ずっと、考え続けてきたことがある。


自分にとって、「ドラムを叩く」という事が、どういうことなのか。


趣味とか生きがいとかもしくは仕事とか、そんな物理的な話ではなく、僕は、何故、ドラムを叩くのか。



高校生のときに初めてスティックを握って十数年になる。それ以来一週間近くもドラムに触れなかったのは初めてかもしれない。情けない話だが動揺した。



動揺しながらわかりかけた事。僕にとってドラムを叩くことは、イコール“想像すること”だ。



地球のどこかで、日本のどこかで、今までどんなトラブルが起きても、愚かな僕は全て他人事だと思ってきた。ところが今回はどうやら違うらしい。あちこちで停電が起き、電車も動かず、スーパーやコンビニから物が無くなっている。



今までに経験したことのない状況だ。



連日、僕の大好きな友達が皆、僕には無意味としか思えない他人の言葉をつぶやいている。足を引っ張り合いながら、不安を煽りながら、助け合おうとつぶやいている。“今、自分に出来ること”をしようとつぶやいている。



僕は感心する。すごいことだなと思う。人の助けになる、人の役に立つことを皆、一生懸命になって探している。

本当にすごいことだ。



僕が偉そうに思うことは、“探さなきゃ見つからないものなんて、そもそも自分に出来ることじゃないんだ。”ということ。



少なくとも僕は、ドラムを叩くことしか出来ない。恥ずかしい話だ。それで誰も救えやしないけど、仕方ない。


たとえばシンディ・ローパーがコンサートをやれば、何千何万の人が喜び、たくさんのお金が動くのだろう。たとえば僕がライブハウスでヘラヘラ笑ってドラムを叩いても、目の前の2~3人がクスッとするくらいの話だ。けどそれこそが僕にとって紛れも無く、“今、自分に出来ること”なのだ。





久しぶりにドラムセットに向かい、僕は想像した。それはとってもとっても、幸せなイメージだった。




こんな状況だけど、まだまだライブの予定はたくさんある。こんな状況だから見に来てくださいとも言いにくい。だけど今こそ音楽をなんて、それこそ言いたくはない。音楽はいつだって音楽だ。


僕は、今までと変わらず、誰かのためとかおこがましいことを思わず、自分の音楽をイメージする。そのイメージの中にもしあなたがいれば、きっと僕は、その瞬間、あなたを幸せに出来ると思う。



神様がひとつだけ、僕らに平等に与えたものはきっと“想像力”だ。




僕は想像する。うまく想像さえ出来れば、音楽は目に見えるもので、形あるものなのだから。