Ahaha堂本舗のブログでは、短い記事の中に、ahahaさん の哀悼の気持ちがよく表れている。
作家の死とは、辛いものだ。
会ったことがなくても、芸能人や著名人の死というものは、我々の心になんらかの傷跡を残すものだ。
が、私にとって、作家の死というものは特に心に響いてしまう。
何故ならば、文芸作品というのは、その人の精神そのものだと思うからだ。
一度、それを覗いて知ってしまった以上は、なにやら知人が亡くなったような喪失感と、時間を共有した後ろめたさを感じてしまう。
それから悲しみがそっとやってくる。
もう二度と、その人の新しい作品に出逢えることはないのだ。
その人の過去を振り返ることしかできないのだ。
作家というのは、総じて長生きできる人は少ない。
これは、作家業がいかに心身共に激務で、毒のある仕事かの証明でもある。
また自殺した作家のなんと多いことか。
作家の自殺率。などというものが存在するかどうか知らないが、あるとしたらかなりの確率だろう。
芥川龍之介、有島武郎、太宰治、火野葦平、三島由紀夫、川端康成、鷺沢萠、加堂秀三、矢川澄子、江藤淳、野沢尚、森村桂...
(思いつくまま、順不同)
近年は作家も賢く(?)、小奇麗になり、サラリーマンのごとく、きちんとスケジュール通りに仕事をしたり、健康管理にも充分気をつける作家が多くなった。つまり自己管理が出来るのである。
けれど元来、作家とは不摂生、不養生がモットーであったような気もする。
自分勝手を言わせて貰えば、作家とはある程度の無頼感があり、通常の市民生活では修まりきらない『なにか』を抱えて、生きていて欲しいのである。
その何かとは、作家の内臓からはみ出してしまった情熱だったり、愛憎だったり、怒りだったり、哀しみだったり。。。
我々は、まことに勝手ながら、そういった破綻した非日常や非現実的な生き様が描き出したものを、冷ややかに見つめるのである。
まるでひとごとのように。
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- 倉橋 由美子
- 倉橋由美子の怪奇掌篇