。 内田氏:  そうかもしれません。 鈴木氏:  ところが,コミュニケーションの本伽悉饯Δ扦悉胜い螭扦工瑜汀?br> 社会学には“再帰性”(Reflexivity)という言葉があります。簡単に言うと,相手の行動に対して,自分の中で“あれは何なんだろう?”と考え,自分の見られ方や行動を調整するのがコミュニケーションの基本であるというものです。  昭和歌值膜誓信v係の理想が,“俺がこうするんだから,お前がこうするのは当たり前だろう?”という風に,相手の行動を期待したとおりに動かすことだったとしても,現実には期待通りに行動してくれるかどうかは分からないわけです。分からないから,ランダムに返ってくる相手の反応を自分の中で処理して,「これはなぜなんだろう?」ということを考えて,行動していかなければなりません。  本来,これがコミュニケーションの基本的な形ですし,人間が自由に振る舞う社会では,当たり前にやらなければいけないことなんですよね。でも,大容量化を進めたコミュニケーションゲームでは,そういった視点が欠けていましたし,もっというと,日本人の社会にも欠けていると思うんです。 内田氏:  う?ん,なるほど。確かに思い当たる節はありますね。 鈴木氏:  1956年に出版されたエーリッヒ?フロムという心理学者の著書に,「愛するということ」というものがあります。そこでフロムは,「“愛するということ”というようなタイトルで書かれている本のほとんどは,どうやったら好きになってもらえるか,メイプルストーリー RMT,つまり“愛される技術”についてしか書いてない。自分の“好き”という気持ちを確認したり,DarkBlood RMT,相手に伝えたりする技術についての本は,いっさいない」と述べています。確かにそうなんですね。  昭和的な,「こいつ俺の思い通りにならない,生意気だ!」というのではなく,相手が思い通りの反応をしてくれなかったとき,「俺,何か間違えたかな?」って反省してやり方を変えていくのが人間のコミュニケーションなんです。そうやって微調整して相手に接していかなければ,コミュニケーションは成り立ちません。  でも,そういう技術や,ひょっとしたらそれを学ぶ機会が日本の社会には欠けているのかもしれない。 内田氏:  欠けていますね。 鈴木氏:  そんな中,ラブプラスというゲームは,“凄く好きなのに応えてくれない,じゃあどうしよう?”“自分が悪いような気がする”という自分の中で起きる反応が,現実の社会でコミュニケーションをするときと同じものとして感じられるんですよ
関連トピック記事: