玉音放送<第三十二回> | よんどくのブログ

玉音放送<第三十二回>

 ロシア兵は、「ヨボイマッチニズナホイ」とか大声を出しながら、いきなり右手に持っているベルトを、「一郎の胸のあたりを目がけて打ち込んできた。一郎は両手で顔を庇いながら、上半身をねじり、ロシア兵に背を向けると、二発目が一郎の背中からわき腹のあたりに命中した。ロシア兵の隣には、今にも一郎に飛びかからんばかりの大きな灰色の犬がいる。よだれを垂らしながら、目をぎらぎらさせて、主人の命令を待っている。



 ロシア兵は、ベルトを首にかけ、空いた右手で肩にかけていたマンドリン(ロシアの自動小銃)を持ち、一郎の目の前に銃口を突きつけ、ニヤッと笑った。意外に小さい銃口が一郎の目の前で不気味な金属の光を放っている。一郎は、両手を挙げてふらふらとさつまいもの上に立ち上がると、目の前の銃口と、ロシア兵を交互に見た。ロシア兵の吐く息が酒臭い。「こいつ酔っぱらってやがる・・何をするかわからない」と一郎は思うと、余計に恐怖心が高まった。一郎の怯えている表情が面白かったのか、ロシア兵は笑いながら、左手に持っていた薄むらさき色のサイダー瓶を自ら一口飲むと、一郎に差し出し、顎でしゃくって何事か言う。恐らく「お前も飲め!」と言っているのだろう。一郎は瓶を受け取ると、恐る恐る匂いを嗅いでみた。機械油みたいな匂いに、一郎は思わずえづき、ロシア兵に向かって首を横に振った。



 みるみるロシア兵の表情は厳しくなり、銃口を一郎に向けて、瓶を顎でしゃくりながら大声で「飲め!」と言う。「殺されるよりマシだ!」と一郎は覚悟を決め、目を瞑って瓶の中に入っている液体を一口飲んだ。その途端、

えぐい匂いと、刺激が口の中全体に走った。思わず涙がポロポロとこぼれた。一郎のその様子がおかしいのか、

ロシア兵は大声をあげて笑った。



 ロシア兵は、銃をさつまいもの山の上に置くと、右手の親指を上に向け大きな声で「ロスキーウオー!」、そして逆に親指を下に向けて「ヤポンスキー(日本人)、カレスキー(朝鮮人)、フィー」と一郎に言う。一郎がとうなずいて見せると、ロシア兵は、気を良くしたのか、一郎からサイダー瓶を取り戻し、自分で一口飲みながら、犬を連れて出て行った。後で分かったことだが、ロシア兵がサイダー瓶に入れていた液体は、日本の飛行機の残骸に残っていたメチルアルコールと何かを混ぜたものであったらしい。