ASTRAL WEEKS
Van Morrison
released in 1968
アストラル・ウィークス
ヴァン・モリソン
あ、長いです、この記事。
長いのが苦手な方は拾い読みもしくはスルーお願いします。
久し振りでもあるし、長くてもそのまま出させていただきます。
昨秋、ヴァン・モリソンの半生記を読了しました。
入院中に読み切るつもりが、2泊3日では終わらず、その後家ですぐに読了しました。
『ヴァン・モリソン 魂の道のり』
ジョニー・ローガン(著)/丸山京子(訳) 大栄出版
1994年出版だから、もう四半世紀も前に(!)書かれた本で、ヴァン・モリソンについてはその後も音楽人生は続いており、この1冊で今のヴァン・モリソンを知ることはできません。
しかし、今に至る流れは十分以上に理解し把握できます。
そういう点では良書といえるでしょう。
まあ実際、ヴァン・モリソンは、その頃からはほとんど変わっていないのですが・・・
ディスコグラフィーもついていて、作品毎の曲解説もあり、読了後も傍らに置いてしばしば目を通しています。
著者はやや辛口の人で、ジャーナリスティックといえばそうだけど、この本のゲラ刷りが出来てヴァン・モリソン本人に見てもらったところ、
半分はボツになりやり直しさせられたとまえがきにあっては、期待半分不安半分ではありました(半分読者への煽りだろうけど)。
でも実際に読むと、本人や関係者のインタビューを多く取り上げ、「事実」に即した書き方をしていたのは好印象でした。
ただ1点。
今となってはヴァン・モリソンを代表する名曲中の超名曲であるHave I Told You Latelyについての記述、売れ線を狙った「つまらない歌」といった趣旨のことが書かれていたのは、驚いたというか悲しかったというか唖然としましたね。
まあ、カヴァーしたロッド・スチュワートのおかげもありますが、この本が出た頃にはそこまでの名曲になるとは想像できなかった、と考えれば仕方ないかな、とは思いますが。
でも、この人ほんとにこの曲を聴いて心が動かされなかったのか、という大きな疑問は、人として、残りはしました。
◇
閑話休題。
僕は、実は、ヴァン・モリソンの大ファンですが、ASTRAL WEEKSが苦手でした。
僕が初めて買ったヴァン・モリソンのアルバムは1992年のHYMNS TO THE SILECEでしたが、いきなり余談、実は、ロッドのを聴いていたく感動したHave I Told You Latelyがそのアルバムに入っていると勘違いし、新譜として出た直後に中古CD店で見つけて飛びついたら入ってなかった、というもの。
(もしかして中古に売った人も僕と同じ勘違いをしたのかも)。
しかしヴァン・モリソンという人に興味を持ち、その少し後に何かアルバムを聴いてみようと思ってCDを買ったのが、このASTRAL WEEKSと次作MOONDANCEでした。
(その直後にベスト盤も買いました、もちろんHave I...確認して)。
当時はネット時代はまだでしたが、ロックの名盤紹介的な本は世の中に出回っていて、何か聴いてみようと思えばそれを参考にするわけで、その2枚を選んだのは至極当然でした。
(今でも最初の2枚となるとやっぱりそれになるでしょうけれど)。
MOONDANCEはもちろん一発でアルバム全体が気に入りました。
今でも好きなロックアルバム10枚選ぶとなると必ず入ります。
一方で、ASTRAL WEEKS、正直、「むむむ・・・」、でしたね。
何だろう、この「小難しさ」は。
この2枚が連続して作られたアルバムであるのは謎ですらあったし、しかも、「小難しい」アルバムの方をより若い時に作ったというから、この人どうなっちゃってるんだろうという思いは最初からありました。
半生記を読んで、やっぱりヴァン・モリソンは「分からない人」であり、「魂の人」であって、彼のすることには理屈も何もない、ということは分かりましたが。
ASTRAL WEEKS。
しかし一方で、ヴァン・モリソンの大ファンを自称する僕としては、その代表作と言われるこれが苦手だなんて、自分としてもどうなんだろう、それでいいのかぁ、困ったものだ、と。
ブログでも書かないといけないだろうしという邪念もあり、買ってからずっと、このアルバムを「好きになろう」として、1年に1回くらい、ずっと聴き続けてきました。
でもやっぱり、だめでしたね、入ってこなかった、一昨年までは。
そもそも音楽を「好きになろう」とするのは間違いだと言う人もいますから、そんな努力は意味がなかったのかもしれない。
まあ、いつかきっと好きになるだろうと思いつつ、年中行事としてCDを聴き、いや、かけ続けてきました。
実はその間に国内リマスター盤、海外リマスター盤と、2回も買い足していてそれもきっかけになるかとも思ったのですが、やはり、だめでした。
でも、このアルバムが苦手なのは、きっと僕だけじゃない。
3年前、ピーター・バラカンさんの本『わが青春のサウンドトラック』が講談社+α文庫の新刊として出直した際すぐに買って読みましたが、バラカンさんはそこで、まだ10代の頃に聴いたASTRAL WEEKSは正直よく分からなかったと書いています。
しかも次作MOONDANCEは一発で気に入ったというから僕と同じ。
まあバラカンさんの場合は若かったということもあるはずですが、やはり同じように感じていたことが分かってなんだかほっとしました。
それが昨年、僕は突如、「これはいい!」と。
きっかけは、車です。
昨年、中古ですが車を新しくしました(また日産車です)。
その車は、CDをハードディスクに取り込んで聴くことができて、車にCDを積んでおく必要がなくなり、便利になりました。
最初の頃は車に乗る度に好きなアーティストのCDを数枚持ち込んではHDDに録音していました。
ヴァン・モリソンは当然の如く最初の方に録音を始め、事実上のデビュー作であるこのASTRAL...から録り始めましたが、録音が終わって別の日にかけたところ、初めて、すごくいい! と。
でも、じゃあ、どうしてすごくいいと感じたのか。
詳しくは自分でも分からないけれど、音楽なんて、同じものでも或る日突然違って聞こえてきて評価が変わることがざらにあるというのが僕の持論、今回ついにそれきたのでしょう。
それからしばらく車の中でこのアルバムを聴き続けました。
聴いていると、かつて好きになろうと「努力」したかいがあって、ほとんどの曲は断片的にでも覚えていて、ああこの曲か、と思いながら聴き進めてゆきました。
どうしてすごくいいと感じたのか分からないと書きましたが、車だから、というのはあるかも。
正直、家にいるときほど真剣には聴かないですよね。
根詰めないというか、だから気軽に音楽に接することができる。
結局、好きになろうと根詰めて聴いていたのは間違いだったと自ら証明したようなものですが・・・(笑)。
逆に、どうして今までいいと感じなかったのかは、はっきりと見えてきました。
要因は4つ、ひとつずつ挙げますが、よくよく考えると4つも要因があるのだから苦手なはずだ、と(笑)。
①リズムとテンポ
ASTRAL WEEKSの曲はほとんどがスロウテンポで、ジャズっぽいとでもいえばいいのかな、普通のロックの前に進むビートではないし、フォークの切れもない。
例えば、次作MOONDANCEの1曲目And It Stoned Meのように同じスロウテンポだけどポップス的にいい感じに流れているのではなく、なんというか、後に引きずられるような、前に進みたくても進めない、そんな感じのリズムとビート。
でもかといって重たいわけではなく、ただ引きずられるだけ。
はっきりいって、すっきりしない、消化不良、もったいつけられたような音楽、そこが僕は苦手だったのでしょう。
昨年から、そこが、リズムとテンポが気にならなくなりました。
こういうのもあるんだと楽しめるようになった、というか。
そうなると曲はいいので、歌の良さもすっと入ってきました。
②似たような曲が多い
しかもこのアルバム、3拍子か4拍子か、暗いか明るいか、ジャズかトラッドかという些細な違いはあるにしても、8曲すべて似たような曲が並んでいるのです。
1曲だめならアルバム8曲すべてだめ、となり兼ねないでしょうね。
逆にいえば、1曲気に入ればすべてが最高ともなり得るわけで。
リズムとビートが苦手で似たような曲が並んでいる、と。
歌うことが大好きな僕としていえば、口ずさめない曲ばかりというのも痛手でしたが、しかし、そこも気にならなくなりました。
ただ、でも、まだ口ずさむには至っておりませんが。
③曲がいつ終わるか分からずだらだらと続くように感じる
曲がいつ終わるのか先が見えない、だから余計すっきりしない。
曲の流れに沿って使用楽器が変わったり追加されたりと、一応それなりの工夫はされているのですが、でも、常識的にいってそろそろ終わりそうだなという盛り上がりを見せたにもかかわらず、そこから1分くらいそのまま、もしくはまた展開するというのは、ポップソングとしてみれば疲れますね。
アートとしてみればいいのでしょうけれど、僕は、どちらかといえばアートよりポップが好きですから。
④「哲学的」「崇高」というイメージ
ヴァン・モリソン全体にいえますが、特にこのアルバムは、「哲学的」「思索的」「崇高」「高尚」「スピリチュアル」などと言われていた(る)みたいですが、よくよく考えると、僕はそういう外野の声に惑わされていたのかもしれない。
おまけに僕は「哲学的」とかそういうのが苦手だから。
でも今は、「スピリチュアル」というのが、精神的に「崇高」なわけではなく、彼の音楽が「理性」のフィルターを通さず直接的に「魂」から湧き出た「だけ」もの、というくらいの意味だと思うようになりました。
それと、本を読んで感じたのは、ヴァン・モリソンという人は別に「哲学的」なわけでもないし、「思索的」と感じられる歌詞も、実はそれほど深く考えたモノではない、ただ彼自身が複雑な人、というだけで、それこそ「スピリチュアル」なものに過ぎないのだと。
ただし、それが出来るのは音楽的に「崇高な魂」を持っている希有な人だから、なのかもしれないですが・・・
ヴァン・モリソンは「魂の人」、そうです。
半生記を読んで僕の頭にそのことがはっきりと刻まれました。
歌詞の繰り返しや不自然で不気味なスキャットなどは、すべて彼の「魂」から発せられるものだとしか思えなくなり、頭で考えずに音楽を感じられるようになった。
その点でやはり本を読んだのは良かったですね。
例のスキャットもやっぱりおもしろ可笑しいし。
余談として、ヴァン・モリソンの歌詞はよくボブ・ディランと並び称されている(た)そうですが、本の著者にいわせれば、ボブ・ディランがそれこそ「文学的」によく練られた歌詞を書くのに対して、ヴァン・モリソンは単に「スピリチュアル」、魂の赴くままに言葉を並べつつ音楽的な響きに重きを置いているだけで、ディランとはまるで違う、薄っぺらい内容なのだそうで。
この辺は英語が母語ではない僕には分からないことでした。
本には著者のこんな見識も書かれていました。
ASTRAL WEEKSは一部のマニアに「名盤」として「祭り上げられていた」(だけな)のではないか。
このアルバムをいいと言うことで俺は音楽がよく分かるんだ、あるいは、他とは違うほんとうのファンなんだと言いたい、そういう指標として見る向きもあったのではないか、と。
これは、特にネットの時代になって、そういう人が散見されるようになった気がしないでもないですかね。
本が書かれた頃はまだインターネットは普及していなかったですが、そういう意識みたいなものは昔からあったんだと。
しかもそれは日本だけではなく英米でも。
なんて書くと不公平、無責任ですかね。
僕にもそういう面が、まったくないとは言い切れないかも。
そもそも日本では人気がないヴァン・モリソンを大好きだと公言している時点でお前もそういう人間なんだろうと突っ込まれるかもしれない、と自ら危惧してはいます。
でも、僕はほんとうにヴァン・モリソンが大好きなのです。
ヴァン・モリソンが好きだからといって人より音楽(ロック)がよく分かっている、と気取るつもりもない。
何でか分からないけれど、とにかく僕には「合う」んです。
合うか合わないかは感性の問題だから、より音楽を知っていて理解が深い証拠とはならないはず。
ヴァン・モリソンの音楽を「高尚だ」「崇高だ」と思ったこともない。
ゼム時代の名曲Gloriaなんて、歌詞の内容は他愛ないものだし。
そうそう余談をひとつ。
本の中で、ゼム時代だったか解散後かは忘れましたが、ヴァン・モリソンがロンドンのクラブでギグを行った際に、最前列「かぶりつき」で見ていたひとりがジミ・ヘンドリックスだった、という逸話が紹介されていましたが、さもありなん。
ジミはGloriaを聴いてどうしても自分のモノにしたかったのだろうなと想像しました。
事実、ジミヘンのGloriaはあまりにも素晴らし過ぎるから。
で、僕は逆に、ASTRAL WEEKSが分からないと言うことで、意図的に「音楽が分かっている人間ではない」ことを前面に出していたのでは、と言われるかもしれないですね。
基本、へそ曲がりですから、僕は・・・(笑)。
何であれ、ただ単に、ヴァン・モリソンは僕には「合う」んです。
さて、もう既に長いですが、せっかく好きになったので、曲の話も全曲書いてみますかね。
なお、このアルバムは、アルバムはA面B面それぞれにタイトルがついています。
A=Part One : In The Beginning
B=Part Two : Afterwards
A=Part One : In The Beginning
1曲目 Astral Weeks
♪ででってってででんてって ででってってでんでんてってという3拍子の不思議なリズムのギターリフで開幕。
最初から印象には残りました、冒頭だし、フレーズも覚えやすい。
でも、アルバムの1曲目としてあまりにも変だ、とマイナスの方でより印象に残ってしまったかもしれない。
これがケルト風の音楽なのか、高尚な音楽なのか、などと若い頃から考え続けてもいました。
歌としても、歌メロがあるようでないようで崩して歌う、喋る、叫ぶ。
この歌を我々素人はどう口ずさんだらいいんだ、って。
"To be born again"とだけ気持ちを込めて歌ってみてもねぇ。
でもやはり音楽として聴くと、聴きどころ満載。
ヴァン・モリソンは管楽器の使い方がロックミュージシャンの中では図抜けている、と本にもありましたが、その通りで、主張はしないけれどうまいタイミングで入るピッコロなど、事実上1作目からヴァン・モリソンの管楽器のセンスは感じられます。
複数のギターの絡みも面白いしよくきくと高度でもあるし。
ミュージシャンはレコード会社が雇って録音に臨んだ作品ですが、だからバンド的ではないといえばそうだけど、でもこれは事実上のデビュー作だから仕方なかったのでしょう。
でもだから、このアルバムについて演奏技術面での話をするのは、もしかしてヴァン・モリソン自身は好まないかもしれないですね。
やっぱり最後まで変なリズムで、ジャズっぽいのかな、ラテンの香りがほのかに散りばめられている不思議な曲。
だんだんと言葉が少なくなっていく歌の終わらせ方は最高ですね。
2曲目 Beside You
この曲に至ってはリズムがないとすらいえる。
演奏を流しておいて気ままに心の在り方を歌ったり叫んだり。
でも、なぜか不思議とこの変な歌い方に"Beside You"という言葉の響きが合うんですよね。
印象に残ったこるかどうかでいえば、残ります、とっても。
ヴァン・モリソンは詩人というよりは音楽家であって、歌いたいという気持ちに合った音を単語として選んでいる。
その最たるものが、同じ言葉の執拗な繰り返し。
本でも、同じ言葉の執拗な繰り返しは、自分の声も楽器として認識し作用させることで音楽のイメージを膨らませている、という趣旨のことが書かれていて納得しました。
それにしても3'08"から始まる繰り返しはヴァン・モリソン史上でも特に耳について離れない印象的なものですね。
♪ピーゼンドピーザウト て聞こえるけれど何と言っているのか、"You breathe in, you breathe out"、ううん、分からない。
とにかくこの曲はヴァン・モリソンの「芸」史上最強に炸裂です。
この曲もサイドのメランコリックなギターがラテン風ではありますね。
3曲目 Sweet Thing
タイトルの如く、少し、少しだけ、爽やかになってきた。
ここまでの2曲が2曲だから、これは軽快な曲といっていい。
演奏隊が刻むリズムは1曲目と同じ変な3拍子。
この曲なん「普通にやれば3拍子にすることもなかったのでは。
普通にやればスマッシュヒットくらい行けそうなキャッチーさがある。
ヴァン・モリソンという人はキャッチーな音楽は嫌いなのか、とすら訝しがってしまう。
まあ、時代に流されて周りと同じことをやってもだめだと、この頃既に気づいていたかもしれないですが。
途中にちょっとだけ助けに来たようにスタッカートでぶつ切れに入るストリングスの音が妙に印象的。
あああと、この曲は他より唸らずがならずに歌うのが聞きやすいかも。
4曲目 Cyprus Avenue
この曲は一見普通のフォークソングっぽいイントロから入るんだけど、歌が始まると3拍子なんだか4拍子なんだか分からなくなる。
バロック風の装飾音が「チャララン」と入っていい感じなんだけど、なぜバロック風なのかは分からない。
フィドルも入るし、とにかくヴァン・モリソンという人は小さい頃からいろんな音楽を貪欲に聴いてきたことはよく分かります。
そのフィドルの音があっちの世界の入口をちらと見せてくれますが、気持ちいいと感じるか不気味と感じるかは、その時の気持ち次第。
一応曲の後半にはそれなりに盛り上がるんだけど、でも歌い方は流れをあまり意識してはいないかな。
聴き終わると、不思議となんだか落ち着く曲ですね。
Part Two : Afterwards
5曲目 The Way Young Lovers Do
これがですね、今回、えっこんな素晴らしかったのかと発見した曲。
やっぱりラテン風なんですよね、時代の音でもあったのかな。
マイナー調のこの曲はまるで怒っているように聞こえる。
やっぱり3拍子でこれはもろにジャズ風。
2番から入るホーンが怒りを助長しているような響きで、ヴァン・モリソンの歌もそこからさらにヒートアップします。
間奏は、ラテン風味のジャズっぽいトランペットソロ。
ジャズはよく知らないで無責任に言ってしまえば、フレディ・ハバードみたいな間奏。
ソロのはじめでヴァン・モリソンもスキャットで対抗しようとするのも、おいそりゃ無茶だよとツッコみたくもなる、無謀な人(笑)。
彼の管楽器のセンスが図抜けていることがよく分かります。
これは、何とかシングルにしようと仕立て上げればそれなりのものにはなったんじゃないかな、そんな気なかったでしょうけど。
このアルバムにあって、曲の持つパワーは大きい1曲です。
もうちょっとで口ずさめるんだけどなあ、そこは惜しくもあります。
6曲目 Madam George
本ではこの曲を特に押していました。
でも、これ、本を読む前に車で聴き始めて、よく聴くと"Madam Joy"と歌っているように聞こえたんです。
”George"の"ge"の音は入っていない。
そう聞こえるのは単に彼の癖なのだろうと思っていましたが、本を読むと、まさに"Madam Joy"に聞こえると書いてあってびっくり。
実際ヴァン・モリソン本人も、なぜ曲名がMadam Georgeになったのか分からないと発言していたそうで、まあいい意味テキトーな人ですからね。
で、いつものGuessの勘繰りですが、"Madam Joy"だとあまりにも「怪しい」のでタイトル変えたのかな、と。
この曲は4拍子でジャズではなくトラッド風。
ストリングスのアレンジに高揚感があるんだけど、でも多分、クスリによる高揚感ではなく、マダム・・・まあそういうこと。
いや、これもやっぱり「あっちの世界の入口」感が。
で、やっぱり曲がいつ終わるか分からない(笑)。
まあでもこれ、慣れるとずっとこの世界に浸っていたいと思ってしまうから、もうこれは完全にやられましたね。
しかしそれにしてもこれは、いったん静かになり、終わると感じさせて感ら、引っ張り過ぎ、じらし過ぎ。
そうか、これはじらされた歌なのか、なら合点。
なんであれ、ヴァン・モリソンが気持ちよさそうに歌っていて、ほっとするものはありますね。
さよならしているはずなのに心地よいとはこれいかに。
ところで、このアルバムのストリングスのアレンジ、どこかで聴いたことがある感覚だなあと思って聴いてきましたが、
分かった、分かりました。
R.E.M.でした。
OUT OF TIMEとAUTOMATIC FOR THE PEOPLEのストリングスのアレンジ、「あの世の入口感」の出し方が、R.E.M.は影響受けたというか、参考にしたのかもしれない。
ちなみにAUTO...の方のストリングスのアレンジは、かのジョン・ポール・ジョーンズが担当していますが、バンドとしての音の出し方という点で。
まあ、違うかもしれないですけどね、でも、大好きなアーティスト同士の似たところを見つけるとやっぱり嬉しくなりますね(笑)。
7曲目 Ballerina
これも本で評価が高かった、名曲扱いでした。
で、やっぱりスロウテンポで、アップライトベースの叩きつけるような高音フレーズが印象的。
これはやっぱりジャズなのかな。
5'20"の「ちょっとらっかちょっとらっかちょっとらっか」と繰り返すところは、ごめんなさい、本人至って真面目に取り組んでいるのでしょうけれど、どうしても笑いがこみ上げる。
まあ、真面目だから滑稽、ということもあるでしょうし、もしかして本人も「そこ笑うところだから」と思っているのかも。
そうですね、高尚な音楽ではないのでただ楽しめ、と。
ところで、ヴァンさんが♪ばぁ~れりぃい~なぁ~~とねちっこく歌ったところで、バレエを踊る女性の姿がいっこうに頭に浮かんでこないのはどうしたことか・・・
バレリーナが足を壁に充てて伸ばしながら準備体操している、或いは踊りの合間に小休止しているところを、窓の外からこっそりのぞいてし まった、そんな感じの曲かもしれない。
名も知らぬ寂しいバレリーナよ、出ておいで、と。
妄想かもしれない、余計なお世話かもですけどね。
ショーやオーディションに向けて必死に練習して充実した日々を送っているのかもしれないし。
でも、ヴァン・モリソンにはそうは見えなかった。
俺が助けてやる。
そんなところにも彼らしさが感じられる1曲です。
8曲目 Slim Slow Slider
ロック的な頭韻を踏んだタイトルに、おっやるじゃん、と。
それにしてもこのタイトルはかっこいいですね。
かっこいいと思わせるところもあるんですね、ヴァン・モリソンにも。
曲はやっぱりスロウテンポのジャズっぽい曲ではありますが。
「あなた」がどこかに行ってしまうのをただ見送る、寂寥感、はかなさ、虚しさが漂う曲。
でも息苦しさはなくて、ヴァン・モリソンの「魂」は、それも自然なこととして受け止めている、どこかすがすがしさがある。
曲の最後にドアを乱打するようなパーカッションの音が入り、それまでいい感じで歌っていたソプラノサックスが突然乱れ、あまりにも急にフェイドアウトして曲が終わる。
やりようがなかったのかもしれないけれど、でも、断片だけをつないだ心象風景を終わらせるには、もうこれしかないという素晴らしい終わり方。
こうしてイメージが膨らんで、持続して、さらには人から人に伝染してゆく、それがこのアルバムの魅力なのでしょう。
20年以上が経って、ようやく、よぉうやく、分かりました。
2019年1月30日 美瑛朝の風景
ところで。
本を読んでASTRAL WEEKSが好きになった副産物として、1975年のVEEDOM FLEECEもようやく心の底からいいと思えるようになりました。
あのデカい犬のジャケットのやつですが、VEEDOM FLEECEは、ASTRAL WEEKSの「続編」的なものとして捉えられているということが分かり、そうかそういうことかと思ったのでした。
実際にリズムとテンポが普通ではない曲が多いのですが。
最後にもうひとつだけ本の感想。
ヴァン・モリソンはほぼ見た目通り「偏屈な人」であるのはよく分かりました(笑)。
その偏屈さゆえに、プロモーションに真剣に取り組まず、インタビューもおざなりで嫌みすら言ったりしていたことで、彼は「売れっ子」「大スター」になる道を自分から閉ざしていた。
なんとももったいない話ですが、でも一方で、「大スター」にならなかったがために、縛りが少なく、大好きな音楽をずっと続けてこられたというのはなんとも皮肉なことだと。
しかも、です、ヴァン・モリソンは昨年12月にも新作THE PROPHET SPEAKSを出し、ここ3年でなんと5枚目となるアルバムを出したとんでもないじいさんですが、この本を読むと、今のその姿がきわめて自然に映るのです。
そう、これがまさにヴァン・モリソンがやりたかったこと。
思い浮かぶままに曲を作って録音する、ただそれだけ。
この世でいちばん幸せなプロフェッショナルミュージシャン。
それがヴァン・モリソンという人なのではないかと思います。