不安-3rd-雑音・偏差値・ストレス・時間・クラッチバッグ・勉強法・大学受験 | 大学受験デイズ-GIFT-

不安-3rd-雑音・偏差値・ストレス・時間・クラッチバッグ・勉強法・大学受験

もう一度東京へ旅立つ前、毎日計画を立てて勉強を続けた。

夏休みのサイクルは、毎日ほぼ決まっていた。


起きたら、すぐに単語帳をパラパラと眺め、昨日覚えた英文法のチェックをする。時間にしてはとても短いが、記憶の定着には大きな効果を発揮した。

朝の太陽も僕に味方していてくれた気がする。



午前中の半分は、現代文の過去問を解くことに集中した。


理由は以前にも書いたとおり、集中の度合いが最も高く、ヒネリを解く訓練が必要だからである。主な材料として、志望大学の過去問や大学入試レベルの現代文を解き、思考のプロセスを強化する。


この訓練を何度も徹底的にやりこむことに集中した。


このときに漢字などの暗記型で得点できなくても1mmも気にしなかった。その理由は配点比率からである。

漢字で現代文の得点や順位に差がつくとは思えない。
もしあるとすれば極めてハイレベルな者同士だろうが、入試は総合力が問われる。

そのため、現代文だけでは合格できないし、ましてや漢字だけでは決定しない。



他に訓練すべき科目があることを僕はなんとなく感じていた。



現代文のあとは、英文法と英語長文の練習をした。

英文法を知らなければ、長文は解けない。


この夏が終わるまでに、文法は有名な問題集で、80%近くの正解が出せたら次の問題集に移るという訓練をした。

同じ問題が出なくても、今解ければ本番でも解ける確率が高い。逆に、今解けずに本番で突然解けるようになるのだろうか。


長文は、単語を毎日コンスタントにやっていたこともあって、知らない単語の数はかなり減っていた。

それでも、知らないものは当然毎回出てくるし、特に名詞の形容詞化など、頭をONにしていなければわからないようなことで最初はつまずいていた。

だが、それも途中から慣れる。訓練し続けることによって、変化が出ることは理解していたからだ。



政治経済の勉強は、有名な参考書・問題集で自学自習した。


時事問題の対策においては予備校の単科を利用した。

用語集で、ほとんどの意味を暗記するようにもしたが、それだけでは得点できなかった。

やはり、自分自身にまで浸みこませなければ、バラバラの単語は効果を発揮しない。当然得点にも繋がらなくなってしまう。

だから、問題集を解き、暗記し、流れを追い、トータルバランスでの完成をどの科目でも目指した。




夏休みの午後は、地元の図書館にも頻繁に足を運んだ。




そこは古くても大きめの図書館だった。
図書館にくると不思議と集中する気分になる。


たまに地元の大学生らしき人たちも勉強していた。
クラッチバッグがないので、どこの大学生かはわからないのだが、読んでいる本と雰囲気からそう思っていた。


ここで中学の時のクラスメイトに会う。あまり会いたくはないタイプの同級生だったのだが・・・


あだ名はコメ山と言った。


日に焼けた肌の色は黒く、ギョロりとした目が印象的で、無駄に活発なやつだ。

昔から他人のことにやたら干渉的で、他人の夢などに何かしらの否定をすることが多かった。
恐らく否定することで、自身の安定化を図っているのかもしれないが、正直迷惑だった。



そんなコメ山は僕を図書館で見て色々と探りを入れてきた。


瞬間的に耳障りな言葉が連発される。


「おいっす。え、大学受験するの?」


「東京?ふ~ん」


「大学行って意味あるんすか?」


「何か夢があるとか?」


「俺は専門行くよ。資格取れば何千万と儲かるかもだし。」


「俺が行く専門には東大生も通っているんだ。」


と、まぁだいたいこんな感じだ。


でもこの時の僕は、大きく成績が上昇しているわけでもなく、確固たるアイデンティティーも確立していなかったので、こんな無神経な言葉に揺れた。



無神経な言葉は、不安を掻き立てる。



メンタルの訓練が、僕には足りてなかったんだとこの時思った。
しばらくそれを引きずってしまったから。

以前にも書いたように、勉強だけでは解決できない問題や不安がある。

時にその言葉が、勝敗を大きく分けてしまうのではないかと思う。


人は言葉に良くも悪くも揺られ、言葉一つで、人生が大きく変わる瞬間が確かにある。
僕が必ず日記ごとに強い言葉を贈るのも、この理由からである。


問題の発生は、コメ山のケースだけではないと思う。
コメ山のような発生源は、いつどこで形を変えて現れるかわからないからだ。


時にそれが電車の中で聞こえた会話だったり、本屋の参考書コーナーであったり、噂話だったり。
さまざまなところで、予期せぬことは常に起こりうる。


その日、コメ山が消えてからも、僕の頭はフラストレーションで揺らいでいた。

不安は放置しておくと、雪だるま式に独りでに大きくなっていってしまう。

オープンキャンパスまで、まだ日がある。

その日までの時間を無駄にしたくはなかった。

でも、勉強に集中できない。。。


行き場をなくしたベクトルは、僕を学校付近の河原まで走らせた。

そこで川の流れをぼうっとただ見ていた。


何時間くらい見ていただろう。
夕方でも夏の暑さはまだ続いている。


太陽がようやく傾き、夕暮れがやっと感じられ始めた。
その時、オレンジ色の夕日の方から見たことのある人が、こちらへ歩いてきた。






自転車の彼女 だ!





メールなどはしていたものの会うのはあの夜以来だ。

僕は彼女の方へ手を振り上げた。



『精神の不安は生のしるしである』
カール・メニンジャー


『勉強する事は自分の無知を徐々に発見していく事である。』
ウェル デュラント



自転車の彼女と、そのまま川が見れる土手に座り込んだ。

夏のせいもあってか、夕焼けの空に飛行機雲が飛んでいる。
夕日が川に反射してキラキラ輝いていた。


「受験勉強、調子どう?」
彼女が聞いてきた。


『うん、まあまあかな。』


「ケイ君、いつも勉強頑張っているし、きっと合格できるよ。」


『あ、うん。。ありがとう。』


「目標に向かっていけること、凄くうらやましいなぁ。私はなんとなく専門に進むんだ。でも、いつか大きな夢や目標とか見つけて叶えるね!」


『できるよ、絶対! 俺も、もっと頑張る。』


ふいに彼女に今付き合っている人はいるのか聞いてみたくなった。
よし、思い切って聞いてみよう。



『今付き合っている人とかいるの?』


「え、あ、いないケド。」


『ま、ま、マジか。』


この時今までの中で一番彼女のことを意識していた。ずいぶんと間抜けな自分だった。
ここからもっと話を膨らませることもできない。


もっと距離が近づけるのは、少し先のこととなる。その日はまた手を大きく振って帰った。


受験に恋愛は必要なのだろうか。
僕にはわからなかった。


でも、一緒にいるとすごく楽しかった。
彼女が僕のことをどう考えているのかはわからないけれど、今は笑い合っている。そんなこの時間だけ大切にしたかった。



翌日からは、感情面での闘いだった。



「不安の克服は、真の集中からできる」と参考書には書いてあるものの、それがなんのことなのかはよくわからない。

そんな時、6月に予備校の現役クラスで受けた模試の成績が返ってきた。





「偏差値50」





(は!? なんで!? あんなに勉強したのに。)

そんなにすぐに成績に反映されるとは思っていなかったが、以前と大して変わっていない自分が嫌だった。加えて、努力をしていたはずの時間が、とても否定された気がして精神的に今までで一番キツかった。



現実を突きつけられていた。



模試の数字が、「大学の高望みなんかするな」と大声で言っているようだった。



窓口から返却されたその紙を勢いよくカバンに詰め込んで、その日は1秒も勉強しなかった。

こんな気持ちのときは、何をやってもつまらなかった。



同じ感情を引きずったまま何日かが過ぎて行った。



前のような退屈な日常に戻っていく感じがし、それに抵抗する気持ちと動かない身体との拮抗の日々だったと思う。



母親からは「顔色すごく悪いけれど、大丈夫?」と言われた。
地元にいた僕は、余りに精神的にくたびれ、大きく変われる「何か」を強烈に探し始めていた。



そして、再び東京に行く日が来た。



長い時間かけて乗り継ぎ、渋谷に着く。
今日はここで降りずに目的のMARCHのオープンキャンパスに向かった。


キャンパスに着くとまた大勢の受験生がエスカレーターやエレベーターなどで、ごったがえしていた。
すいていたエレベーターの方に向い、ドアが開くのを待つ。


これから僕は一体いくつのドアを待ち、いくつのドアを開いていくのだろう。いや、今の僕に、ドアは開くことができるだろうか。


エレベーターが到着した機会的な音が鳴る。

ドアがゆっくりと開いた。




『朝が昼の証を示すごとく、幼き時代は成人の証となる。』
ジョン・ミルトン