皆様、御機嫌よう。
日本では台風が来ていたそうで・・・何も知らずに申し訳ありません。
大丈夫でいらっしゃいましたか?
本日から「トランスコーナ歴史博物館」を数回にわたってご紹介いたします。
小さな町の小さな博物館なのですが、いろいろなことを感じさせていただきました。
こちらが外観。レンガ造りの趣ある雰囲気でございます。
展示品はトランスコーナの街の発展と悲しい歴史の遺物になります。来た時にはただ昔のものが展示してあるだけなのかと考えておりました。
トランスコーナは労働者の街でございました。カナダ大陸横断鉄道の建設にことを発し、いわゆる「創られた」街です。また、創建当時ネイティブカナディアンの石器も多く発見されました。そこから時は流れ、工場の集まる工業街となりました。時代の流れとともに、徐々に衰退してゆきましたが、いまでも街は健在です。
ここまでなら、どこの国でもひとつはありそうな街でございます。ですが、ここは少し違うのです。この街が最盛期だったころ、第一次・第二次世界大戦・朝鮮戦争が相次いで勃発いたしました。イギリスの植民地であり、また連合国に加盟していたカナダも多くの兵が招集されました。
トランスコーナの街には働き盛りの男性が特に多かったため、大戦当時約600人いた男性のうち約400人が出征したそうです。そのほとんどの方は2度とここに戻ってくることはなかったそう。街の郊外には3つの戦争で亡くなったおびただしい数の方々の、おそらく遺体の埋まっていない、お墓がございます。街に残ったのはわずかな人口だけ。当然街は衰退してゆきます。こちらの博物館におさめられているたくさんの写真には、所有者のわからないもの、写っている人物が不明なものが数多くあり、現在も情報提供を求めていました。一時代を築いた人々が、記録に残ることもなく消えて行ってしまったのです。
メモリアル・サークル公園と名付けられた慰霊碑に確認できた方だけの名前と3つの戦争の名前が刻まれておりました。
また、現在当時のことを知り、戦争から生きて帰ってきた生存者のお2人のDVDも見せていただけました。若き日にここへ移住し夢を見て働いたこと、戦争の恐ろしさ、また帰ってこられなかった人々への思い・・・そして、彼らが戦ったおもな国はなんと日本だということもわかりました。衝撃的でした。まさか、海外に来て、こんな小さな町の小さな博物館で「日本」の名前が出てくるとは。こころから、申し訳ないと思いました。無知な自分や、原爆の被害を受けた日本だけが悲劇の国家だと思っていた自分をです。そして、こちらの慰霊碑やお墓に足を運んで良いものかとも迷いました。すべてを奪った敵国の人間ですから・・・結局行ってしまったのですが・・・お祈りはしっかりと致しました。
今日、少しでも忘れてはならない人々のことを知ることができて本当に良かったと思います。そのDVDでは最後にこう書いてございました(意訳)。「すべての帰還者、またすべての帰ってこられなかった人々を忘れることはありません」。また、生存者の一人の方の言葉を(意訳)。「もし今日、街に帰ることができたら、私はなんてきみ(奥様のこと)になんて言うだろう?当時何度も思いましたよ」。私にって間接的に感じていた英語なのに、日本語で直接言われているかのように強烈な二言でした。
街の一角にございますホテルです。「Welcome Back Gays」(ようこそ、戻ってきた皆さん=帰還者の方々)とあるのがおわかりいただけますでしょうか?70年近く時を経た今でも、この悲劇が強く残っています。この街には歴史的な建物も多いのに、どこか哀愁が漂っていました。
毎年夏になると、日本も戦争の悲劇を痛みますよね。こちらもそれはかわらないのでしょう。カナダの人々の気持ちを少しだけ理解した気が致します。
それでは皆様、御免下さいませ。