思い出話みたいな① | 木暮賢一郎オフィシャルブログ「guregoal」 Powered by アメブロ

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元フットサル日本代表、木暮賢一郎<GURE>のオフィシャルブログ 「guregoal」

 フットサルの先輩であり心を許せる先輩としてイチ君(市原選手)と治君(難波田選手)が居る。この二人が居たから今の自分が居ると言ってもいいくらいだよホントに。イチ君はメンタル面で治君はプレー面で成長させてくれた存在。


 そんな感じでまずはイチ君との出会いから。もう10年前くらいになるけど、出会ったのはセンター北にあるフットサル場。ちょうど俺はウィニングドッグでフットサルを始めた時で、イチ君はエスポルチ藤沢という新しいチームで始動し始めた時かな。前にも書いたけどこの出会いが俺をフットサルに引き込んだんだけど、とにかく毎週毎週練習試合をしてた。エスポルチはもうフットサルをしてたけど、ウイニングドッグはミニサッカーって感じだった。今じゃ当たり前だけど、その当時にフェイクしたりスイッチしたりと最先端だったよね。こないだ小野っちとも盛り上がったけど、Lっていう戦術があってそれはも何回やっても引っかかるくらい凄かったよ。


 そんな感じで練習試合や大会で試合をする中で、エスポルチを倒すことが目標というか快感というか、とにかく勝手に対抗心を持ってたのを良く覚えてる。そのあとすぐにイチ君はカスカベウを甲斐さんとかと結成したけど、ウィニングドッグとの関係は変わらなかった。関東ではファイルフォックス・カスカベウの2強についで3番目的な位置に居た俺らは、常に反発心を持って試合してたし、とにかくカスカベウには負けたくなかった。


 試合をしながら色々教わったりしながらも、その頃はまだそこまで深い関係にはなってなかった。どちらかというと若かった俺はとにかく負けたくない気持ちのが強く、カスカベウとの試合が1番燃える感じがあった。はじめて呼ばれた2000年の代表候補合宿でもそんなに話した記憶も無いし、その頃はまだ少し遠い存在だったような気もする。


 そんな関係からグッと近づいたのは2001年の年末の代表からだと思う。イチ君はカスカベウで俺はファイルに移って1年目の頃。といい感じのところで続きはまた明日(笑)このネタでしばらく引っ張ろうと思ってるのでお楽しみに♪


カンボジアさん、最近は数えたことないですが、回数をこなすよりも色んな所を使ってリフティングするのが

          良いと思います。


phantnm-partyさん、動画は撮れるか分からないですが、どこかで披露出来たら良いなと思います!