あれから20年・・・神戸カットボランティア | イチゴカラー公認インストラクター グッチ

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あれから20年・・・神戸カットボランティア


 今日は阪神淡路大震災の日です。

20年前の1月17日未曽有の大災害が阪神地区に発生しました。

 神戸の悲惨な状態をテレビで見るたびに
何か自分でできる事はないか・・・と考えるようになりました。

 やがて・・・神戸に行こうという決断をしたのです。

発生から約2週間経って頃に神戸へ行って何ができるか
はっきりとは分かりませんでしたが被災地へ出向いて
何か皆さんのお役に立つことはないだろうかと考えました。

20年前の1月30日、私は自分の車に水、食料品、毛布、ガソリン
携行缶とりあえずのものを詰め込んで出発しました。

高速道路は明石の手前になると検問所があり災害復旧のステッカー
がない車は通せないということでインターチェンジから降ろされ
国道2号線を神戸へ向かいました。

国道2号線の明石を過ぎた位から国道の両脇の瓦礫が目に付きました。

そらから多くの建物が倒壊し瓦礫の山が道路へはみ出し、
それがだんだんと神戸近づくにつれて倒壊したビル、
一階が押しつぶれたビル、壊れた建物が道路まで迫り出してくる様子
が見えてきました。そして、やっとの思いでたどりついた神戸長田区の状況は

あたり一面が焼け野原の状態でTVで見たことのある終戦直後、
空襲の後のような感じがしました。

神戸は朝の気温がマイナス2℃3℃にまで冷え込み、
車内は暖房をつけないと眠れない状態でした。

当時ガソリンも携行缶に入れて持っては行きましたが、
とてもエンジンをアイドリング状態で一昼夜過ごすほどの
余裕はなかったのです。


 次の日、目が覚めてさらに驚きました。

焼け野原が辺り一面延々と続いてたのです。
六甲の山がはっきり街中でも見える状態なんです。

立体の高速道路が倒れて・・・

それはもうこの世のものとは思えないような状態でした。
まるで映画を見ているような錯覚を起こしそうでした。
 

私はボランティアをするんだったら地震後の最も火災発生で
酷い状態の長田区へ行こうと最初から決めていました。
  

そこで最初に訪問したのが長田区神楽(かぐら)小学校だったのです。

「すみません美容師なんですけどカットのボランティアって必要ですか?」
と先生らしき方に尋ねたのですが・・・

「皆さん、今は、まだ心の余裕がないでしょう。」と、
あっさり断られてしまったのです。

予想した返事でもありましたが、さあこれからどうしよう
と正直、途方に暮れてしまいました。


 しばらく体育館の周りを歩いていましたら
今度は少し年配の先生風の方が声をかけてきました。

「今できる場所は体育館の角にある体育倉庫、その救援物資
を片付ければ、髪を切る位のスペースは
確保できるんじゃないか・・・」ということでした。


当時、体育館はすべて避難所になっており、動くスペース
もない位にすし詰め状態でした。

取り敢えずここでカットしようと決め、
霧吹きに水をもらってカットができる状態にしました。

 小学校の6年生の男の子とそのお姉ちゃん
高校1年生位だったでしょうか・・・手伝いに来てくれました。


そろそろ準備が整った頃、校内放送で先程の先生が

「九州からカットのボランティアにこられています
ご希望の方は体育館角にある体育倉庫にお越しください」
という内容のアナウンスが校内に響き渡ったのです。

神楽小学校でのボランティアを始めたのが
2月の2日だったと思いますが、

六甲おろしの風が強くて寒い日だったと記憶しています。

校内放送の後、数分でどんどん人が集まり
20人程の列になってしまいました。

そこでお手伝いの
女の子がノートを持ってきて予約表を
作ってくれたんです。


 カットを始めてしまえば、その異様な雰囲気にもお互いが
慣れてきて、笑顔もこぼれるようになりました。

とはいえ、鏡も持参していましたが、なかなかサロンワーク
通りにはいかないものでした。

そんなことは取るに足らない問題です。
一番困ったのは何かというと設備ではありません。
会話なんです。何を話していいのやら・・・

もちろん避難所に避難されて来られてるわけですから
家族や兄弟の安否等を聞いても仕方がありませんし、
ましてや周囲友人の方など亡くなられた方が多い
と思われたので特に会話は積極的にしませんでした。

しかし、中には自らの口から家族が亡くなった。兄弟が亡くなった。
と自ら話をされた方もいらっしゃいました。

 最初は、どうなることやら・・・と始まったカットのボランティアですが
大盛況で1日20位を毎日カットしてました。

カットだけを一日平均20名を行い一週間位過ぎた頃に
親指が腱鞘炎になり、親指のつけ爪の付け根から爪が割れ出血し、

ハサミを動かすことすらかなり困難な状態になってきました。
しかし避難生活を送られている方のことを考えると自分の
指が痛い位の事は大した事ではありません。

とにかく頑張って皆のお役に立とう・・・
当時は、その思いしかありませんでした。



 たくさんのボランティアが集まってきて特に大学生は
ボランティアに参加すると単位がもらえる。ということで

あちらこちらの大学から学生さんが集まってきました

真剣にボランティアに望む人もいれば単位の確保目的のため
何もせずにぶらぶらしてる学生もたくさんいました。

救援物資が全国各地から送られてきました。
震災後一ヶ月も過ぎると、救援物資も必要なところに
なかなか行き届かず。勝手に持ち出す人も出てきて
救援物資、或いは弁当の配布については、かなり問題になりました。

大量に余った弁当が捨てられていました。
大きな課題が残るような感じがしました。


ある日、”吉野家の牛丼”の炊き出しがありました。
私はカットでお客様を待たせてる身でしたから小学校の6年生の
男の子が代わりに並んで持ってきてくれたり、

自衛隊(久留米駐屯)が派遣されてて、
当時のテント地のお風呂が用意されてました。
久し振りのお風呂に人が殺到していましたね。
それも、その男の子が順番を待ってくれて、
久しぶりのお風呂を楽しまして頂きました。

困ったことに、とにかく車中泊で夜間気温がマイナスになると
エンジンを切ってしまうと室内がかなり冷えて
寒くて眠れないんです。


ガソリンもお手持ちのものがなくなると遠くまで買いに
出なきゃいけないので、かなり節約しながらの暖をとっていました。
 

神戸長田区神楽小学校のカットボランティアはちょうど一週間、
私のボランティア計画は一週間の計画でしたが、
神戸のあまりの悲惨さに翌週のスケジュールを全て変更し、
もう一週間ボランティアを続けることを決意しました。

帰ってからの自分の仕事などどうでも良い
どうにでもなる・・・。そう思えるのでした。


神楽小学校のカットボランティアを済ませ、
次に東灘区御影駅近くの本庄小学校へと移りました。



移動する車から見える街並みは惨憺たる状態で
目を覆わんばかりの光景が目に飛び込んできました。

しかし、その中でも・・・

「具合の悪い方は申し出て下さい。診療中」と書いてある病院
の看板があったり、「お金の心配はいりません。歯の治療行っています。」
という歯科医院があったり・・・

それはもう神戸の街、住民ひとり一人が、何か人の役に立ちたい。
助かった自分を活かしたい。そんな思いだったと想像します。
全員がボランティア精神で焼け野原の中で動いていたように記憶しています。


本庄小学校にはボランティアセンターがありましたので、そこで申し出、
それから場所を確保しヘルプの人材も用意して頂きました。

その場所も数日前までは遺体安置所になってた教室でした。
”本庄美容室”という仮の名前をつけ、再びカットボランティアを始めました。

 2月の14日ちょうどバレンタインデーの日にあたる、
その日に神戸東灘区本庄小学校を後にしました。
ちょうど2週間の神戸滞在でした。

私は20年前に思い切って神戸を訪れたことを
本当によかったと今、当時の写真を見て思い出しています。

ある学生ボランティアの女の子が「カットの先生は自分の職業で、
そのまま皆さんのお役に立てられて本当に素晴らしいですね・・・」
と言い残し、「私たちこれからトイレ掃除のボランティアに行ってきま~す!」

その言葉と元気な笑顔がとても印象に残ってます。


あれから20年・・・
神戸の街は以前にも増して整備され素敵な街へと
復興を遂げたと思います。しかし、 
20年前の阪神淡路大震災の記憶は決して忘れることはありません。

震災後に生まれ育った大震災を知らない人たちに、自然災害の恐ろしさ、
いざという時の心構え、等々、語り伝えなければならないと思いを深くしています。

私自身、20年前の行動力をこれからも持ち続けたいと
改めて思う1月17日となりました。


最後に死者6,434名、行方不明者3名、
負傷者43,792名の阪神・淡路大震災の発生 から
20年の節目にあたり、改めて、震災によりお亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈りする とともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。


長文を最後までご覧頂きありがとうございました。


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