【麗し大和】(12)

 夕日の向こうは西方浄土。人々がそう信じたのも無理はない。空をあかね色に染めた美しい二上山(にじょうざん)の落日は、この世で見る浄土の眺めそのものだったろう。

 山と自然が織りなす景勝美は、今も昔も人々が奈良にひかれる理由の一つだ。古来、国中(くんなか)と呼ばれた奈良盆地に立つと、朝日が昇る東に三輪山、夕日の沈む西にはちょうど二上山が見え、その配置の妙に古代信仰の一端を見る気がする。春分の日が近づいたこの日、撮影スポットで知られる三輪山麓(さんろく)の檜原(ひばら)神社(大神神社の摂社)では多くの人が日没を待っていた。

 二上山を「生の世界と死の世界をわける結界」といったのは作家の五木寛之氏。山を越えるとそこは聖徳太子ゆかりの大阪・太子町で、古代陵墓や古墳群がひしめく。大和の人々にとって、文字通り山の向こうは“死者の国”だった。近著「親鸞(しんらん)」では聖に「二上山のかなたに沈む夕日をながめれば、きっと理屈でない浄土がわかるだろう」と語らせていて興味深い。

 実際、二上山雄岳(おだけ)の頂上近くには墓がある。謀反の罪で死んだ悲劇の皇子、大津皇子(おおつのみこ)とされ、姉、大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌が有名だ。

 うつそみの人なる我や明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む(万葉集)

 近しい人を亡くした悲しみは、時を選ばず忍び寄る。皇女にとってどこからも見える山こそが弟をしのぶよすが。夕映えの二上山はまさしくこころの浄土だったろう。

文 山上直子

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