花とお菓子とテーブルと…
「端午の節句」 Part2
端午の節句といえば菖蒲がつきものですね。
これは、古来菖蒲の葉の強い香りが
邪気を払うとされていたからですが、
鎌倉時代になると武家社会になり、
菖蒲を「尚武」=武を尊ぶと解し、
重んじられるようになりました。
・
「鯉のぼり」
鯉はもともと威勢のいい魚で「鯉の滝上り」
とも言われておりました。
「登竜門」の言葉もここからきているようです。
室町時代になると武家では竹竿に
布を張り、「吹流し」をたてました。
江戸時代には
町人階級も紙で作った「鯉のぼり」を
竿につけて高く掲げて対抗して
遊んでいました。。
やがてこの風習は広く
一般の人々に広まっていきました。
・
「粽」「柏餅」
屈原が身を投じた川に人々が
投げ込んだ粽は
茅(ちがや)というもので
巻かれておりました。
今は笹の葉で巻きますが、
茅は霊力があると信じられていたようです。
五月五日といえば、
粽と柏餅が
大の楽しみでもあります!
・
柏の葉は
新芽が出たのを見届けてから
古い葉が落ちます。
そのため、子孫繁栄、代々継承
の願いを込めて、使われてきました。
・
柏餅美味しいですね❤
「端午の節句 」 Part1
端午の節句とは奈良時代からの古い行事です。
端午というのは、もとは月の端(はじめ)の
午の日という意味で、5月に限ったものでは
ありませんでした。
が、午(ご)と五(ご)の音が
同じなので、やがて5月5日の事と
なりました。
・
由来:「屈原の話から」
昔「楚」の国の国王の側近に
屈原(前340年~前278年)という
政治家がいました。
彼は陰謀により国を追われ泪羅という
川に身を投げてしまいました。
・
屈原の身が魚に食べられないように
人々は太鼓を鳴らし、粽を川に投げ入れました。
これがドラゴンレースと粽の
始まりです。
・
このようなエピソードから
毎年命日の5月5日が屈原の供養のために
祭りが行われるようになり、
やがて中国全土に広まっていきました。
・
そしてその風習は
病気や災厄を除ける大切な宮中行事となり、
端午の節句となりました。
やがてそれは日本にも伝わってきました。
・
江戸幕府が五節句の一つとして
式日に定め、武家社会から町民へと
広がり、男児の祭りとして定着しました。
・
男児の無事な成長と一族の子孫繁栄を
祈り邪気払いとして菖蒲や蓬を
軒下に吊るすなどして、男児の健やかな
成長を祈る伝統行事と
なりました。
・
急に暑くなるこの時期は
五月を毒月とも言い、
厄除け、毒除けをする意味で、
健康増進を祈願しました。
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