世界のどこを見るかで世界観は変わってしまいます。
平和な場所も争いの場所も、残酷な場所もあるのでしょう。
その多様さを、何処を選んでも自由。しっかり体験したらいいのだと
一年前ぐらいに必死になって書いたものが、あまりにもきつくて、そのままにしてはおけなかったので
今の答えをここに出して、向うにリンクを張り付けときました。
心をきしませて、苦しみから逃れたくて、一つ一つ手立てを見つけてきたけれども、
見つけようとしたものは、ほぼ見つけられて、
何だ、何の問題もない、やるだけだとなった時に
全部はやれない自分に出会い
やりたいわけじゃない自分も判ったのです。
こんなに真剣に向き合ってきたのに、その膨大な時間は
誰かが答えを使ってくれなきゃ無駄になる。
でも、人は他者の答えではなく、自分の答えが欲しいのだろう。
そう思った時、
私はどうしたいのか?
判ったのです。
私はそもそも他者の苦しみから逃れたかったから、問題を解決したかったのだと思うのです。
幼い子供は、周りが悲惨であるほどに、自分を抑えるし、
長女であれば、より一層言い聞かせられて、何の拷問であっただろうと思うくらいの、毎日愚痴の聞き役で、
話につかまって身動きが取れない長い時間から逃れて、遊びに行きたかった。
物事を良し悪しで見る事を覚えたら、辺りの出来事が理不尽な事として目に映る様になっていき、大人達に対して不信感を持つようになった。
私の遊び場は埋め立てられるし、辺りにいつもふらふら歩いていた野良犬野良猫はいつの間にか保健所に連れていかれる様になったし、綺麗な道草を摘んで見せても喜ばず、そういうもの達は、畑に行けば、やっつけられるたぐいの者達とされ、誰ひとり振り返る人はいない。
巨大な力に対して正面からなんて挑めない。
言われた事をやっているふりをして、違う事をやっていく。
知らんぷりして、そっと大事なものを隠していく。
いつかわかってもらえる日が来る。だって、私の方が解っているから。私のやる事が多くを解決して、貴方の問題も解決するから。
その調和の一点だけを探して見つけて取りに行く。
良きも悪きも、そうやって身に着けた世渡り術で、
根本的には、何々されたから、そうするという、相手のせいで自分が動く様な世界に生きて来た。
全部が他者への対応であり、奉仕であり、他者ありきの人生を否定しない。
そうしたくなくても、仕方がないじゃない、そうなんだからと、腹をくくっていた様なところと、
そうじゃない答えを持っている自分が、ずっと同じところの裏と表に居て、合わせられないできたのだろう。
誰のせいでこんな事やってると思ってんだ。全部お前らのせいじゃないか、この答を持って行けよ。
そうして私を自由にしてほしい。
仕事をしろと言う上司の様な、もの事の押し付けをしなければ終われない世界に居る私が、何をやっているのかを知るのです。
大人達への対応としてやってきた半生をキチンとお返しして、自分の人生を始めたい。
お返しもなにも、
やってさし上げて、受け取ってもらえなかったら押し付けてまでも何とかして受け取ってもらわなければならない程、切羽詰まって生きる様なことはもう、やめられるでしょうから、
やめようと思いました。
大人になった今、私は自由意志で動けます。
お金や社会や世間体に縛られている様なところも、
大事な場所を壊されていくことも、
守りたい、助けたい人生をやっていて、
終わったら遊びに行っていい?と聞いてくるインナーチャイルドを待たせ過ぎて、
もう使わないんだろうって、体を取られてしまった様な気がした、この3年の身動きの取れなさでした。
人生で、自分の手で守れる範囲を決めて、自己矛盾ない様に生きられれば、
トイレが壊れて、外にコンポストトイレを作ったら、それだけで私は満足だった。
不便だし寒いし、衛生的じゃないとか、人にどう思われるか等、誰が何と言おうと、
自分の排泄物が土にかえる事が嬉しくてたまらなかった。
循環の輪に帰れる幸せ以上の幸せを、私は知らない。
後はどんな社会問題も、他者なのだから。
他者の問題に手を添えることは、仕事で、変えていける事の喜びぐらいにとどめて置ければいいのだろうと。
この、とどめるという切り上げ方が難しいのだけれども、
子どもの頃出来なかった、自分の体に自由に動いてもらうことを、やる時間を、これから取っていけるように。
友人が採ってきて見せてくれた ビワの花。とても独特の素晴らしい香りだった。
こう宣言しなければ忘れるくらい、今はまだ、やる事優先になっている自分を見ていきながらも、
少しずつね。