ガダルカナル戦書籍一覧


書名 奇跡の雷撃隊


著者 森 拾三 氏


著者略歴

大正六年二月、埼玉県飯能に生まれる。

昭和十年六月、横須賀海兵団に入団。

同年十一月霞ヶ浦航空隊へ転勤。

昭和十二年十一月、第38期操縦訓練生過程を卒業し館山航空隊付となり、艦上攻撃機操縦員としての訓練を受ける。

昭和十三年四月、第十二航空隊。

昭和十四年一月、霞ヶ浦航空隊。

昭和十六年九月、大村航空隊へ派遣されてまもなく「蒼龍」乗り組みとなる。

「蒼龍」艦攻隊として、真珠湾・インド洋作戦・ミッドウェー海戦等に参加。

ガダルカナル攻防戦のさい、グラマンの攻撃を受けて不時着水、右手を失う。

昭和十九年七月、谷田部航空隊に着任、神町航空隊で終戦。

昭和五十九年歿。


発刊日 

単行本 昭和48年

文庫本 昭和59年


頁数   333頁


発行  光人社



ガダルカナル戦関連書籍


目次


「馬車屋」への誘い<序に代えて>  坂井三郎

第一章 限りなき大空へ

   運命の変転の中で 15

   あこがれの海軍へ 24

第二章 生死の間にありて

   おれは負けない 32

   人間完成をめざして 38

   ゆるされた単独行 49

   かなしみを乗り越えて 57

   同期の桜かえらず 64

第三章 碧空に殉ぜとも

   初陣の時はきたれり 77

   あいつぐ爆撃行 87

   死にいそぐなかれ! 92

   果てしなき戦場へ 100

   ある日の野口五郎大尉 116

第四章 真珠湾上空の凱歌

   猛訓練はじまる 123

   世紀の出撃の前夜 137

   われ戦艦に突入! 156

   愛機三一二号との別れ 172

   戦果の裏にあるもの 181

第五章 せまりくる破局

   おもいがけぬ帰郷 188

   ペリリュー島の宴 200

   凱歌もむなしく 208

第六章

   悔いおおき出撃 222

   零戦隊つよし 230

   戦運わが方になし 246

第七章 ガダルの空に死なず

   ふたたび機動部隊へ 267

   それでも私は飛んだ 274

   飢餓の島に生きる 302

   母艦とのわかれ 320

右手の代償<あとがきに代えて>

写真提供/坂井三郎・著者遺族



著者の森拾三氏は、霞ヶ浦航空隊第38期操縦訓練生過程を卒業されている。

同期に「大空のサムライ」で有名な坂井三郎氏がいらっしゃる。


自分が注目した場面は、森氏がガ島上空に於いて被弾後、不時着水したところから始まる。


その前に森氏が被弾不時着水する前にガ島の状況を記してみる。

昭和17年10月13日深夜より14日にかけ戦艦「金剛」「榛名」による米飛行場の艦砲射撃が行われている。

目的は第二師団上陸の支援で、飛行場を破壊し輸送船団の上陸を米飛行機から守るためである。

同年10月15日未明、ガ島タサファロング海岸、陸軍の誇る高速輸送船団「吾妻山丸」「南海丸」「九州丸」「佐渡丸」「笹子丸」「埼戸丸」が揚陸を開始。

人員は全員無事上陸、糧秣の八割の揚陸を終えたところで、米攻・爆撃機による襲撃を受け輸送船団六隻のうち「笹子丸」「九州丸」「吾妻山丸」の三隻を喪失する。

その後、せっかく揚陸した糧秣・弾薬も米駆逐艦の艦砲射撃により大半を失う事になる。

森氏は、ガ島がそんな状況のなか、昭和17年10月17日、空母「隼鷹」より出撃。

(ミッドウェーで乗艦「蒼龍」沈没後空母「隼鷹」乗り組みとなっている)

爆撃目標は米大型輸送船。

目標に近づくにつれ米戦闘機に狙われるも零戦の活躍により目的地まで到達するも、経験の浅い艦攻指揮官より、投弾寸前に「投弾やりなおし」の合図があり、旋回再進入を試みる。

その時には、護衛の零戦は護衛完了と判断しすでにおらず米戦闘機の射撃により被弾した。

森氏は、その被弾の際右手首を失いながらも左手両足の卓越した操縦によりガ島西海岸エスペランス岬附近へ不時着水する。


ガ島の兵隊たちの第一声

「おい、早くジャングルに走りこめ!あぶないぞ」

「やつらは、ひとりでも人間を見つけると爆弾を落とすんだから」


森氏は兵隊達に支えられ野戦治療所へ運び込まれる。

陸軍軍医(本書発刊当時・宮城県若松町、佐々医院院長佐々清雄氏)の手により手術は無事終了し手術終了後、海軍野戦病院へ移されガ島傷病兵の一員となった。

ガ島の状況に森氏が驚いている場面が多々ある。

海軍野戦病院に移って翌朝目を覚ました森氏は、不時着水した艦攻搭乗員のなかで無傷であった渡辺兵曹と右足を負傷した八代飛曹長へ

「朝食はまだですか」と聞いている。

八代飛曹長「めしはないんだとさ」

森氏「えっない?じゃあどうするんですか」

無傷の渡辺兵曹「ちょっとまってください。さがしてきます。」


食糧倉庫の主計科員が「おれたちを助けに来てやられたんでは気の毒だ」との理由で缶詰を十個ほど分けてくれ渡辺兵曹が持ち帰る。


三人で食べようとしたところ、近くに居た兵隊が十人。

「おれにも食わせてくれ」

「もう十日も食べてないんだ」


ここで三人は気前よく十個の缶詰を兵隊十人と全てたいらげてしまっている。


航空母艦で、食事に不自由なく爆・雷撃に専念していた搭乗員には驚きの連続であったと想像する。

第二師団の総攻撃が失敗する前、かつ比較的食料に恵まれていた海軍での後方野戦病院においてこの食糧難であったかとあらためて深い溜息が出た場面であった。

森氏の怪我の具合と、食料事情を察するに一ヶ月を超えれば、すっかりマラリアと栄養失調に陥り二ヶ月あたりで生死を彷徨っていたと想像するが、さすが海軍搭乗員。

十一月五日には駆逐艦でガ島を後にしている。

森氏はガ島脱出の知らせを受けた時

「ありがたい、母艦に還れるぞ、この餓鬼道の苦しみからも解放されるぞ」

と喜び、次の瞬間、

「この餓島に取り残される数百名の戦友たちの運命を思って暗澹たる気持ちになった。」

と記述されている。

ガ島滞在二十二日間の貴重な記録である。



以前、コメントを戴きました、ばたかなさんよりご紹介いただきました書籍となります。

ガ島戦の陸戦ばかりを追いかけているもので、ご紹介戴かなければ拝読せずに過ごしてしまったかも知れない一冊でした。

今一冊ご紹介戴いております、「防人の詩」も入手済みです^^

ばたかなさま、ご紹介戴き本当にありがとうございました。


追記

↓本書「奇跡の雷撃隊」を紹介されているホームページを発見致しました。

http://www.geocities.jp/motosantiq/97kanko/juzo_mori/juzo_mori.html

荻窪へ行く機会があれば「馬車屋」へお邪魔したいと思います。