はい。内観始めま~す。

立派でない私を立派とし
気が付けない私を弁護し
悔しさをもったまま知らんぷりして関わることが気持ちが悪くてたまらない自分を、
それでも肯定していくのです。

何で気が付かなくなるぐらいに心が固まってしまうのだろう、
全く気を騒がしている事で気を散らしてごまかしている様なところも見ながら

人を見れる人と見れない人の差にとても注意を払い、人を頭で把握しようとしている自分を見ている。

私は知っているのだ。見える人にはどれ程の情報が入って来るか、
そうして、その感性で物事を把握した時に、解るという自信の元に、強力な固定観念で相手を縛る事があることも、
解るつもりでいるから誤解をとてもすることも、知っている。
それがこわくて、

つまり過去、散々そんな事をやったりやられたり繰り返し、

無意識のまま流れて行った結果を手にして変わりたいと思った自分が、警戒している。

 
そうならない様にと思って、頭で判断しない、把握しない自分を目指していながら
やはり頭でセキュリティを合わせている自分が判る。怖くてとてもじゃないけれども、開けっ広げではいられない。
つまりは、不安恐怖で物事を軌道修正していこうということは、

出来ないのだ。

究極、人は、何かを頑張って超えられることはないのだと、確か一昔前に結論が出ていた様な事を、

忘れていたんだな。思い出した。


体で相手の感覚を感じる事が当たり前な人達がいる事を知っている。
そういう人たちと、知り合って話がしたい。
壊れる程経験した自分が、感性のすり合わせをシェア出来るかも知れない唯一の方々の前で
判るであろう人達の前で、
セキュリティが壊れているからには一々パニックになってキュウキュウする気の嵐が恥ずかしくて情けなくて、
嫌で嫌でたまらない。

そつなく立ち振る舞い話す人達の中で、自分が浮いている様な気持ちになったりしながら

自分が駆け上がってきた道を思えば、
ここにいる誰もが当然かけがえのない人生をおくって来たと言う事も忘れて 自分本位で話をしたい。
もう20年やっている自分の努力と同じことを、ここにいる綺麗なお召し物を身にまとった方々が、して来たとは思わない。

そんな余裕のない自分を無理やり下がらせる。
 
 
私は、このブログにだって書いていた。5年も10年も前から
全肯定って
そんなこと、今更人に言われて、有難がっているわけにはいかない。
この悔しさを、どこかで判っていながら感じるところまで降りれない。
だから何が気に入らなくて私はこんなに浮き上がっているのか、

無意識に尖って乱暴な言葉を発するのか、

気が付いていないから選べないのだろう。

左右に広がり出る二枚の葉の様に、対になる感覚の繰り返し。
初めて山田征さんと出会った時の、山川夫妻との会でも、同じことを感じていた。


四六時中 人と自分を比べて どう思われるかに心を揺らし、
そんな自分に気が付けばがっかりし
どうにもならない絶望感や無気力感がふっと上がってくる。
イライラすれば自分をイジメたくなる。

それでも、
そんな自分を見ていく。
それが出来たら嬉しい。
もう、自分から離れたくない。


何度か見てみる。
当日夜はまだ、苦しくて、意識的に内観に入る事も忘れて何度か食べ物で紛らわし、
習慣で、無意識に内観と同じ意識のところに降り、寝ながら自分と共に居る。

その間中、何度も他者が障る体感に警戒し、体をチェックする。
その度、いつものミタマのいたずらっ子達に繋がり、がっかりする。

まだいるの?何で?
眠りとのはざまで、彼らの音波を脳が自動変換して聞いている事態は減ってきていた。

警戒、心配が、体から綺麗に剥がれて、隙間が出来る時が来る、そうしたら、この一連の茶番は終わる。
その経過を、何となく感覚的に掴んだ。


朝、この文を読み返し、もう一度 昨日を見てみる。

1つ、大変な心持ちになる習慣に気が付いている必要を思った。
何度か体の無意識が止めに入る様になってきている。
体が先に気が付いて、反応している。ケガする前に気が付ける様にならんと。

この、大変な事をやってきたんだからという心境は、
憶病さから、自分が自分の大事を通す事なく引いてしまう心癖への反作用で、
それでは困るから頑張ろうとする、揺り返す一連の無意識の心癖だ。
複雑に硬着してしまっている。

野口整体と一緒で、多分この時 体のどこかの部位が硬着しているはず。
これを見つけて、気を通し、意識的にここの緊張を外せれば、心癖へのアクセスは早いはず。
体と心同時ケアまで行きつく事と、空間の気に合わせて動く舞唄の出来る様になる事は一緒。
体が勝手に動くところまで、自分を信頼して明け渡せる様になるまでに、あと一山、大きなしこりが残っている。
何となく底が見えて来た。良かった。


きっと私は自由なコミュニケーションが出来る様になる。

私が今回師とした方の出版記念講演会。

関西在住の師が東京に来る希少な機会という事で、会いに、久しぶりの東京に行ってきた。

 

凄い人だった。

赤ちゃんの様に目覚めっぱなしでそのまま話す方だ。

そう言う人たちがいるから、場の力があって、気が付いて居やすい。

頑張って行った甲斐があって、友と一緒に貴重な機会をもらった。

 

本文の内容は、自分が人のエネルギーフィールド内で、自分の心と身体を こわ張らせてしまう体の習慣に、気が付けないからほどけないので、

出来るだけ目覚めた状態で、そのままの自分を 客観視して消化していく事で、自分のすべてを肯定して、緊張を外していく、と言う

内観仕事の記録です。

 

頑張っても無駄と言いながら、頑張ってるな~とかとか

ツッコミどころ満載でも、自分が分かっていれば、そのうち外れていくからいいよ。