あちこちのコラムやエッセイで時折見かけるものの、書いてある内容がネガティブというか不平不満や文句ばかりで、わざわざ本を買ってまで読むほどの興味がなかった。
辛口コラムニストなどと云われているけど、単に年寄りの「我儘」と「言いたい放題」に過ぎないなあと。。。
ところが、「何用あって月世界へ」というタイトルと単行本のシンプルな装丁になんとなく心魅かれて読んでみた。
<犬を鎖でつないでおくと、放してくれと泣き叫ぶから、放してやると狂喜してとび出すこと矢のようだが、考えてみれば犬に急いでいくところなんぞありはしない。>
ふむふむ、なるほどねえ。
鋭い!(笑)
山本氏が数年前に87歳で亡くなったと聞いたとき、一抹の寂しさと共に、これで、やっと山本作品を抵抗なく読めると安堵する心理はなんだったのかしら?
失礼ながら、故人だから微笑ましく読める。
それは、生前さんざん週刊誌を賑わせて、今の細木数子的存在のような扱いをされていた、元祖女帝芸能人、美空ひばりが、亡くなってから、あたかも神話の女王のように崇め奉られていたり、「そりゃいかんぜよ!」以降、なんとなくパッとしなくて本当に「こりゃいかんぜよ」状態だった夏目雅子が、亡くなった途端に、天逝の大女優として映画界に大打撃を与えたかのような報道をしていたマスコミと同じ心理?
いえいえ、そんなこたございません。
あれだけ言いたい放題だから90歳近くまで長生き出来たのよね。と、憎まれ口のひとつも叩きたくなるほどの小憎らしいジジイだったけど(笑)、じっくり読み返してみれば、肌で感じた大正・昭和を筆一本で描き表わせることができる貴重な存在だったし。
<ちやほやされるのは、幸福に似て不幸である>
ニヒリストと言われるその根底には、劣等感や心の傷や気の弱さが見え隠れする。
山本氏は、太平洋戦争を挟んで、過酷な時代を生き抜いてきた世代の鬱屈や哀しみの代弁者でもあった。でも代弁者であったにも拘わらず、それを意識していたのかどうか。。。
世の中に背を向けていても、作家として人生を全うすることが出来た恵まれた人だったと思う。
人は死んだら仏さまになる。
何も死して大仰に崇め奉られなくても、人びとの心の中に、苦笑いや微笑と共に、ひっそりと懐かしまれる人生があっても素敵だなと、月を見上げて思うのでした。
<何用あって月世界へ?
月はながめるものである。>
- 山本 夏彦, 植田 康夫
- 何用あって月世界へ―山本夏彦名言集