あの頃と、

何ら変わってない顔。

何ら変わってない笑顔。

何ら変わってない空間。


変わらない絆。


2年ぶりに会った友人は変わったようで、

どこも変わっていなかった。

いや、やっぱりどこか変わったのかもしれない。

でもそれは外からじゃなかなか気付かなかった。

きっと見えない部分ですごく変わっていたんだと思う。


大学時代の友人との再会。

2年ぶりの再会。

3月3日、ひな祭り、

男ばかり、女性3人の同窓会。

全員が集まることは、仕事柄、

全国に散らばっているからなかなか難しい。

そんな中、北は山形、南は熊本までの13人が集まった。

約半分の仲間が再び東京・多摩の地に集まった。


どこか恥ずかしい。

久々だから緊張する。

そんな不安も多少あった。

けれど2年の歳月を感じさせることなく、

会って酒を飲み交わすとなると、

あの頃と何ら変わらない空間がそこにはあった。


2年の歳月で何か変わったのだろうか。

成長できているのだろうか。

それは自分ではわからないかもしれない。

まだその成長した部分が表に現れていないかもしれない。

お互いに成長しているから気付かないのかもしれない。

また2年後の同窓会で、

今度は形あるものとして成長した部分を存分に見せられるようになっていたい。


そんな同窓会の次の日は卒業式。

2年前、まだ1年生だった後輩たちが、

多摩校舎最後の学年として卒業した。

学校がなくなる。

寂しいというよりもただ悔しい。

どうにもしようがないことだけど。

名前はつくばに移っても残るが、

みんなで過ごした場所がなくなる。

多摩校舎に戻ればいつでもあの頃を思い出す、

それがもうできなくなる。



山の中にひっそりとある農業者大学校。

それは私たちにとって秘密基地のようだったかもしれない。

そんな秘密基地がなくなってしまう。取り壊されてしまう。

つくばの研究施設内に移転はしたが、

そこはもう秘密基地ではない。

つくばの土地柄、秘密基地というよりは秘密結社か。


昨年4月に入学したつくばの学生とももう2、3度会った。

先月には講義しにも行った。

彼らの姿は多摩校舎時代と何ら変わっていなかった。

学生20人強いるにも関わらず、

講義の出席者は半分以下の10人程度。


何のためにつくばに移ったのか。

こんな姿を見せ付けられてしまうと、

多摩校舎がなくなるのは寂しいよりやっぱり悔しいである。


多摩で過ごした3年間(実質2年ちょい)で、

培われた経験と絆と思い出は忘れることはないだろう。
後輩の中にはもう会わない人もいるかもしれない。

でも一緒に過ごした1年ないし2年間は忘れない。
同期生とまた会えばあの頃を懐かしく思い出すはずだ。

彼らと同窓会でまた会えば、

あの頃と何も変わらない空間がまた広がるはずだ。

やっぱりこの空間がすきなんだ。


変わらない絆。