私自身の心の整理だと思いますが、よかったら読んでみてください
最後の兄①
昨年 9月30日 AM11:47 私の兄が亡くなった。
前日の29日の午後に兄の自宅で体調が悪そうではあったが会ったばかりで
30日AM5:00頃に体調が急変し救急車で病院に運ばれそのまま集中治療室へ
私も夜中ではあったが病院に駆けつけると兄の意識はあり、いくつかの言葉を交わした。
以前から病院嫌いで入院しても勝手に帰ってくるなどがほとんどだったため
私は兄に「もう観念して入院せなね」と言ったら兄は「もうだめかもしれん」と言ったので「そんな弱気じゃいかんやろ!ラーメンもレシピしかもらってないし、、、ちゃんと教えてくれんと作れんよ!」
兄「分かった」
というのも兄が体調不良でここ1年半ほど店を開けたり閉めたりで私も兄を心配して私も別に仕事をしているのだが、兄のラーメン屋の手伝いをしょうと思っていたので、「ラーメンの作り方を教えてくれ」と言っていたのだが
兄もまだ大丈夫やろ(すぐに亡くなるとは思っていなかった)またでいいと思っていたら
9月28日
兄「レシピを渡すから来てくれ」
今まではラーメンの作り方も教えるし
レシピ帳も渡すといっていたがなかなか渡さないのにそんなに急に?
しかし私も突然の電話で私も行くことができず、、、
9月29日午後
兄に会うといつも以上に体調が悪そうだった。
それでも無理をして2階まで行きレシピ帳を持ってきて私に手渡してきた。
私にそれを渡しながら
兄「今まで誰にもレシピを教えたことはない」「それがレシピだから、、、、」
レシピ帳、、、料理人でもない私にはわからない事ばかり
兄「教えるから書いて、、、、」
カエシと呼ばれるラーメンのタレの原材料についてや
塩のカエシ、醤油カエシ、チャーシューの作り方など
いろいろと教えてもらったがとてもちょっと聞いて分かるものではない。
20年ちかく料理人をしてきた兄の技術を1,2時間聞いて分かるわけもなく
私「ちょっと待って、そんなに聞いても全然わからない、ちょっとずつ教えて、、、、」
兄「そうやね!茂雄にラーメン教えてもらったほうがいいかもね」
茂雄とはラーメン海鳴の大将 大久保 茂雄氏であり
私たち兄弟の従兄弟になる。
兄「茂雄にレシピを見せたらわかるはずだから、、、、」
今まで人に見せたこともないレシピを見せていいのか尋ねると
兄「茂雄の店はラーメンウォーカーで1番になったりする店だから盗むものもないだろうけど、、、なんか足しになればいいけど、、、いずれにせよ、従兄弟だから茂雄に教えてもらいい!」
これが29日午後の会話だった。
話は戻るがそれからわずか12時間後には体調が急変し
救急車で病院に運ばれ集中治療室へ行くところである。
移動式のベットに横になった兄は明らかに体調が悪かった。
そこにいるみんなが最後になるかもしれないと静まりかえった雰囲気に
兄「ナシが食べたい」
重い雰囲気の中に一気に雰囲気は明るくなった。
私「早く元気になって食べなやね」
それが最後の兄との会話だった。
レシピ帳を私に渡してから24時間後には兄は他界したのである。
兄は自分の最後の時間がわかっていたのかもしれない。
だから私にレシピ帳を取りに来るように催促してきたのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回は、兄と私②という題で書きたいと思います。
本来、ラーメンの内容やイベントの告知をするべきですがすみません。