たびたび、本を捜し求めることは男漁りに似ていると書いたけれども、本を読むことはお酒を飲むことにも似ている気がしてきた。

ううむ、このあたり、あたくしも随分成長発酵してきたざます^^;。

この本は、目の前にあるのになかなか手を出さないワインボトルのようなもので。
どういうわけか、この本も同じのが2冊溜まってるんだけど。(←ボトルキープか!?)

早く飲まなきゃなあと思っても、ついつい後回しになって。

時々、味見程度にちょこっと舐めてみたものの、そのまま放置。(汗)

そんな苦難を乗り越えて、やっと重い目を上げて読みだしましたわ。

<南米ペルーの森林で古代文書が発見された。そこには人生の意義に触れた深遠な知恵が記されているという。私は、なにかに導かれるようにペルー行きの飛行機に飛び乗った。偶然とは思えないさまざまな出会いのなかで、一つずつ見いだされる九つの知恵。それは、いま、人類の意識が変革されるべき時であることを告げていた…。>


スピリチュアル本としては、かなり有名らしい本なのですが、本職の作家ではないので読みにくい。


真理を求めて苦難を乗り越えながら冒険する。

というのは、欧米人が大好きなパターンなんだけど、情景描写が下手だから、どうも疲れる。

だらだらと日記のように続く文章は、小説的にも紀行文的にも面白味に欠ける。

(同じような本としては、シャーリーマクレーンのペルー行きの話のほうがとても面白かった)


それに「9つの知恵」の謎が、大変な苦労の末、都合よく順番通りに見つかるというのも、RPG並みの不自然なストーリーで。というか、RPGの方がよっぽど面白くて興奮するざますけど。(笑)

あと、これはあたくし個人のみの感想なんだけど、仏教信仰はしていないけれども、仏教国に生まれて自然に仏教の教えが身についている自分にとっては、神様(仏様)とは一身同体のような感覚がある。

つまり、神様仏様は自分の中にも自然の中にも道往く人びとの中にも、どこにでもいるような気がしているのだけど。

だから、わざわざ冒険をして危険を冒してまで探すものではないと思っちゃう。(笑)

真理を追究する場合は、瞑想とか修行とか、自分の内側に向かっていくのが仏教。

一方、西洋人の神様の場合は、崇拝の対象として自分の対極にいて、だからこそ、冒険をしてまでも探しあてなくてはならないのかしらと思う。
つまり心身ともに感覚的にどうもそぐわないので、読み下すのにとても苦労した。

で、結局究極の「9つの知恵」って何ですかって?

ううう~(汗)、それは教えるわけにゃいくまい。

真理は自分で探究するものじゃでな、ふぉっふぉっふぉっ~♪


そそそそこを何とか、お願いしますよ。




・・・・・・・。

・・・・・・・。

・・・・・・・。


返事がない。

ただのしかばねのようだ。。。


じつはまだ読み終わってないのぢゃ!(逃)





ジェームズ レッドフィールド, James Redfield, 山川 紘矢, 山川 亜希子
聖なる予言
ジェームズ レッドフィールド, James Redfield, 山川 紘矢, 山川 亜希子
聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

シャーリー マクレーン, Shirley MacLaine, 山川 紘矢, 山川 亜希子
アウト・オン・ア・リム (角川文庫)