勇〇三部隊(歩兵第29連隊会津若松)第十一中隊長勝股治郎氏の著書「ガダルカナル島戦の核心を探る」より第二次総攻撃に於いて最初に突撃を行い壊滅した場面をご紹介させて戴きました。
引き続き「勇〇三部隊戦史」のご紹介へ移ります。


勇〇三部隊戦史では第十一中隊長勝股大尉は24日夜半に負傷後退のような記述がありますが、厳密には15日早朝鉄条網内より脱出し、その夜再び予備隊とされていた歩兵第16連隊と共に再突撃されています。

第十一中隊は中隊長負傷後退、各小隊長も死傷残る兵士も僅かとなる。
大隊本部も草原手前の林縁近くに前進していたため砲撃により死傷者が続出している。
第十一中隊に引き続き、第九中隊が第十一中隊が突入した附近に前進、敵機銃弾が少なくなって来た頃合を見計らって
第九中隊長牧田幸夫中尉の声がした。
「第九中隊突っ込みます」
これに続き「ウワー」と喚声があがる。
先にご紹介した四条紫雷氏著「ガ島に死すまで 一兵士の手紙より」の四条重孝氏がこの突撃により戦死または戦傷死されたと想像されます。
左火点に中込少尉の第二小隊、中隊主力の荒川見習士官の第一小隊が中央火点、鈴木勇吉少尉の第三小隊がこれに続き鉄条網へ殺到する。
しかし、第十一中隊同様、兵力のほとんどが死傷し突撃頓挫。

この状況を見て古宮連隊長は吉井大隊長へ
「吉井少佐、重火器の支援のない戦いは無理だな」
連隊副官関大尉が言う。
「第三機関銃中隊を前進させましょう。今なら間に合うと思います」
古宮連隊長は頷き
「よし、副官機関銃中隊を至急呼んで来い」
関副官の要請に
第三機関銃中隊長柴小屋中尉
「了解、射撃準備ィ」
重量28kgの銃身へ脚を装着、総重量約60kgの機関銃を兵士二人の手で持ち上げ走り出した。
機関銃は第三小隊長坪井少尉の1銃、第二小隊長今泉勲中尉の1銃だけであった。
したいが散乱し、負傷者多数の泥んこの中、機関銃の前進は困難を極めた。

第11中隊、第9中隊の突撃は失敗した。
第三大隊長吉井少佐は、第一大隊よりはぐれてしまった第三中隊と残存兵を集め第一線に配置。
追及してきた第十中隊掘敬喜中尉へ第三中隊後方に布陣を命じ、第三機関銃中隊の到着を待つ。
古宮連隊長は第三大隊の配置に同意すると連隊本部へ引き返し
「う~ん」
と唸り、どっかりと胡坐をかいて座り込み、瞑目し考え込む。
暫くして気を取り直し、連隊副官の関・船津両大尉を呼び寄せ
「戦況は最悪の状況にある。しかし、今夜中に何が何でも敵陣地を突破しなければならない。敵陣内には少なくとも一個中隊はいる筈だ。この兵士達を見殺しにするわけにはゆかない。送球に態勢を整え再攻する。」
決意を語り第一大隊の掌握と暗号書の保管に万全を期すよう命令を下し。
「よし、前進だ」
と古宮大佐が声を掛けたとき、
側に居た本部書記河野曹長
「連隊長殿、軍旗を後方へ下げて下さい。」
すかさず、連隊旗手大野少尉
「軍旗に後退は無い」
旗手を交代したばかりの大野少尉の一言により、軍旗の安泰を考えていた古宮連隊長も大野少尉の言葉を拒否する理由を失った。
軍旗は陛下の分身であり、常時連隊長と共にあらねばならないからだ。
「その通り、軍旗はわしと共に行く」
旗手は軍旗の進退を云々すべきではない。
軍旗を連隊長に代わって捧持するのが任務である。
関副官は見かねて
「連隊長殿、軍旗を安全地帯へ・・」
古宮連隊長は
「軍旗は我と共に在り、前進あるのみ」
時すでに25日午前四時である。

古宮連隊長が敵陣内に一個中隊は居る筈としているが、勝股大尉の証言のように敵陣内には数名しか居なかったと思われる。
また軍旗について、この時の一瞬の判断で勇〇三部隊は一木支隊に続きガ島で二流目の軍旗を喪失する事になる。
軍旗を失う事により、第二次攻撃頓挫の後何かと冷遇される事になるのだ。
なんとも、第一線に於いて軍旗とは邪魔な物である。

再び第十一中隊長勝股治郎氏の著書「ガダルカナル島戦の核心を探る」より
敵陣内で一夜を明かし、黎明をついて鉄条網を乗り越え脱出、鉄条網の外で身動きが取れずに居た兵十数名を掌握し大隊へ戻っている。
鉄条網は切らずとも乗り越えられる・火点の潰さねば攻撃の成功なし・生き残りの中隊員の掌握を考え、かつ状況報告の為、敵機関銃を背に危険な脱出である。

林縁に着くと吉井大隊長、次いで傍らにせわしなく指示をしている古宮大佐の背が映った。
足下には百名あまりの兵が銃剣を針鼠のように逆立て伏せている。
「大隊長殿」
叫んで駆け寄る小生の姿を認め、吉井少佐はただ
「済まん、済まん」の連発のみであった。
小生の顔面半分紅に染まった姿を見て人情深い少佐は、小生の指揮の拙劣を云々するより一途にこう言われるのであった。
後日聞いた事であるが、この時すでに第十中隊は一部を残しジャングル内で行方不明。
大隊副官代理久米中尉戦死、第十一・第九中隊・工兵小隊壊滅連絡なし、第一線へ連絡派遣した三輪曹長等遂に帰らず、数時間にわたるじゅうたん砲撃により連・大隊は、支離滅裂となり悲憤を抑えて林縁に釘付けとなっていたのであった。
小生の闖入に、背を向けていた古宮大佐は、ちらと振り返り「おう!」と言った切り白兵突撃の処理を続けた。
刻々と明けて行き、一刻を争う時である。
また、白兵突撃か!心に叫んだ小生はいきなり口をはさんだ。
「連隊長殿!駄目です!敵火点をそのままにして突撃は出来ません!」
「そうか・・・それでは火炎放射器でやるか!火炎放射器を呼べ!」
とんでもない、この薄暗がりで火炎放射器が発火したら敵に届くまでにこっちがやられてしまう。
鬱積した感情を押し出すように叫んだ。
「もう射撃させてください。機関銃で敵火点にぶっ放すんです。夜襲だから射撃するな、なんて言っているからこの始末です。何も火点を撲滅しなくてもいいんです。盲目滅法射ち込んで、敵が射撃を一時止めればその間に突撃できるんです!」
連隊長はようやく承知された。
「第三機関銃を呼べ」
急史が走る。

この勝股氏の記述により、勇〇三部隊戦史の編纂に勝股氏が加わっていない事が推測される。
勇〇三部隊戦史は昭和58年発刊で勝股氏の著書は平成八年の発刊である。
勝股氏の生き証人としての記述が正しいと考えるのが一般的ではないだろうか。
そもそも、射撃を禁じて夜襲をするのは敵状偵察が充分に行われ地形も把握し隠密行動が取り得た場合に限られると考えてしまう。
師団参謀か大本営派遣参謀の命令なのであろうが、現状を無視した命令で連隊長クラスまで縛られてしまう矛盾に愕然としてしまう。
蛇足ではあるが、ここに登場してくる将兵は、皆空腹に加えマラリアなどの熱病に冒されている兵士も少なくない筈である。
また、丸山道を難路苦行の末疲労困憊、そのまま攻撃開始されたのである。


第二次総攻撃初期に、ただただ機関銃に撃たれ砲撃に散ったご英霊のご冥福を心より祈らせて戴きます。


※著作権の問題がございますようでしたらご一報ください。
 早々にご対応させて戴きます。
Mail: tobu23butai@gmail.com  勇一三〇二


勇〇三部隊戦史その⑫へ続きます。




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