星がご自分の命をかけて突き進む、星の選んだ生き方に対して、
とやかく言うことは出来ない。

命の力を、すごい勢いで消費しながら、究極の陰と陽両極は、より複雑に入り組み、
追いついていきたい、全体が越え切っていこうとする力が、泡の様に沸き立っている。

 
星の生命力にとって、これはどれくらいの負荷なんだろう。
星が選んだチャレンジなのだろうか。
 
 
それを信頼し、応援するということは、
自分や世界がどうなっていこうと、自分が判断することではないということ。

 
善悪も生き死にも、未来の概念も手放して
自分が見えている行きたい道、手を引かれる様に示される道を歩めれば幸せ。
そこに、全体で一つの生き物としての、私の立ち位置がある。
 

 
トカゲだってムカデだって、頭を潰されたって身体はしばらく動いている。
生きている限り、誰もが生を全うするという、矢野智徳さんの言葉を聞いて、

出来なかろうと、ジタバタしようと、私がもらった力を使って、
推移の力についていく。そうしたい私を、生きていく、
このことは、頑張ることでも、苦しむことでもないことを、思った。
  

命の宿命に沿う範囲で、
自分が自分の命の置き所を知り、全うする。
 
私は、世界が作った一つの答えだった。
 

  
社会は奇妙な暗さを身にまとう様になったけれども、
正義の顔をして現れた力のベクトルを、横目で見ながら 自分の大事に向かい続ける。

 
とんでもないコントロールが日夜起こっていても、
大事なのは暴く事じゃない。
 
どんな力も、丁寧に切り離して、
私がもらった人生に、耳を澄ませていく。

私が体験したこと、感性と知性で理解したことを、
様々な情報とすり合わせ、
何人もの他者とすり合わせ、
何度も何度も、思い返し、検証しなおし、
自分の頼もしさに、嬉しくなった。
 

 
遠隔で来る介入の恐さに取り憑かれた様な自分
不安恐怖は一種の病だ。
身体と世界と繋がれなくなったら、誰だって容易くそうなる。
そんな体験と、
結界を張ってもらい、守ってもらった時に身体が自由になり、
世界や自分と いとも簡単に繋がれた自分
健康で、気違いじみている。腹の底から声が出て、それこそ、何に繋がり、何が出てこようと、何の心配もいらない、
安心して世界に開いていける自分に戻れた時、
自分が何を与えてもらったのか解った。
 
誰もがかけがえのない人生を紡いでいる。
私もそうする。
 


星が突き進む、ここまでキツイ統合体験と合わせて、
信頼できる感覚を掴んでいる。

 
例え踏み外して滅びても、大事なことは、そこじゃない。
生き死には、これをやろうとして、突っ込んでいった親星に任せて、
意識の層を広げて、
親星が愛したように、世界を愛せていけたらいいな。