問い詰められた責任を下位の関係者に被せて逃れることを、分かりやすく「蜥蜴の尻尾切り」などと別言したりします。

 前日(39)まで「瑞穂の国記念小学院」開校に向けて並々ならぬ意欲を見せていた籠池氏が、一夜明けた10日になって、突如大阪府への認可申請を取り下げました。

 美味なる好物を腹いっぱい食べてぶくぶくと太った大蜥蜴が物陰に身を潜めて奸策を巡らしていたところ、胴体が肥大化したために尻尾が物陰からはみ出していた。


 怪しげな気配を察知して尻尾を捕まえたところ、蜥蜴は尻尾だけを切り捨てて暗闇に逃げ込んだ。そして、ただひたすら息を殺して喧噪が治まるのを待っているのだが、この尻尾には口がついていて何を喋り出すかわからない。そこで、蜥蜴の胴体が人知れず尻尾の回収に乗り出した、というところでしょうか。

 籠池氏は、9日の昼頃に「胸のうち」を明かす動画を公開しています。そこでは、「同志」の間柄にあると信じていた政治家たちがこぞって籠池氏との関係を否定し始めたことに対する違和感や反発が、その一例として次のように語られています。


「 国会議員の先生が私のことを『全然知らない』と言っていたが、よく存じ上げている方もいらっしゃる。 『 10年前にしか会ったことがない』とおっしゃっていたが、そんなことない。 2年ほど前にお会いしたことがあるのではないかと思う。ある特定の会合の中で。でも、そういうことを言わないのはおかしいのではないか。 籠池潰しはやめてほしい尻尾切りはやめてほしい

 しかし、大阪府への認可申請が取り下げられた後は、事実を仄めかしていたと思われる「尻尾からの遠慮がちな胴体への反論」も、もうすっかり両者の間に引き取られてしまったかのようです。

 蜥蜴の胴体が切り離した尻尾の未来を約束する、といったような闇取引が成立したのでしょうか。それとも、恫喝の手段に出たのでしょうか。

 いずれにしても、蜥蜴の「胴体」の方をこそ白日の下に引き摺り出して、この疑獄事件の真相を解明しなければなりません。

 ところで、塚本幼稚園では園児に「教育勅語」を暗唱させ、そこに謳われている精神を園児たちに涵養しようとしています。そして、首相夫人の安倍昭恵、稲田朋美・鴻池祥肇氏を始めとする政治家ほか多くがこれに共感し、賛辞を送っているのです。

 「教育勅語」(1890/明治23)とは、大日本帝国において、明治天皇の名で国民道徳の根源、国民教育の基本理念として示された「教育ニ関スル勅語」を言います。御真影とともに天皇制教育推進の支柱となり、国の祝祭日に朗読が義務付けられていましたが、敗戦後の1948年に国会決議として排除・失効が確認されています。



敎育ニ關スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽



 ここでの、12に上る徳目を順に見ていくと、

『 ①親に孝養を ②兄弟・姉妹は仲良く ③夫婦はいつも仲むつまじく ④友だちはお互いに信じあって ⑤自分の言動をつつしみ ⑥広く全ての人に愛の手を ⑦勉学に励み職業を身につけ ⑧知識を養い才能を伸ばし ⑨人格の向上につとめ ⑩広く世の人々や社会のためになる仕事に励み ⑪法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。 そして、⑫国に危機が迫ったなら国のために力を尽くし、そうすることで皇国を永遠のものとして支えましょう 』といったことが記されています。

 12番目となる徳目『一旦緩急アレハ……』の文言をこの時代の政治的文脈で読みとると、
  「国民」に対し、常日頃から、いざという時には天皇を頂点とする神聖な国家体制(国体)を守るために犠牲となる覚悟をしておくよう求めている ということになります。

 もちろん、これらすべての徳目が天皇を支えるという目的のために存在しているということは、言うまでもありません。



 ここで、高橋源一郎さんによる「教育勅語」の意訳を以下に紹介しておきましょう。
 

「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」

「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです」

「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」

 とまあ、サクっと訳したので、若干間違いあるかもしれませんが、だいたい、いい線いってると思います。自分で読み返して思ったんですが、これ、マジ引くよね……。 



 さて、あるサイトに、次のような主張が寄せられていました。

 『 廃止された「教育勅語」には日本を駄目にすることが書いてあったんですか?・・・・・いいえ逆ですよ! 左翼的な戦後教育を推進するにあたり、GHQや日教組が国民から愛国心と天皇崇拝の思想を排除させる為に廃止したのです。お蔭で日本人の道徳心は乱れて今の有様になりました。この素晴らしい教育勅語、今の日本人にどれくらい残っているのでしょうか? 』

 ここからは、「教育勅語」を賛美する、あるいは『「教育勅語」にはいいことも書いてある』と言う面々に共通する本音と、あまりにも短絡的な思考様式の存在が観察されます。

 こうした人たちには、①~⑪の徳目を別紙に書き出して自分の部屋の壁にでも掲げておくことをお勧めしたい。

 そして、せめて『 ■自分の言動をつつしみ ■人格の向上につとめ ■法律や規則を守り社会の秩序に従い ■広く世の人々や社会のためになる仕事に励み ■広く全ての人に愛の手を 』差し伸べることができるような人間になっていただきたい。ねぇ、政治家の○○さん! お笑いの△△さん! 

 

 

                                             -2017.3.11-