竹園高校のベヒシュタインM型について | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

水戸平山ピアノ社で修復されたベヒシュタインM型は、茨城県立竹園高校の所有するものですが、かなり重要な発見である可能性があります。東京音楽学校の名前と刻印が足にあり、1930年代に東京音楽学校に購入されて、その後も音楽学校・芸術大学で使われた楽器である可能性が高いからです。

1930年代後半から1950年ごろまで、日本ではピアノの輸入はほぼ不可能な状態が続くのですが、それ以前に、日本に渡ってきたものであるのでしょう。

この楽器はもともと筑波大学にあったものなのだそうなので、私は東京教育大学(筑波大学の前身)に東京芸術大学から移管されたものではないかと推測しています。レオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、井口基成、豊増昇など1930年代の東京音楽学校の名ピアニストたちが、この楽器を演奏したことも充分にありえることです。

1929年とフレームに記載があり、従って、大恐慌直前か、恐慌がはじまったころ(ウォール街の株価暴落は、29年の10月であります)に作られた、おそらくベヒシュタイン黄金期最後のピアノの一つであるようです。この後、ドイツは大恐慌、ナチス・ドイツの成立といった激動の時代を迎えることになります。

響板などの修理を経て、竹園高校のベヒシュタインM型は魅力的な響きを取りもどしています。ピアニストの強力な打鍵と連続演奏にも耐えうる状態であるといえるでしょう。

ピアノの寿命は驚くほど長く、かなりひどく破損した状態でも修理ができるといわれているのですが、このピアノについては、劇的な成功を収めているといえるように思います。

機構的には、このベヒシュタインM型はかつてベヒシュタインの特色であった総アグラフを採用して、独自のバランスのとれた魅力ある響きを達成しています。一時はほとんど忘れられていたピアノは、現在では、この楽器の特色とされる高貴な音色によって、ドビュッシーなどでは比類ない魅力を発揮する楽器として復活しました。

私は使用楽器と演奏法に正統性を追求することにやや懐疑的です。しばしばきわめて抑圧的な議論になるからです。ただ、こうした歴史的ベヒシュタインでドビュッシーを聴いてしまうと、現代のピアノで演奏することに反対はしないにしても、自分としては、以後はできれば、この楽器でドビュッシーを聴きたいと思ってしまいます。

そのような、きわめて美しく清楚な響きをもったピアノです。

平山ピアノ社