震災で思ったこと、その1 | 業界紙記者の「やっぱり、こう書けばよかった・・・」

業界紙記者の「やっぱり、こう書けばよかった・・・」

業界紙記者歴15年。旧来型インディーメディアの業界紙のこれからなど、新聞製作を通じて感じていることをつづります。

 東日本大震災については、未だ自分でも整理がついていない部分もあり、新聞での記事以外で原稿にまとめたことはほとんどありません。新聞記者としては、何もできなかったというのが実感です。
 阪神・淡路大震災の時は、まだ新聞記者になっていませんでしたが、その後、教育系の新聞で記者になってからも、例えば中越地震のときだったり、あるいは大阪・池田小学校の事件だったり、大きな事件・事故があった際に、これまでは「やれることはやったな」という感覚はありました。それは現場に行かなくても、記者として伝えるべきことはたくさんありますし、その中で一杯いっぱいになりながら仕事をしたなという実感もありました。
 ところが、今回の震災では、腰が引けていたなというのが正直なところです。それは歳をとったせいなのか、子どもができたせいなのか。もちろん、自分の故郷が震災に遭ったということもあるかもしれません。そのことは、いずれ書く事もあるでしょう。
 
 で、新聞として。
 新聞としても思うようにはいかなかったなあと。私自身としては、昨年の1月に哲学者の内山節先生にインタビューし、掲載しようという矢先に震災になったため、急遽、震災後にも追加のインタビューをさせていただき、併せてロングインタビューとしてまとめたこと。それと、木造の仮設住宅に関してまとめたことぐらいです。もちろんストレートニュース等々で、震災関連の記事は今も書き続けていますが。
 私が担当した以外の企画では、昨年5月に、気仙沼に大工道具を支援物資として贈ることを呼びかけ、全国の読者工務店にご協力いただきました。
 その際に、被災地では電動工具類が必要なんだということを聞いたのですが、さらに、CADや見積り用のパソコンも足りないということも、その時知りました。当時は工具類が必要だろうとまでは考えていたものの、パソコンの必要性には思いいたってなく、自分たちの想像力の無さを反省したことがありました。
 と、同時に、業界紙の業界を超えた連携が出来ていれば、もっと被災地の役に立ったのに、と振り返って反省しています。
 私のいる新聞社では震災直後から住宅分野での震災関連の情報は逐一WEBで発信する態勢はとっていたのですが、例えば、もしIT関連の業界紙さんと連携して、それぞれが発信するニュースを一度に見ることができるサイトを緊急に立ち上げていれば、パソコンが足りないという被災地の工務店さんに必要な支援がいち早く出来たかもしれません。そのほかにも、自動車関連や食品関連等々、業界紙・専門紙の横のつながりがあれば、もっと復旧・復興に資することが出来たのでは、と思っています。
 専門紙・業界紙の社会的な意義を考えた時に、その辺の所が、ひょっとしたらこれからのヒントになるかもしれません。