複雑な霊的事情がざっと把握されることにより、年明けに、このことが終わりを迎えた。その少し前の状況を、記録としてここに入れておく。

この頃の探求はとても有難い。

何を書いても情けない気持ちになり何度も破棄していた事もあり、

それでも自分を信じて記録しておいてくれて、

誰にでも出来る事ではない、本当に貴重な体験だった。

そして、こんな中で、見失っていないだいじなものを、

これから取りに行く。

 

注意:ネガティブに免疫のない方は読まないでくださいね。

          以下
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

前日、新しい法律とハサップに対応する為に、加工場工事をしていて、

何をどうやって納得できる持続可能性が、ここに入る余地があるのかを思って、
一通りやさぐれてから、前向きに考えて行った先に、色々あって、
思いついた新しい仕掛けを構築できる可能性を掘り下げていた。


私には私独特のエネルギー通路があって、
自分の中に降りてくる智慧がある。

目を疑うような、思わず本当に?やるの?と思う様なものが飛び出してきても、
それはやってみる価値があると思えばワクワクした。

やはり、常識の範囲では思いつかない答え、どこからこんなものが戴けるのだろう。
出来る確信があって、やるやらないはともかく、書いてみようと始めたものがあった。

キッチリ時間をかけて仕上げて来たもの、見つかった答えを早く形にしたい衝動が、
やっては見失い、時間が流れて、私はあの力につかまってから、何度も機を逃し、
やりきれない思いに駆られ、癇癪を起す事もある。

この状態は、私の意志の弱さでもある。
自分の人生の状況は選べるはずだ。
出来なくされている、介入されていると言い訳に使う自分がいないか、気を付ける。


相変わらず

腹に違和感。毎日体に直接障りがある。
感情はいつも カラカラに乾いていた。力が湧いてくると全部消える様だ。

昨日、今日と、朝目覚めた時に、夢の延長の様な所を覚えていて、
自分に何が起こっているのか分かった。

弱体化というものだった。

潜在意識に、自分は頑張れない、力がないという刷り込みをされていた。
具体的に自問自答の様になっていて、よく聞くと、誘導尋問の言葉かけがされていた。
エネルギーは昨日のものと同じで、意図的だった。

気が散ったり、食べ物で紛らわしたりという事になりがちで、
場合によってはトイレまで、コントロールされていると感じている。

記録として残す為にブログに書いたけれども、あまりにも世間に対し人聞き悪くて、
昨日取り下げて、
今朝の介入で、やっぱり、明確に分かった事ぐらいは書いておきたいと思った。
その前後の出来事と、自分がどう感じていたのかも
これがエネルギーの使い方としてどうなのか、検証する必要から、自分の状況が分かる様にしておく。

あまりいい気持ちがする文章ではないので、見なくていいですからね。

私みたいに何かの力に掴まれて困っている方だけ、参考にしてください。


11月3日は加工所工事をしながら、久しぶりに、世間の話を聞いた。
何かの金賞で世界に認められる美味しい味を作った人の講演だった。
彼は、成功の秘訣は、自分の好きな味を追求するのでは ないのだと言った。
審査委員の好きな味を出すのだ と言った。
イタリア人、フランス人、好みの味が違うそれを見極めて、味を作ると。

そのレシピには、沢山の科学的な味の調合もあって、がっかりした。
こんな神がかった味覚を持ちながらも、こうまでして世間に迎合して、この人は人生、何を構築するつもりなんだろう。
そんな事、大きなお世話だろうけれども。


若い翼のエネルギー。自由な世界に飛び出していく様な気持ちで、目の前に夢中で挑んでいく、初々しさ、
よくビックサイト等の国際色のある展示会、私立の学校にも、廊下等によくあった空気感。
今は一つ一つ、エネルギーの質を識別しておこう。


今朝も、私は、「合わせ」と名乗るエネルギー体に捕まったまま、
おなじみ睡眠時に介入され、好きではないエネルギーにずっと爆され言葉かけされ、エネルギーを取られていく状態が続いていた。
でも、奇跡的に、夢を覚えていた。

それは、例えれば、調子の悪い父がよく、かけっぱなしにしていた昼間のテレビドラマの様な質感だった。
私はあれが嫌いなんだけれども、
私達の一般がどんな世界を生きているかを思った。

流される日常がどんなものか。

小さな悪い事を自覚なくちょこちょこする。
自分がやっている事が何に繋がっていくのか、単に、思い至らないというだけで、
そんなものだと思って、育った環境なのだろう。粗野で寂しい場所で、刹那に生きていた。

テレビドラマの様に、スリルのある場面が何度も出て来て、
その先へとただ、頭を使って こなしていく。そんな生き方をしている人が沢山いる。

これは、ネイティブ文化の崩壊が背景にある事を、私は身をもって知っている。
自分のルーツの文化が外れてしまうと、衣食住、くらしの中にある所作、身体の使い方がバラけて、
体を統一出来にくくなるのだ。
使い勝手が格段に悪くなり、つまりは土台が無くなるので、
意志も弱くなる。生きる方向性がバラけやすい。
それを組みなおす事が出来れば良いけれども、

そして、それは、今の時代、何かの憑依であったり、コントロールだったりもする。

憑依だって、何かのせいにしたら、きりがない程いろんなケースがあるだろうし、何かの力の影響を受けているのはほぼほぼ皆そうだろう。
人生って、自分持ちだから。何かの方向性に持っていかれている事が解れば、流れが見えて、
自分で自分が意図した人生に流れを変える事も出来るんではないか。


あまりにもひどい人生で、
奴隷の様に、命を使われている人たちがいる。
奴隷の様に命を使っている力がある。

コントロールする側の、あまりにも冷たい世界が、そこに永遠の様にあった。
ここにどうやって光が差し込んでいくのだろう、
それが、関わりなんだろうか。

関わりの力を信じていた私が、今、この力に掴まれて、
物凄い冷たい世界の住人に、毎日、おかしな介入をされる。
この私の生きている場所との違いが、
はっきりと分かる。
このエネルギーにつかまったら、運気の風が感じ取れない。

日の光がとても澄んでいて、それを巨木たちが受ける。木漏れ日が沢山美しい彩の模様を作る。
この神々しい世界で、そこに合わせられないで生きている事がどういう事か判る。
それでも諦めないで生きれる人がいるのだとしたら、
その人はきっと、その先を見ているのだろう。

何でこんな事をしたいと思うのだろう、
どんな執着があれば、
どんな縛りがあれば、こんな命の使い方で生きようと思えるのか。
きっと、その存在は、それしか知らないのだろう。

それはきっと、自分に合わないものは排除するという社会通念に隙間が無いから、
その段差を埋め、変化していけるだけの力が、流れてくるように出来ないのだろうか。
この力を、昇華出来る方法はあるんだろう。
誰もが、この呪縛を解かれて、命を謳歌出来る様になったらいい。

エネルギーというものの質を知ろうとした時、
ああ、こういう風に識別すれば、判りやすいのだと思った。
どんなものを思い浮かべるか、
このエネルギーだと、どんな人生になるか、映画の様に見えれば一目瞭然。

見せられた夢は、大きなヒントになった。
識別できるという事の幸いを思った。
掴まれて、部分的にはとても影響を受けるけれども、全体的には染まらないでやっていける事の奇跡を思った。
私はなんて幸せ者なんだろう。

私は、10代の頃、あのような冷たい場所に生きていた。
誰もが、愛されて生きている幸せに、人生のどこかで出会える様に、ちゃんと手を引いてくれる人に出会える様に、
そこ ここに溢れる恵みが見える様に、
仕組みを、作っていきたい。
それと、
私がこの呪いの様に冷たい力を外せる様になれれば、
きっと、どんな人にとっても 大きく道が開ける。

手放せるのは、諦めてしまえるのは、それでも生きていけるから。
手放せないのは、それだけ、それを必要としているから。
この問題の解決は、それは掴んでいる存在をも、本当の意味で、助けられるという事として、何かが分かりかけている。

変化していくという事がどういうことなのか、

この感覚は知っている。

 

この気付き、こことても大事。何度も何度も見つけては見失っているこの世界の核心。

私は、これを知っている。これを表にして生きたい。

 

波動が今はトレンドになっている。
高いに越したことはないのは判る。
自分も、波動治療によって、雁字搦めの状態から抜けて、動ける様になっている。
でも、波動が高いからといって、人間的に素晴らしいのか、沢山経験をしているのか、そうじゃない。

波動偏重の風潮には気を付けたい。

人は、過去と未来を内包した、この長い流体のどこをも生きれる。
沢山の経験を持って深みのある世界を構築していって、
そうして、一瞬一瞬星の様に輝いて今を生きている波動の高い方々が何と言おうと、
杓子定規ではないこの色どりを、大事に出来る様であったらいい。
何か星が見つけた新しい命の形がある。
もっとこうであったらという何かを掴んで、縄文を終わらせて歩み始めた、この綱渡りがもうすぐ終わる。
その終わりが、
安心の大地に着地出来るという事である様に、

どんな事も無意味に思える、動かない時につかまってしまったら、
動かす為に外側を探す私達を、揺らして泣かせてくれる力がいつも、訪れてくれますように。
泣いて流して、どんな時間も尊いとして、
動かなくなった循環を、再度、構築しなおそう。
動ける人が回ってくるから、
必ず迎えに行くからと、
約束がちゃんと、ここに合わせてもらえますように。

私は私が預かっている、命が循環する為の智慧の集大成である文化を、
これを集合意識まで運ぶ為に
どうするのか知っている。
でも、もう一つ力が足りない。
今私が出来るギリギリを
コツコツやらせてもらって、
どうにかそこまで行きつきたい。


もう、余計な事は、辞め時ですよ。

娘が呼んでいるので、ここで終わり。