飴をくれる職人 | Group Ten

Group Ten

小川潤子、池田義隆、西村有加がグループ展に向けてブログを始めました。

私は髪を切るのが嫌いな子供だった。
親が私を床屋に連れて行こうとすると泣きわめくほど床屋が嫌いだった。
理由はよくわからないが、記憶にあるのは耳元で鳴る鋏の音がたまらなく不快だったという事だけだ。

母の実家の隣にある中年の夫婦が営む床屋によく連れて行かれた。
今では想像するのも難しい位、趣のある内装だった。
木造で入り口を入るとすぐ左に畳と囲炉裏があり、そこで散髪の順番を待つ。
畳の上には主人が竹で作った四角い鳥籠があり中には黄色いインコがいた。
散髪用の座席は茶色い革張りで、背もたれは滑らかに倒れないほど年期の入った座席だった。
座席のそばには、これまた年期の入ったステンレス製のカートがあり、その上には鋏やカミソリが奇麗に並んでいた。
どれもよく手入れされていてただの道具には見えなかった。
よくわからないが怖いくらいだった。
髪を切る為だけに存在しているようには見えなかった。

主人は左右と後ろが奇麗に刈り上げられていて、髪を全体に後ろに持っていっていた。
白い服を着、端正な顔立ちで眉毛は黒いほど黒く、職人の匂いがした。
笑顔が爽快な人だった。

髪を切り終わると顔を剃られた。白い陶器の器に白い粉をいれて、そこにお湯を注ぎ泡立てると、丸い刷毛のようなもので顔や首にそれを塗りたくられる。
その刷毛の感触がとてもこそばゆく決まって震えた。
主人はそんな私を見ていつも笑っていた。

全部が終わると小さな箒のようなもので全身を払かれた。
そして帰る時、いつも小さな飴をくれた。
泣きながら散髪にくる小さな坊主によく頑張ったといい、また来てなと言って飴をくれた。

今は美容師の友人に頼み髪を切ってもらっている。
友人の働いているのは床屋ではない。サロンだ。
そのサロンでも飴をくれる。
けれど、囲炉裏も無いし、竹で出来た鳥籠もない、インコもいない。
よく手入れされた鋏はあるが、カミソリはない。
嫌いだった散髪は好きになった。

変わらないのは髪を切ると、必ず飴が貰えるってことだけだ。