ガダルカナル戦書籍一覧


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サバウル村を後にしカミンボへ向う

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal

戦史ではエスペランスとカミンボよりガダルカナルから撤退したとある。
現地へ行ってみるとエスペランスという村はなく、ベラバウル・サバウル周辺を総称してエスペランスと呼んでいたようだ。


カミンボのビーチを右から左へ・・・

サバウルからは見えたサボ島はカミンボからは望めない。

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ガダルカナルのローカル地図にはカミンボ湾とある。

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カミンボ湾には伊号潜水艦が眠っておりダイビングポイントとなっているらしい。

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コバルトブルーの美しいビーチ

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ビーチに落ちていた椰子の実の殻・・・小さなヤドカリが判るだろうか。

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ガダルカナルから最後に撤退した兵士

昭和18年2月7日 19:30 カミンボ
船舶工兵第八連隊第三中隊長吉田武中尉は撤退する将兵が舟艇に乗艇し駆逐艦へと向う姿を確認し、部下三名とともに小型発動艇2艇でカミンボ残っている。

21:00駆逐艦入港予定にあわせ準備の出来た舟艇は全て沖合いで待機させ、吉田中隊長は最後の脱出の時間までカミンボで艇上での待機である。

部下以外は誰も居ないカミンボの砂浜・・・
暗闇の中で突然、人の気配を感じている。

部下の松本曹長は舟艇より降りて「誰か!!」
ふらふら歩きよる兵士を認めている。
皆で抱き上げ艇の中へ入れると「待ってくれ、今そこで別れた戦友が居る。つれて来るまで待ってくれ」

吉田中隊長は「この艇が最後だ、もう時間が無い」と言っても「戦友が来るまで待ってくれ」としきりに訴える。

後一時間で離岸しなくてはならない。

20:50
松本曹長が点燈のため標燈へ向うとその方向で、大声をあげて走り回っている兵士が居る。
この兵士は精神に異常を来たしているらしく、わめきながら逃げ回るので松本曹長は加勢を呼び二人がかりでようやく艇へ連れこんだ。

21:00 今まで静かだった渚か波でざわざわして来る。
駆逐艦が来たのだ。

21:30吉田武中尉は「日本兵は居ないか」と周囲に繰り返し叫び、誰も居ないことを確認して駆逐艦へと離岸している。

ガダルカナルからの最後の撤退兵士二名を載せて・・・


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※小川陣地よりカミンボまで凡そ40km




歩兵第十六連隊第一大隊第一機関銃中隊長 佐藤典男中尉
昭和18年1月2日、小川の陣地で砲撃を受け左頭部と左腰に重傷を負った。
以来二週間壕の中で横になっていたのだが、第一大隊長勝股治郎大尉より「拳銃と軍刀を持って直ちに大隊本部へ来い」との命令を受け這いながら壕から本部へと向った。
※歩29連隊第11中隊長勝股治郎大尉はこの時、歩16連隊第一大隊長となられている。
戦史での任官はフィリピンで連隊が再編された時となっているが実質ガ島で大隊長の職責をはたされている。


勝股大隊長は「お前が一番心配であった。状況は承知の通り。直ちに後退せよ」と乾パンと携行食糧を手渡しながらの命令である。

佐藤中尉は負傷しておりどこまで下がれるか自信がなかったが軍刀を杖に運を天にまかせ歩き始めた。

1月17日第一線・小川陣地

1月18日水無川野戦病院

1月20日セギロー川

1月25日アルリゴ

1月26日偶然石井伍長と再会す。
   
この頃石井伍長、佐藤中尉ともにマラリアにて苦労していた。
石井伍長は高熱で頭が狂う。
偶然2月4日までにエスペランスへ集合の命令を聞く。

二人は負傷した身体を引き摺り、マラリアの発熱を押して歩くも石井伍長は発熱で行方不明、佐藤中尉も発熱で意識を失い2月4日は意識不明のうちに過ぎ去る。

意識を取り戻した佐藤中尉はエスペランスまで数百メートルのところで倒れていたのである。
ガ島へ取残された・・・

エスペランスの海岸と海には舟艇に乗ることのかなわなかった死体が漂っている。

椰子の樹に板が・・・「カミンボ三里」

乗り遅れたものはカミンボへ来いという意味ではないかと直感し熱と下痢で衰弱甚だしい身体を引き摺り、精神力のみで歩を前に出す。
雨を避けようと小屋に入ると死体が重なり合っており、慌てて小屋の外へ出た。


2月6日、「翌7日、最期の艦がカミンボより出る」との噂を耳にする。
生死を別ける乗艦だ。

両肘、両膝を血で滲ませながら這っている者、蛆に埋もれ臭気漂う死体、誰も見向きもしない。
歩ける者も、皆半死半生なのだ。


2月7日正午ころ
偶然、石井伍長と再々会する。
二人は手を取り合いカミンボへ・・・日が暮れたがもう足が動かない。
ジャングルヘ倒れこみそうになるのをお互いに引っ張り合いながら歩を進めた。

20:00頃、ジャングルの先がざわめいているようだ・・・

「誰か!!」
「十六連隊」

こうして佐藤中尉と石井伍長は吉田武中尉率いる最期の舟艇隊に回収された。
ガダルカナルから最期に撤退した二人である。



※佐藤中尉の第十六連隊第一大隊第一機関銃中隊のガ島上陸人員120名、生きてガ島から撤退できた人員9名、その後ビルマ等で倒れた者4名、終戦まで生き延びた者は5名。
石井伍長もビルマで散華されている。

※この「ガダルカナルから最後に撤退した兵士」は吉田武氏の著書「ガダルカナル最後の日」、土井全二郎氏の著書「失われた戦場の記録」、佐藤典男氏の私記「私のジャワ攻略戦そしてガダルカナル島の血闘」を参考に書かせて戴きました。




現在のカミンボ村

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カミンボ村の村長のダビ氏
以前、マルハ(旧・大洋漁業)にお勤めされ横浜での滞在経験があり日本語を少し話される。
親日的で笑顔が渋い村のリーダーだ。

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全国ソロモン会さんの資料によれば、此処は歩兵第29連隊(会津若松)の病院跡地となっている。
しかし、撤退最期の地であることからして歩29に限らず38師団、2師団、川口支隊・一木支隊等全ての部隊の将兵が集まっていたと推察される。
佐藤中尉のように最期の最後で回収された兵士は幸運・神助以外の何物でもない。
海岸線より撤退された佐藤中尉の体験記録から考えると山間地に布陣されていたアウステン山・シーホース・見晴台等の兵士が撤退されたご苦労は計り知れない。
ギフ高地の稲垣大隊にいたっては撤退命令すら届かず玉砕されている。

最期の舟艇に間に合わずそのまま取残されてしまった将兵も数多く居られたのである。

病院跡地だと案内された村の中央で御慰霊させて戴いた。
ガ島にかかわる陸海全部隊の御英霊へ、ご冥福をお祈りし・・・合掌。

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恐る恐る村長ダビ氏に「今はもう御遺骨は無いですよね?」と問うと・・・
「昔、沢山の日本人が来て持ち帰った。今はもう無い」との言葉に安堵した。


カミンボの少女

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カミンボ村の人々もとても暖かく接してくれた。


つづく

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。

新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

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石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。

平成23年8月20(土)~9月3日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ38柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
派遣隊の活動の様子を現役大学生フロッグクレーンさんが綴られております。
第二次派遣隊の募集が開始されました。
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○原発関連情報○

独逸天気予報より →  放射能予報

文科省発表 → 全国放射能濃度一覧

武田邦彦教授の → ブログ




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