気にならないくらいに人々を元気にしていた。
元気をもらいに町へ出るのかも知れない。
勿論、大災害で社会システムが壊れるという事が、ハードルを下げた自由市なのだろうけれども、
この幸福感を想像出来るのであれば、誰だってここに行きつきたいだろう。
災害の仕組みって、何となく把握した。
それは大地の体調を、自分の体レベルで感じられる様な感じで理解している。
苦しい苦しい体に、スッと息を通して、その次の波にうまく合わせてこの滞りを伸ばして修復する。
そんな毎日だ。
ここに人の気の流れも絡んでいる。
だから、私達が余計な事に気を取られずに、まっしぐらに幸せに向かえれば、もしかしたらって思う。
幸せって、周りも嬉しい方がより幸せだし、全部の気の巡りと連動するから、単純に生きる感覚に意識を乗せて行けば、個人の幸せは、いずれ皆の幸せにたどり着ける。
この一年ぐらいは、まだ間に合うかな。
誰もが、この地球の苦しさに合わせて、滞りを解消していく事を始めたら、大難を小難に、小難を無難に、小さな個々の命のドラマの中で出来るスピードで乗り越えられるだろうか?
ただ、ミツバチの様に、一群となって動いていた所から
すっと
自分だけの道を見つけて取ればいい。
大きな社会の流れを自分がどうとは思わないけれども、
その動きの元の個々は自由に生き方を変えられるのであれば、
本当に間に合うかもしれないと、
私はここに着地したい。