親世代の愛情は、
戦争教育で育った親と理解しあえなかった切なさを飲み込み
ひもじかった子供時代に、お腹いっぱい食べられる幸せを、
自分の子供世代と分け合えず、
体を使って泣いたり笑ったりしながら何かに熱中していった命の喜びを
どうやって次世代に繋げられるのか判らないまま、
強制された在り方を、何度もはねのけ、自分の道を、勝ち取っていく醍醐味を 

惜しみながら、
子供たちの人生を見守る。
いつも、他者を身近に体で感じながら生きた世代。

どうか、自分の力が子供らの力になる様に。
小さなことにこだわらない。矛盾に潰されない大らかさで、
一緒に居てくれる。

私たちの世代は、思考で愛を形作るけど、
親世代の人たちは、体から溢れ出る愛で、そのまま一緒に居てくれる。

会社にもっていかないで、私に置いて行ってね。
それは、飽食の時代に足りなくなった、本当に欲しかった栄養だった。
遠い昔追いかけた、車の音。
信じてしがみついた力を、
どこで手放したかと思って、

誰に遠慮することをも知らずにぶつけていた
子供の躍動するエネルギーを、
素直な気持ちを
気持ち悪いと思うようになった、病んだ大人目線から


いつかまた、命そのままの動きを喜べるように。


刺さっていたとげを、見つけては、抜いている、長い長い今日まで、
帰って来てくれるはずの親の愛を、どこか未来で、待っている意識の使い方を、
ずっと、していたのかも知れない事、少し考えて見た。
 


親代わりの方々を慕って、

長いこと、自分の本当の父親を

自分から切り離していた40年ぐらいの時間が、

終わろうとしていた。

 

夕立の後に、帰って来た父の前で、生まれたての光が差し込んで来た様に、

それは突然やって来て、

 

庭で光が キラキラ

 

 辺り中が 喜んでいた。