体調、絶不調でした!

寝込むこと5日目にして、ようやく復活!!


頭痛と吐き気から始まった症状たちに、



下痢

と症状が加わっていきました。


1番、私の中でなにが不良だったかって、
「食欲不振」です。
異常でした。

ま、吐き気があるところに、
こちらの油っこい料理ですからね。
食欲落ちるのは当たり前なんですが。
(むしろ正常な体の防衛反応)

それでもいつもだったら、ちょっと無理して食べるのに、
今回はもうお手上げ。
1粒も受け付けられない。

最初の1日2日、何度
「いしゅたはむ よーく」(食欲ない)
「ぃえぎむ うむまん よーく」(食べる気ゼロ)
と繰り返したことか・・・。

「ぬまぎゃ?!」(なんで)
と聞かれても、私だって
「びるめいまん」(わからない)ですよ。
「まざむ よーく」(体調悪い)
としか答えられない。

私もあれこれ原因を考えてみたんですけどね、
風邪とか食あたりとか。

しかしどれも違う感じ。
考え付くとしたら、
「夏の疲れ」??

3日目から、お母ちゃんが心配してくれて、
私の絶食を認めてくれたり
(吐き気があるんだもん。無理に食べられない)
吐き気の無い時は、
油ぜろのスープ(!!)を作ってくれたり、
協力してくれるようになり、助かりました。

(他の人は”体調悪いなら沢山食べなきゃ”という対処なので)


下痢の症状に偏ってきた一昨日からは

「下痢にはアイスクリーム!!」とみなさんの意見が一致して、
1日2つのアイスクリームを頂きました。


アイスクリームのおかげか??
今日、やっと下痢も止まってきました。


明日から、ようやく職場復活できそうです。
といっても、明後日からタシケントに上がりますが・・・。

この5日間。
「これで痩せてなきゃ、ウソでしょ?!」
というくらい、まともに食事していません。

今日のお昼、久しぶりのまともな食事。
卵焼き1つ。・・・と思っていたら、
キムサノイおばちゃんがオシュもすすめてきた!!

おかあちゃんはお出かけ中で、
お父さんが目の前に・・・。

「かったかった えいん」(ばくばく食べなさい)
「かさる ゆこるめいでぃ」(病気が逃げて行かないぞ)

逃げられず、食べるも・・・・
スプーン3さじでギブアップ。
心の中で、泣きながら「もう勘弁して」と唱えてました。

リハビリ食がオシュってところが、
「ザ・ウズベキスタン」
「ザ・我が家(リシタン)」
っていう感じがしましたね~。

午後ずっとそれで死んでましたが、
今また元気になってきたし、
やはり復活してきたってことなんでしょう。

私用でタシケントに上がっていました。

任地リシタンに帰るのは19日の日曜日の予定。

その日が、ラマダン明けのお祭りの日「ハイート」
だということは、知っていました。

が、そのおかげで、ある価格が高騰してしまう、ってことが、
全く思いつきませんでした。

そもそも、初めて危機感が募ったのは、
帰る前日、土曜日に先輩から来たメール。

「今日、タシケントからフェルガナに帰ったんだけど、
タクシーが全然少なくて、値段も上がってる」
「フェルガナまでで50000スムだった!」というもの。

え~~~~5万??!
そんなに?! 
そんな馬鹿な!!!

というのが、その時の感想。

だって、普通リシタンからタシケントに上がる時の
タクシーの相場は、1人25000スム。
たまに「30000」っていうおじちゃんもいるけど、
「いーげるまべし なるまーにくー?」
(25が相場でしょ?)と言えば、それ以上言ってこない。

タシケントからリシタンに戻る時は、もうちょっと高くついて、
30000スム。
リシタン行のタクシーはほとんどないので、
フェルガナ行のタクシーに乗って、リシタンで下してもらうため。

リシタンの1つ手前の町、コーカンドまで行って、
そこからリシタン行のタクシーかバスを探すって方法もある。

タシケントからコーカンドの相場は
通常、20000スム。

5000スムあれば、リシタンまで行っておつりがくる。
ただ、乗換しなきゃなので、面倒。


そんないつもの相場からは考えられない、
タシケント~フェルガナ50000スム!!

でも、もっと驚いたのは、
クイリクバザール近くのフェルガナ地方行の
ぴたっく(タクシー乗り場)で、実際交渉してみると、
「フェルガナまで60000スム」
「コーカンドまあでは40000スム」と言われたこと!!

思わず、
「はぁああああ??!」と絶叫。

それでもおじちゃん達は、譲歩する気配をみせず、
辺りを見渡しながら、
「だって、車少ないだろう? お客も少ないし」
「ドルだったら50ドルでいいから」(余計高い
どうやら本気で、60000スムもらう気でいるらしい。

ただ、本当に車は少ない。
いつもは何十台も車が止まって、かなり強引な客引きをして、
賑わっているクイリクバザール横のタクシー乗り場。
それが、この日は、タクシー十数台しかなくて、
閑散としていました。

そっか、こちらに選択権はないのね。

良く考えてみれば、今日は「ハイート」。お祭り。
本来、家族とか親戚とか、友人と集まって、
ラマゾンの終わりをお祝いする日。

そんな日に、家から出て仕事する少数派。
値段がいつもと同じなら、お祭り行かないで仕事する甲斐がないってもの。
そもそも、お客さんも少なくなるしね。

ちょっと納得しつつも、やっぱり高すぎる。

普段、交渉とかで粘るのも面倒臭がってしまい、
ちょっと高めでもOKしてしまうのですが、
今回の金額は高すぎて、頷けない。

そこで、困った時のお母ちゃん。
リシタンのお母ちゃんに電話して相談しました。

「すごく高くなってるんだよ」
「タクシーも全然いないの」
「コーカンドまで行こうかとおもうんだけど、
何時までタクシー出てるかなぁ?」
と。

そしたら、お母ちゃんは丁度家の祖手にいて、
「タクシー乗り場にいって、誰か知り合いの運転手で
そっちにいる人いないか聞いてみるから」
「ちょっと待ってなさい!」
と、お母ちゃん。


お母ちゃんの連絡を待つこと、30分。
でも、なかなか良いお知らせは来なくって、
そうこうしてるうちに、また交渉役のお兄ちゃんが来た。

「いくらだったら払うの?」と言われたので、
「45000」と言ったら、
「50000払ってよ」
「いや45000!」
「50000だよ~」
「ん~・・・45000・・・・」

「・・・・・けってぃく!」
(・・・行こう)
という訳で、粘り勝ちで45000まで値下がりしました。

それでもリシタンまでの相場の2倍近いんだけどね。
それ以上、粘ると本気で車が無くなりそうだったので。

お母ちゃんにも報告したら、
「じゅだ やふしだ~」
(いいじゃない!)と。

という訳で、タシケント~リシタン間を
通常25000スムのところ、
45000スムも払って、帰ってきました。

交渉と乗客待ちに時間かかったので、
着いたのは夜11時頃・・・。

お祭りの日の価格高騰は、
十分気をつけなければ・・・・。
と、良い教訓になりました。

なんにせよ、日曜日中に帰ることができて、
本当に良かったです。

$ぐんちょ、ウズベキスタンに行く。

今日の私のお仕事。
ニンニクの皮むきです。
大量です。

「じゃ、あなたはニンニクの皮剥いて」
と、どんと渡されたニンニクの入った袋。
推定1キロ。

今日は、親戚にもヘルプを頼んで、
冬用の保存食作りです。

◎材料
・赤ピーマン
・トマト
・ニンニク
・玉ねぎ
・塩・油

以上。

赤ピーマンは
$ぐんちょ、ウズベキスタンに行く。

半分に切り開いて、
種を除いて
ミンチ機へ。

トマトは
$ぐんちょ、ウズベキスタンに行く。

皮をむいて、刻んで
つぶして汁を搾り取る。

ニンニクは、
とにかく皮をむいて、
赤ピーマンと共にミンチ機へ。

スライスした玉ねぎも加えて、
$ぐんちょ、ウズベキスタンに行く。
炒めます。

汁気がなくなるまで炒めたら完成。
瓶に詰めて出来上がりです。

$ぐんちょ、ウズベキスタンに行く。

これの正式名称、何度聞いても分からない。
「くじるちゃ」(赤いやつ)としか・・・。

見た目そっくりで、
「いくらー」というのもあるのですが、
それともまた別物。

「いくらー」よりも、油っこくなく、
肉っ気もなく、そのかわり、めっちゃニンニク効いてます。

共通点は、ノンに合うってこと。
去年の冬、私はいくらーにはまって、
ノンを大量に食べ、体重激増したんです!!

いくらーと、「くじるちゃ」がなくなって、
ノンを控えるようにして、
やっと体重が減って、今に至るんです。

憎たらしいほど、美味しくって、ノンがすすむんですよ~。
去年のようにはならないぞ!!
と、決意したそばから、

「できたてのくじるちゃ、食べる~?」
「ノンも焼きたてのがあるわよ~」
と言われ、
「食べる~♡」
と太る元、炭水化物の濃い塊のノンを、大量摂取してしまいました・・・。

今年の冬の目標!!
絶対太らない!
体重、現状維持!!

$ぐんちょ、ウズベキスタンに行く。
「くじるちゃ 工場」
ステイ先の庭先にて。
ブドウもあと少しで食べごろです。
あれから2年・・・って。
いつからかって言うと、

「協力隊合格」が決まって、
どうやら自分が
「ウズベキスタン」という国にいくことになったらしい、
ということを知った日から、2年です。

あの時の衝撃は、今でも忘れません。

ネットで受験番号の確認だけは、
発表日の10日にしていたので、
合格してるのは、すでに知っていました。

しかし、問題はどこの国に派遣になるのか。

第1希望のエジプトかな?
それとも、第2のモザンビークかな?
・・・もしや第3の!!?

なんて、ドキドキわくわくしながら、
たまたま急きょ休みになった為、
家でごろごろしながら、速達で来るはずの通知を待っていました。

何度も、マンションのロビーに出ては、
空っぽのボックスを開けたっけなぁ。

2次試験を終えてからといもの、
特に自信があったわけでもないのに、
なぜか、もう受かる気満々で、
アラビア語やポルトガル語の教材を買って、
密かに、アラビア文字の練習もこっそりしていた私。

もともと、「幼児教育」の職種として、
自分に合った要請に派遣されることだけを希望していたので、
「この国に行きたい!!」というのは、私にはありませんでした。

2次試験の面接でも、
「希望で出した以外の国でも派遣されたい!」
と、迷わず答えました。

それでも、第1~3まで希望出したからには、
そのうちのどれかだろう、と思っていたら・・・。

速達の大きな封筒を開け、
赤地の合格通知を、
感動しつつ、下の項目へと目を落とすと・・・・。

「派遣国:ウズベキスタン」
「学習言語:ウズベク語」

ウズベキスタン・・・??
どこ、それ?

という感じでしたね。
しかも、ウズベク語って・・・。
そんな言葉の存在を、初めて知ったのもこの時でした。

あれから、もう2年。
早いですねぇ。

あの時も思ったけれど、
今も、改めて思います。

どんな基準で選ばれたにせよ、
ウズベキスタンに行くってことは、
何かしらの運命なんだろうなぁ、ってこと。

縁があった、ってことですよね。

今は、その縁に感謝したいです。

楽しいことばっかりじゃないし、
「ウズベキスタンだ~い好き!!」と言える心境でもないし、
でも、それでも、
ウズベキスタン行のおかげで、めぐりあえた人が沢山います。
ウズベキスタンでしか、出会えなかった人たちが、沢山います。

派遣されたのが、ウズベキスタンで良かったなぁ。
と、思っています。
ま、苦労もしてますけどね。
それも含めて。

なんだかんだぐるぐるしながらも、
残りの任期も、あと10か月ほど。

去年の今頃は、
完全に心が折れていて、
「あと22か月・・・」
なんてカレンダー見つめてたのにねぇ(笑)

今はだいぶ心に余裕も生まれ、
ウズベキスタン、という国にも慣れ、
ウズベク語という、未知で謎の言葉もある程度習得し、
絶好調悩みながら、活動できています。

うん。ウズベキスタンに派遣されて良かった。

なんか、もう帰国するみたいな書き方になってきてしまった(笑)
まだ、10か月残ってますからね。
油断しないようにしていかなきゃ。


今日は、年中クラスのよるだんちし(補助員)
マディナのお誕生日。

数日前から、
「私の誕生日にきてね」
とお誘いを受けていました。

当の本人は、今日は仕事休み。

ウズは、誕生日の主役が周囲の人に御馳走する習慣。
なので、誕生日の日は、仕事を休んで、
自分の誕生パーティの準備、が割とふつう。

仕事終わりの6時くらいに、園を出発。
参加者は若い子達だけかと思ったら、
園長含め、同僚のほぼ全員が参加。

園長たちは、タクシーで。
若い子たちは、徒歩で。

私も、若い子たちに紛れて、
徒歩で向かいました。

マディナのお家は、メインストリート(って言うほど立派でもない)から、
かなり内側に入ったところにあるらしい。

リシタンの町は一本、メインストリートが走っていて、
そこから、道を横に入っていくと、
各まはら(町内会、住宅地)が広がっています。

メインストリートは、結構広めの片側2車線の道路なんですが、
一歩わき道を入ると、すぐさま田舎道になります。

普段、自分とこのまはっら以外、入ることはないので、
知らない道に、興味津々。

か~な~り~の、田舎でしたね。
歩いて3分で、凸凹道(砂利すら敷かれてない)になり、
道なのか、農場なのか分からない道を通り、
ガス管を橋代わりにして、用水路を渡り、
材木林を抜け、(えっ、そこ通るの?! ていう道)
や~っと、たどり着きました。

やっぱり、私が今住まわせてもらっている家は、
リシタンの中でも都会なんだな、と実感しますね。

さて、マディナのお家に付くと、
タクシー組はすでに着席していて、
テーブルには、果物とノンとジュースとお菓子が
ところ狭しと並んでいました。

主役のマディナは、みんなと挨拶した後も、
忙しそうに動き回っていて、
なかなか座らない。

やっと、座ったと思ったら、自分は何も口にしない。
「ろざむしす?」と尋ねると
「は、びるそぁっとぼる」
(はい。あと1時間で明ける)
とのこと。

誕生日でお客を招いている日に、断食なんて!!

てことは、今日1日、断食しながら、
場所の準備したり、
バザールで買い物したり、
サムサ焼いたり、
飲み物・食べ物並べたりしたってこと?!

いや~、想像するだけできつい。
なにより、サムサ夏に焼くだけでも暑いのに、
断食で水飲めない時って、
壮絶に暑そう!!!

マディナ、ありがとうね。
心より、お誕生日をお祝いします。

お誕生日の日のメインディッシュは、
もちろんオシュ!!

ウズでは、だいたいの場合、
お客さんが来てから、オシュを調理し始めるます。
(材料は切っておくけど)

オシュ出来上がるまでは、
おしゃべりしたり、お菓子つまんだり、
果物食べたり、ノンちぎったりしながら過ごします。

あまりお腹すいていなかった上に、
いつもの「おりん!」攻撃にあい、
喉渇いていたのもあって、スイカメロンを大量摂取。

到着から1時間半後に、オシュが出てくるまでに、
おなかポンポン。水の一滴も入らない!!
という状況になってしまいました。

正直、オシュの1口もきつかったのだけれど、
お祝いの席だから、ちょっとは食べないといけないし、
私が食べないと、両隣りの、年下の子たちが、食べはじめられないし、
ちょ~っとだけ、スプーンにのせていただきました。

お腹苦しくなったり、暑かったりはしたけど、
職場の同僚、辞めてっちゃった人も含め、
ほぼ全員参加だったので、にぎやかで楽しかったです。

人生に1度くらいは、ウズ式の誕生日をしてみたいなぁ。なんて。
チャンスは、ウズにいるあいだかぁ。
(日本では、ちょっと恥ずかしい・・・)
自分の家には呼べないだろうけど、
なにか、料理作って持ってく、くらい、できたらいいなぁ。
と、思いました!
昨日の爆発から、ちょっと冷静になり、
気持ちを新たにして職場へ。

活動2年目にして、絶好調もやもやしています!

このもやもやは、果たして帰国までに晴れることはあるんだろうか??

暑さからの夏バテで、くらくらしつつも、
なんとか今日やるべきこと、
先生たちにお願いすることを終えて、
帰ってきました。

なんだか、活動についてブログにかける感じがしないので、
今日も気分を切り替えて、
・・・お天気の話でも。

ウズベキスタンで、夏!
というと、6~8月の3か月間。

もうそろそろ、夏も終わる頃って、ことですね。

去年は、同じこの時期でも
「暑さが和らいできた」なんて、
1ミリも感じなかったのですが、

2回目の夏の今年、
体が慣れたのか、去年より暑さ自体がましなのか、
気温が下がってきたように感じますね~。

ちなみに、今の室温30.2℃。時刻は夕方7時。
ちょうど、空が夕焼けてきました。

なので、気温も西日のせいで、ちょっと高くでてます。
最近の室温平均は、28~29度くらい。
まだちょっと暑い。かな。

でも、これでもだいぶマシになってきました。

私の体感でいうと、
何もしなくても汗ばむ・・・28・5℃以上。
動かなければ暑くない・・・27~28℃くらい。
多少動いても暑くない・・・27℃以下。

な、感じです。

湿度50%くらいが普通なので、
日本の同じ気温より、不快指数は低いです。

7月は、もう、なにしてても暑い!!
タオルで仰ぐのに忙しくて、それ以外なにも手につかない!!
って、状態で仕事外の時間を過ごしていました。

今は、食事前後意外は、割と耐えられる。
あせももできにくくなってきました。

朝・夕は、少しずつ冷えるようになってきて、
早くも夏の終わりを感じる時もしばしば。

そしてここ数日で、夏の終わりを感じさせることが。

電気・・・不安定!!
今日入れて、3日連続、プチ停電発生中です。

1時間程度なので、全く支障はないのですが。
いや、とうとう始まったか!!
という、冬に向けての意気込みを感じましたね。停電さんの。

夏場は、暑さとひきかえに電気は絶好調。
ただ、去年の夏と違うのは、
ガスが調子悪いってこと。

冬場はガスと電気がセットだったのに、
夏場は、電気が来ててもガスが来ない!

いえ、ステイ先のはガスの配管壊れてて、
それを放置してるだけなので、
本当には来てるんでしょうが。

料理用にプロパンガス買ってるので、別に困ってないんですね~。
私は、お風呂用にコンロ以外にもガス欲しいですけど。
ヤカンでお湯沸かしてもらって、今年の夏はしのぎました。

困っていたのは、職場の幼稚園!!
ガス、ほぼゼロだった、今年の夏。

なので、給食員の朝1の仕事は、
1枯れ枝を集める
2小さめの気を切り倒す
3かまどサイズに、木を切る・折る
でした。

かまどで火が焚ければ困らないんですけど、
お茶がね~。沸かせないんですよ。
でっかいかまど2つに、大なべ2つしかないので。

電気ポットが1つだけあるので、
電気がある時は、電気でお湯が沸かせるのでOK!!

電気が落ちると・・・
電気戻るまで、お茶なし!!

この暑い中、水分補給できない苦しさったら・・・。
お店で水買ってくればいいじゃん!!
という話なんですが、私だけ飲み水確保するのは・・・ねぇ。
できないです・・・。

ここ最近、電気の停電率が増えてきたので、
そういうことが増えてきました。

でも、今は大丈夫!!
「スイカ当番」があるから!!!

7月から、スイカメロンの旬になり、
毎日のように、子ども達(の親御さん)が
スイカ・メロンを持ってきてくれるんですよ。

しかも、ちゃんとクラスで1人ずつ、
毎日交代こで。

ウズベキスタンは大きければ大きいほど、
甘いスイカが多いので、
たいてい持ってきてくれるのは、特大サイズ。
子どもの頭2個分くらい。

それをね、クラスみんなで給食前に食べるんですよ。
・・・めっちゃくちゃ甘い!!

「えるたぎゃ きむぎゃ なうばっと?」
(明日は誰が持ってきてくれるのかしら~?)
と、先生が聞くと、

「めんぎゃ なうばっと!」(私の番!)
「えるたぎゃ めん おぷけらまんな!」(明日は僕が持ってくるね!)
「めんぎゃ こぶんぎゃ なうばっと!」(私はメロン当番になる!)
などなど、子どもが争うように、当番になりたがります。

もちろん、「スイカ当番」なんて、正式なお当番じゃないんですけどね。

きっと、子どもが親御さんたちにおねだりするんでしょうね~。
「明日ぼくんちの番だから、明日スイカ幼稚園に持って行こうね!」って。

それで、本当に親御さんが持ってくる、ってのが
ウズベキスタンならではだな~、と思います。

そんなわけで、たとえ電気が無くて、
お茶が沸かせなくっても、
今は、スイカかメロンで水分補給ができるんですね~。

スイカ・メロンさま様です。

が、早くも夏の終わりとともに、
スイカ・メロンの旬も下り傾向に来たのを感じます。

ちょっと甘みが落ちてきた。平均して。

涼しい~と感じるまで、
電気が安定してくれるか、
スイカ当番が続くといいな~、
そうしないと、水分不足で死んじゃうな~。
今日、久しぶりに職場で爆発してきました。
小爆発だったけど。

そのことについて書こうかと思ったけど、
最近ブログ全然更新してないくせに、
ネガティブなことずらずら書くと、
さらにネガティブ方面に転びそうなので、
気分を変えて、違うこと書きます!!

あ、まず。
朝、良いことがありました。

というか、良い夢を見ておきました。

私の保育園の時のS先生。
その先生が好きで、保育士目指したといっても過言ではない、
s先生。

その先生と、夢で再会しました!!
残り1年の任期へのエールを手紙でもらいました。

あ~、夢とはいえど、嬉しかった~。
嬉しすぎて、びっくりして、目が覚めてしまった。
最後まで手紙読みたかったな~。


ウズベキスタンは、というかイスラム圏では
今、ラマダンの真っ最中です。

日の出から日没まで、飲食しない、断食する、
という期間ですね。

今年は7月20日から8月18日。
人生2度目のラマダン見学です。
(私は一切参加してませんし、今後参加する気もありません)

が、それほどイスラム色の強くない、ここウズベキスタン。
保守的と言われる、ここフェルガナ地方であっても、
みんながみんな、断食しているわけではありません。

むしろ、去年の初ラマダン見学の印象は
「だれも、まともにろざ(断食)してる人いないじゃん!」
という感じでした。

たまに見かけても、
「う~ん、頭痛くなったから、今日はもうおしまい」
と言って、ジュース飲む人(終了時間午後2時)

「病気になるからしないの」
という人。

むしろ、ろざ(断食)している人の方が少数派なので、
食事の時に、あまり食べてないと
「ろざむしす?」(今断食中?)
と、聞きあったりしています。

お昼に、暑さで食欲なくしていると、
私も時々聞かれます。
「ろざむしす?」と。

そんな状態だったので、
日本から来た人とかに、
「ウズで断食まともにやってる人見たことない!」
と言っていたのですが、
ここにきて、それを撤回しなければ・・・と。

身近に1人いました。
しっかり毎日ろざしている人が。

時々、家事を手伝いにきてくれる、キムサノイおばちゃん。
土曜日ご飯を作りにきてくれて、一緒に食べよう!と
おばちゃんが座るの待っていたら、
「おごじむ べくと えきゃん」
「かるくいっきだ おちらでぃ」
(口が閉鎖中(断食中)なの)
(42分に(断食タイムが)明けるから)
とのこと。

今、日の出早くて、日没は遅い。
断食にはつらい時期なんですよね。

その日の日没時間は19:42.

ウズでは、(多分他のイスラム圏の国でも)
ラマダンカレンダーというのがあります。

ラマダン期間中の、日の出・日没時間がかいてあるやつ。

おばちゃんは、毎日30日間、ろざするのだそうな。

そんなキムサノイおばちゃんと、先週から過ごしています。


土・日は、お母ちゃんもお出かけしていて、
夕飯2人っきり。

土曜は、知らずに食べ始めてしまい、
でっかい水の瓶(5Lくらい)を前に、
じっと時計をみつめるおばちゃんの横で、
気まず~い思いをしながら、食べるはめになりました。

日曜は、
「先に食べていいのよ」という提案を、本気で断り
8時ごろに一緒に食べました。

断食を横で見ていて、なにが辛そうって、
食べられないことより、水も飲めないこと。

この暑い中、水飲めないのは厳しいよ~。
病気になっちゃうよ~、倒れちゃうよ~。

と、思いつつも、宗教上のことなので、
「やめた方がいいよ」なんていうこともできないのですが、

逆に現地の同じ、ムスリムである人たちの方が、
さらっと、ろざをやめるように忠告したりします。
「病気になるから」と。

昨日もお母ちゃんが、
「お茶だけでも飲みなさいよ~」
「あなたと一緒に飲もうと思って、待ってたんだから」
と、おばちゃんにお茶をすすめていました。

この辺、ウズらしくて良いな~と思います。

きっちり断食している人も、
断食をあまりしていない人も、

お互いの宗教への姿勢について寛容、というか
自分と他人のやり方をごっちゃにしないところが。

職場でも、毎日ではないけれど、ろざしている同僚がいます。
若い子でしている子もいれば、
年配のオパがしている時もあったり、
年齢層関係ない感じがしますね。

ろざしている人には、時々
ろざしていない人が
「ちょっと休んでおいで」とすすめて、
お昼寝にいかせてあげたり、とかしています。

1日5回のお祈りを、割ときっちりしている人が、
ろざはほとんどやっていない、なんてこともあります。

私なんかは、ろざ中の人の隣で食事するのはもちろん、
「暑い~」というのも、気が引けるのですか、
他の同僚たちは、割と気にせず、普通に接しています。

さすがに、ろざ中って知らないで、
「なんで食べないのよ!」
「おり~ん!」(食べなさいよ)と言ってしまった場合は、
めちゃくちゃ謝っていましたけど。

そんなわけで、
やたら食欲ない人、
やたら顔色悪い人には、
「ろざむし~す?」
「ろざぎゃ とぅたやぷしすむ~?」
(断食してる途中??)と聞くのが、最近の挨拶代りになっています。
8月20日に自園でのカンファレンシア(園長会、研修会みたいなの)と
9月1日に独立記念日と、

2つ大きなイベントが控えています。

カンファレンシアは、近隣の幼稚園10園と小学校10校から、
先生方とか偉い人たちが集まるらしく、
かなりうちの園の威信がかかったイベントになりそうです。

5月の卒園式の時に、私が指導した日本語劇を発表したのですが、
園長が「また、同じのやって!」とリクエストしてきました。

・・・というか、私のいない間に
「メグミがまた同じのやってくれるから」
「あなたたち、手伝いなさい」
と、会議で言っていたらしい。

それを、昨日聞いて、
「待ってくれ~」となった私。

だって、この間劇をやった子たちは卒園しちゃったし、
新しく進級してきた子たちと私の信頼関係はまだ微妙だし。

ていうか、私に相談してから、会議で話し合ってちょうだい。
ていうか、私も会議に入れて!

5月にやった劇はウクライナ民話の「てぶくろ」
日本ではわりと有名なおはなし。

「私は○○。あなたは?」
「私も入れて」
「どうぞどうぞ」

と、同じようなやりとりの繰り返しで、
お話が進んでいくので、
子ども達にも理解しやすい、と選んだお話。

でも、先週から上がってきた子もいる今のクラスは、
まだまだ全体的に幼い。

5月に卒園してきた子と同じことをするには、
ちょっと難しいんじゃないかなぁ。

と、即園長に抗議。

去年の今頃は、
こういう主張ができなくて
語学でも追いつかなくて、

流されるままだったんだけど、
今は、だいぶウズ語もマシになってきたので、
ちゃんと、説明して、変更を要請することができます。

なんにもやってきていないようで、
この1年間で、ちょっとは成長したなぁ。


・・・というわけで、園長と話し合った結果、
ウズベキスタンでもかなりメジャーな民話
「大きなかぶ」の日本語劇をすることにしました!!

「大きなかぶ」だったら、
まずこちらでは、知らない人はいない! ってくらい
有名なお話であるし、

セリフも登場人物の名前+「手伝って~」くらいで
話しは進められるし。

あ、もちろんナレーションはウズ語で。
そうでないと、お客さんたちがついてこれないので。
ま、しょるごーむ(大きなかぶ)のお話は、
本当にウズでは超有名なお話なので
(なにしろ、ロシア民話ですから)
ナレーションがなくても、分かってもらえそうですが。

昨日は、とりあえず導入、ということで
ウズ語でエルタックをの読み聞かせ。
同僚のディルノーズにしてもらいました。

それから、登場人物の名前(おじいさんとか)を
日本語でなんというかを教えました。

本来の年長の担任のクズラルホンは、
カンファレンシアの直前まで、休暇中。

時間が無いので、早速今日から役を振ってやってみることに。

私としては、劇あそびとしてゆっくり楽しんでいきたいのだけれど、
同僚たちは、カンファレンシアに向けて、必死なので、
そうも言ってられない。

子どものセリフはなるべく簡単に。
「おばあさ~ん、てつだって~」
「は~い」
くらい。

犬とか、動物達にも
「いぬ~、てつだって~」
「わんわんわん!」
くらい。

そして、猫役になった、アシルドン5歳。
先週から年長クラスに進級してきた子。

この子のセリフは、
「ねずみ~てつだって~」
なんだけれども・・・・。

「ねずみ」って発音難しいんですよね。

この子が言った言葉は



「めぐみ~てつだって~~」!!

め、めぐみは私の名前ですが・・・(笑)

多分、ねずみが言いにくいのと、
この1週間で他の友達が私を呼ぶ
「めぐみさ~ん」「めぐみおぽ~い」
というのが、頭の中でごっちゃになったんでしょう(笑)

もう、頭の中にインプットされてしまったらしく、
なんど訂正しても、すぐに
「めぐみ~」になってしまう。

本人、言い間違えても、それほど気にしてなくて
「あれ、また間違えちゃった(笑)」くらいの反応だったので、
私も冗談で
「次、めぐみ~って呼んだら、私がかぶ引っ張りにいくからね!」
と、言っておいています。

何度も何度も、「ねずみ」と「めぐみ」を言い間違われて、
なんかちょっと懐かしくなりました。

日本でも、よく自分の名前を「ねずみ」と言い間違う人いたっけな~、と。
主にお年寄りと、幼児。

日本の子にも、ウズの子にも
「マ行」+濁音は難しいようです。

本番までには、なんとか「ねずみ」と言えるようになってくれるよう、
頑張って欲しいな~。
なんだか、私が照れくさい・・・。
昨日、同期あみこに話して、
これは是非、お母ちゃんネタに・・・
ということだったので、

最近忘れ去っていた、お母ちゃんネタに投稿してみたいと思います。


先週の木曜日(だったかな?)、
毎日のようにスイカ、もしくはメロンを食べていて、
その日も、甘~いメロンをたらふく食べていました。

丸一個を3人で食べつくし、みんな満腹。
が、お母ちゃんだけは、まだ足りなかったらしく、
息子君に

「冷蔵庫にあるメロン、持ってきて!」と命令。

すると息子君はぼそっと、
「あいにぎゃん」(あれ腐ってるじゃん)

お母ちゃん
「冷蔵庫に入れといたんだから、腐るわけない!」
「いいから、もっといで!!」
と、ご立腹。

メロンもスイカも、今の時期甘いし安い。
頭より大きいサイズでも、2千スムとか3千スム。
日本円にしたら、100円とかそのくらい。

同じ味のを日本で探したら、その辺のスーパーじゃ絶対無い。

そのくらい、今のウズでは庶民のお手頃価格なので、
毎日何個か買ってくる。

食べきればいいんだけど、
食べきれなかった分は冷蔵庫へ。
そして、次の日、また新たに買ってきてしまう。

だから、よく食べかけの古くなった、
スイカやメロンが入っています。

が、昨日もその前も、
私の目の前で全部食べきった気がする。

となるとその前、
・・・・月曜日か???
三日前の残りか???

と記憶を探っているところに、
メロン登場。


・・・表面しなびてる・・・。
月曜日の残り・・・確定。


「腐るわけないのにね~」
「何言ってるのかしら、あの子」
とつぶやくお母ちゃんに、

「いや、腐ってるんじゃ・・」と言えない私。

しなびた(腐った?)表面をナイフで切り落とし、
中身を4等分し、もぐもぐ食べては、
「む~ず!!」(冷たい!!)と、震えるお母ちゃん。

気になるお味のほうは、ノーコメント。
1切れ残し、
「おりん!」と私に・・・・。

「腐ってなぁい??」と聞ける雰囲気でもなく、
意を決して、口に入れ、
噛みしめる前に、熱いお茶で流し込む!!
お母ちゃんにばれないように。

その後、お母ちゃんは
親戚の家のイフトーリキにお出かけ。


・・・次の日の朝。

朝食のお茶に、いつもは入れない角砂糖を2つ。
そして、毎朝食べている目玉焼きは無し。

「お腹が痛い」
「何も食べたくない」
「だから、砂糖入りのお茶だけ飲む」
というお母ちゃん。

「私が思うに・・・昨日のイフトーリキで出されたスイカ」
「あれが多分、良くないスイカだったんだわ」
と、断定するお母ちゃん。

私苦笑いしかできず・・・(笑)

だって、
絶対昨日の、我が家で食べたメロンが原因だって!!

そう心で叫んだのですが、
私はその時点では、お腹に来ておらず。

私のお腹がお母ちゃんより強かったのか、
お母ちゃんの推理通り、よそで食べたスイカが原因だったのか。
その時は、まだ断定できなかったのですが・・・。

お昼前、見事に私にも腹痛が!!
1年前、ピーマンの肉詰めで当たって以来の、
「明らかに、腐った食べ物が原因」という腹痛でした。

やはり、原因はメロンだったことが確定!!

しかし、迷わず
「よそで食べたものが原因!」
と、自分ちのメロンを疑いもしない断定の仕方、
さすがお母ちゃんです。

外国・母国とか、大きいくくりだけじゃなくて、
こんなご近所の枠でも、
「自分とこが1番安全・安心・最高!!」
という思考が、はっきりしていますね~。

お母ちゃん。
かびたノンじゃないんだから、
メロンだって、冷蔵庫に入れたって、
何日かすると、腐りますよ。

後入れ、先出し!

古いものから、順番に食べていきましょ~!
冷蔵庫に放置してしまったものは、
無理せず食べず、牛さんにあげましょ~!!
ちょっと昨日のことになりますが・・・。

7月29日は、私が去年リシタンに来た日。
本当の赴任日です。

タシケントでの1か月の語学研修を終え、
同期達と別れ、ちょっと淋しく思いつつも、
「どんなところなんだろう??」
と、ドキドキしながらリシタンに来たのを覚えています。



そんな感傷に浸りつつ、
私は朝から、
「今日言おうか」
「いや、また今度話そうか・・・」
と、悩んでいたことがありました。

いや、今日だけじゃなく、
ここ数か月、
「いつ話そう」と機会をうかがっていました。

毎月29日は、お母ちゃんに家賃を渡す日。

夕食後、
「やはり今日言ってしまおう!」
と決意して、家賃を持って
お母ちゃんがくつろぐテレビの前へ。

家賃を渡す時に、いつも1冊のノートも持って行って、
そこに、日付と金額とお母ちゃんのサインをもらっています。
お金のことなので、一応きっちりしておこうと思って。

で、そこにサインをしながらお母ちゃんも、
「もう1年たったのね」と。

今しかない! と、意を決して
「おぱー ぎゃぴむ ぼーる」
「お母ちゃん、ちょっと話したいことが・・・)
と話を切り出しました。

私がお母ちゃんに話したかったこと、
それは・・・

「12月から1人暮らしがしたい!!」

ということでした!!!!


12月にフェルガナ市内に住んでいる先輩隊員2人が
フェルガナから撤退、1月には帰国する予定。

冬場、電気・ガスがほとんど来なくなるリシタン。
去年の冬は、先輩Tさん宅に2週間に1度くらい、
転がり込むことで、乗り切りました。


しかし、今年の冬はTさんたちはいない!!

とういことで、先輩Tさんの後に、
そのお部屋に引っ越しする、という案を考えるようになりました。

問題はたった1つ。
今のステイ先の家族、というかお母ちゃんに、
どう話すかってことだけ。

これについて、ここ数か月、
ずーっとずーっと、本当に
頭の中でぐるぐる考えていました。

まさか、
「冬にお風呂に入れないから」
なんて、いう訳にもいかず。
だって、みんなそれで何年も暮らしてますから。

あれこれ言い訳を考えたりもしたのですが、
やはりここはシンプルに
「1人暮らしがしてみたいんだ!」
と言うことにしました。、

きっかけは、確かにお風呂問題だけど、
「1人暮らしがしてみたい」というのが、純粋な理由なのかもしれません。

2年しかない期間。
ホームステイも貴重な経験だけど、
1人暮らしも、2度とできない経験。

特に1人暮らしは、今JICAボランティアと言う立場上、
アクレジ(外国人だけど、どこに滞在してもいいですよという、特権アリのカード)を
発行してもらっている、今だけしかできない!
この国では。

どんな反応がかえってくるか、
ドキドキしながら、
「12月から、フェルガナで1人暮らししようと思ってる」
「2年のうちの最後の半年は、ウズでの1人暮らしも経験したい」
と。

ウズベキスタンでは、
そして、この田舎のリシタンでは、
女の人が1人暮らしなんてありえない。

だから、絶対お母ちゃんを説得するのは
難しいと思ってた。

でも、
意外にも、
お母ちゃんはすぐに
「まいりー」(OK)と、言ってくれました!!

そして次に言ったのは
「たるびや ぼしゅかちゃ」
(教育が違う)と。

日本では、子どもに独立を求める。
ウズベキスタンでは、子どもにあまり独立を求めない。

そういう、教育方針の違いがある、と。

いや、日本でも、教育方針は家庭それぞれですけどね。
というのは、説明しましたが。

とにかく、私の感覚も理解してくれ、
快く承諾してくれました。

さらには、
家を出た後も、泊まりたくなったらいつでも泊まればいい、
部屋は空いてるから、お金もいらないし、
とも言ってくれました。

お母ちゃんに感謝。

感覚の違いとかで、時々
「も~~~!!」と(私が一方的に)なる時もあるけれど、
最終的には、私のことをよく分かってくれる、お母ちゃん。

円満にホームステイから1人暮らしに移行できそうで、
かなりホッとしました。

あと5か月、残されたホームステイ生活を
楽しもうと思います。