エジプト旅行かばん

エジプト現地事情。お土産情報。
エジプト人との楽しく、ビックリ体験談。
日本人が欲しいエジプト情報。

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おたく


 私がいつも借りているフラットのオーナーが、別の物件を見せてくれました。
 ひょいとのぞいたらお隣さんのランチタイムでした。
 おお、典型的な上エジプトのお昼ご飯です。
 右上のお家の中のタイルを見ると、なかなかステキなお家のようですが、昔ながらの生活も続けているのがエジプト人です。
 農作業の合間、土間にちゃぶ台を出してご飯を食べています。
 スクランブルエッグに、トマトとジャガイモの煮込み。
 僕ちゃんの前にあるのは、トマトと白チーズ。この二つをつぶして混ぜて食べるととても美味しいです。
 真ん中上に見えるのは、懐かしい洗濯機!使っているのかしら?恐らくもう使っていないでしょう。ジャガイモ入れでしょうか?
 ああ、あのにわとりになって、見に行きたい!
 こんなにヘルシーなお食事なのに、太っているエジプト人。
 ちょっとした見直しで、スリムになると思うのですが、ダメでしょうねえ。

 さて、そろそろ帰りましょうか。
 もっとも同じちゃぶ台でも、私の行くおうちは、土間ではなくリビングでご飯ですが。
 畑仕事も体験して、土間でご飯をご馳走になってみたいものです。

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 エジプトの家庭でしか食べられないものに、レモンの漬物があります。
 絶対と言うわけではありませんが、レストランではまず見かけません。
 今年はまだエジプトへ里帰りできない私ですが、帰る体力をつけとかなければなりません(?)

 エジプトのレモンは、小さなライムのようなレモンです。→こちら
 エジプトのレモンで作ると格別に美味しいのですが、まあ、ここはひとまず良しとします。
 ちなみにエジプト人は、大きなレモンは大味で美味しくないと思っているので、売ってはいますが、スーパーではいつでも買うことが出来ます。
 小さな粒よりレモンは、夕方買いに出かけると、買えない事もあります。 
 
 レモンだけでなく、この黒ゴマのようなハッバティルバラカ(حبة البركة)という種が大事です。
 特にどんな味がすると言うわけではありませんが、エジプト人はこの種が大好きです。
 菓子パンなどにも良く乗っていて、黒ゴマと見間違います。
 どうも解毒と免疫力UPに効果があるようで(ご存知の方は教えてください)
 

あ


 これとサフランと塩で漬け込みます。

 梅干同様、各家庭で味が微妙に異なります。
 ルクソールのお父さんのお家の味が私の一番です。
 日本に帰る時、沢山もたせてくれたのですが、残念ながら日本の空の下で食べる味は美味しくない…
 絶品とはいえませんが、故郷の味にすがる今。
 ラジーザ!(美味しい)

 暑い夏のエジプトのレモン漬けは日本の梅干と同じ!


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この写真は2年前にポートサイドで撮ったものです。
 撮ったことすら忘れていましたが、貴重な一枚になってしまいました。
 私の周りは、親ムバラク派が多いために、このたびの失脚に大きなショックを受けている人が沢山います。
 もっとも、世の中の状況は、表立ってがっかりは出来ない状況です。
 難しいです。アラビア語で難しいは「サーブ」(簡単でしょう!)
 サーブな毎日を送っている、私の大好きなエジプト人たちは今どうしているでしょうか?
 私とカリーマはかつて「ビンティ・ムバラク」(ムバラクの娘)と呼ばれていました。
 いまや、命取りになりかねないあだ名になってしまいました。
 なぜそう呼ばれていたかと言うと、エジプトではツーリスティックエリア外の遺跡に行く際には、必ず許可証が要ります。許可証にはムバラク大統領の名前が入っていました。
 かつて、私とカリーマは、学校で学んだ遺跡を片っ端から訪ね歩いていました。
 時には、ナツメヤシの畑をどこまでも、どこまでも奥へと入っていき、初めて見る外国人に農家のおじさんが仰天する姿も見ました。
 慌てふためいて、村長を呼びにかけていく姿がなんとも言えませんでした。
 許可証には、軍の1個小隊か2個小隊がおまけでついてきますので、ちょっとした大名旅行です。
 軍隊が村長に許可証を見せて「ムバラクの娘だ!遺跡を見せろ」と、許可証を掲げた時は、驚きと共に、みんなで爆笑してしまいました。
 日本人のお姉ちゃん二人が、大統領の娘であるわけがありません。
 村長は、らくだが昼寝する、日干し煉瓦の遺構を杖でトンっとたたくと「ワシらは代々、ファラオの土地を守っておる」と、背をそらせて、威厳たっぷりに言っていました。
 私とかリーマは十分楽しんで、かつてあった都市をまぶたの向こうに思い描いていました。
 苦労してやってきたのに、壁画もレリーフもない…
 このことに満足できなかったのが、軍隊の面々です。
 私たちが行きたいと言った遺跡全て連れて行くことで、自分たちを満足させていたようです。
 どこの遺跡にたどり着いても(たどり着かないことも良くありました)
 「ビンティ・ムバラク」の旅は、ともすれば退屈で、面倒だと思っている様子の軍隊をも大変面白がらせました。
 「徴兵されて、今が一番楽しい!」というのを何度か聞きました。
 
 私がビンティ・ムバラクであったころが、エジプトを無邪気に満喫していた時代であったことは言うまでもありません。
 今は、許可証どころが、チケットを売っているツーリスティックエリアに昇格した遺跡もあります。
 日干し煉瓦の遺構を守っている村は、今はどうなっているのか?また訪ねてみたいと思いつつ、思い出の中に封印しておくのが恐らく良いと感じています。

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 ルクソール西岸と砂漠の私の服装は、こんな感じです。
 真ん中の黒い服については以前書きました。
 カイロでは絶対に着ません。
 ルクソール東岸でも着ません。
 私流の処世術です。
 多くの日本人は階級というものに疎いですが、エジプトではまだまだ階級と言うものが生きています。
 カイロの友だちが、ガラベーヤというこの民族衣装を着ている人中心であれば、私はこの服で歩くかもしれません。
 しかし、カイロの私の友だちの多くはガラベーヤをもっていません。
 そして、私が着ることも望んでいません。

 ルクソールではどうかと言えば、東岸に住んでいる友だちは着ません。
 家族は着ていますが、私には着ることを望みません。
 以前、東岸のフラットを借りていた時、ガラベーヤでうろうろしていると「今日は西岸に行くんだね」と声をかけられました。

 西岸ではどうかと言うと、大歓迎されます。
 西岸には住んでいる外国人が少ないので、洋服で歩くと目立ちます。
 居候先は住宅街で、観光客は誰も来ない地域です。
 名士の家なので、出入りしていても特に問題はありませんが、できれば目立たない方がいいでしょう。
 また子どもが沢山いるので、教育上、露出やタイトな服は問題があります。
 私がどんな格好をしていようが、かまわないと言えばかまいませんが、できれば違和感のない格好を心がけることが、楽しい居候生活につながると思います。
 
 そして、何より、タクシーや物売りに追い掛け回されないのが快適です。
 王家の谷の中で日が暮れてしまい、どこからともなく現れる土産物屋がいないかな?と、迷子になりかけたりすると、住民になりきってしまうのも問題だなと思います。
  
 革命中は特にガラベーヤは必須アイテムでした。
 観光客がほとんどいませんでしたので、土産物屋に捕まろうものなら、買うまではなさいと言う感じでした。
 もっとも、小さな世界なので「カイロ専門の日本語ガイドなんだけど、避難してきたんだ」と、ボート屋と、船着場にいたスカーフ売りにちょっと話したら、あっという間にうわさが広まった用で、「こっちは静かだから、しばらくゆっくりしていきなよ」と、同情されるようになりました。

 ガラベーヤは夏は涼しくて、汗でべっとりしないのがとても快適です。
 砂漠に出ると、トイレはありません。 着替えるところも難しい時があります。そんな時は、個室として十分機能します。
 日本人も着物や浴衣から縁遠くなっていますが、エジプトも洋服が良いと言う風潮には、一石を投じたいところです。
 その国の気候風土に合ったものは、大事にしてもらいたいものです。
 
 それにしても、階級だの身分だのいうものに、いつまでたってもなれることがありません。



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い


 一枚の紙から折り出された鶴は手をつなぎ、離れることはない。
 世界のイスラーム教徒が祈りを捧げる、カーバ神殿のカバーを折り出す…
 昨年の展覧会から再び、豊島区民芸術祭への出展を促された。
 私の祈りはまた日の目を見る。

       
                  第43回としま区民芸術祭
          2012年2月23日(木)~26日(日)
         午前10:00~19:00(最終日は15:00)
     コア・いけぶくろ(豊島区民センター総合展示場)
                      →アクセスはこちら


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デモがすごくなってきていたので、ガイドや観光関係の人に相談して、金曜日市内にいるのはやめたほうがいいという結論になった。

恐らくちゃんと観光できないし、渋滞も予想されるので、私だけならともかく、初めての人を連れてでは時間がもったいないと考えた。
いっそ、遠くのマニアックなピラミッド観光でもしようかと考えたが、まあそこまでしなくてもギザ辺りで大丈夫というのが、現地人の回答だった。
私の友だちはギザがたいそう気に入り、普通の観光客よりも2時間ぐらい長くいた。
ちょっと遅くなってしまったと思ったが、運転手は信頼できるし、私が時間通り現れないのもいつものことなので何の心配もしていなかった。
ケンタッキーの前で待ち合わせしていたがいない。たいてい運転手がこちらを見つけるものだが、見回してもいない。
昼寝かお祈りか?だとすれば、行きつけのパピルス屋がケンタッキーの裏にあるので、そこへ行ってみたがいない。
携帯に電話するがでない。
と、通りに椅子を出してすわっていたアンミー(おっちゃん)が、「電話は通じないよ」というので、目の前のメナテル(公衆電話)に近づくと、「メナテルもだめさ」と言う。
「え~運転手がいなくて困るから電話したいの。お店の電話貸してもらえる?」と聞くと、驚きの答えが返ってきた。
「とにかくだめさ、通信手段がいきなり切られた。ネットも見られないってよ」
仕方なく、まずは友だちにケンタッキーでランチにしてもらい、周辺の車を見に行く。それから、万が一間違ってクフのピラミッドよりの第一駐車場で待っているといけないと思い、タクシーでぐるっと回ってクフよりのゲートへ行き、おまわりさんに事情を説明。電話がつながらないけど何で?と聞いてみるも「さあ?いきなり切れたんだよ」と、ここでも原因がわからない。とにかくドライバーを探したいから再入場させてほしいと懇願。
第一駐車場の車をしらみつぶしに探すが、どこにもいない。
第二、第三駐車場の車も見て回るがいない。
辺りを見回しても、みな楽しく観光している。
大きな観光バスのツアーがいないことに、この時点で私はまだ気がついていなかった。
マイクロバスや、タクシーの数が極端に少ないことにもまだ気がついていなかった。まったくいなければおかしいと思ったが、多少なりともいたからだ。
3時間待った後で、とにかくタクシーがおらず白タクがぐるぐる広場を回っているだけだと判ったので、決断。
白タクで運転手の家まで行ってみようとした。
ところがピラミッド通りはものすごい人で、ぜんぜん進むことができない。
タクシーの運転手は、「これ以上進むことはできない」と根を上げた。事実、外を歩いている若者たちが、「これより先車は入れない」と教えてくれた。
仕方なく、またギザに戻った。
さてどうするか。
ピラミッドに近いところにすむ運転手の家にも近づけないのだ。
ホテルまで帰るのも容易ではないだろう。
そこで私の出した結論は、メンフィスに行こう。
サッカーラ観光するには、もう時間があまりなかった。メンフィスにはアハマドがいる!
メンフィスのお父さん、アハマドはもちろん私たちを歓迎してくれた。
そしてとにかくわけが判らないが、通信手段はまったくない。
私の運転手とも大の仲良しなので「彼がお客をほったらかしにすることはありえないし、ましてやヘクマットを置き去りにすることは絶対にありえない。これは何かが起きている」と断言してくれた。
まあ、まずは腹ごしらえしなさいと、ご飯を出してくれた(ヘクマット的にはお約束!)
白タクのお兄ちゃんにも、いろいろ話してくれて私たちをちゃんとホテルまで送り届けるように行って、彼にもいろいろしてくれた。(エジプトでは当たり前だがうれしい)
メンフィス観光を終えた友だちと共に私たちはホテルに戻った。

ホテルには運転手からのメッセージが残されていた。
「固定電話が復活したので、電話をください」
ハンドリッラー!!
すぐにかけてもらう。

「すみません、つながりません」とレセプションのバイトが言う。
「え?また切れたの?」と聞くと、
「いいえ、この番号が間違っています。僕、聞き間違ったかも」と言う。
「イエローページで調べられないの?」と聞いたら、本人がハイといったのに、底意地の悪いレセプションが「そこまでする必要ない」とアラビア語で言っていたので、「お金なら払うから調べて!」と食い下がるが「規則違反です」と意味不明な回答。
これはもう再度連絡が来るまで待つしかない。
どうしても連絡を取りたかったのは、実はこの日ルクソールへ寝台車の切符を取っていたから。
私はまたカイロに戻ってくるが、友だちはルクソールから東京直行。
タクシーに荷物を入れていたのでどうしてもそれを引き上げたかった。
業を煮やした私は、運転手の家まで行ってみると言い残して、表通りへ出た。
車の通りはまばらで、デモではなくバスがないのか、歩いて帰宅する人がたくさんいた。
タクシーは軒並み乗車拒否で走り去る。
仕方なく、車道に出てスピードの遅いタクシーのドアをつかんで無理やり止めて乗せてほしいと怒鳴ったが、どのタクシーも乗せてくれなかった。40分粘ったところで、私は運転手の家ではなく、ギザ駅に行ってくれないかとタクシーの交渉を始めたが「駅には近づけない」と、これまたすべて断られた。
地下鉄でギザ駅に出るか、シェラトンにまだタクシーがいるかを見に出直すかを相談しようといったんホテルに帰ることにした。

ホテルに着くと、大きな巨体が立ち上がった。
おっちゃん!(運転手を私は文字通りに呼んでいる)
連絡はつかないし、今夜ルクソールに旅立つことを知っていたおっちゃんは、ホテルまで来てくれたのだ。

みんなで再開を祝してコーヒーで乾杯!
おっちゃんのすごいところは、仕事は満足にできなくともそれは自分のせいではないから、きちんと払ってほしいと言ったこと。
それに対して私は、伝言を残すなどの方法をとることができなかったこと(これは強制退去にいきなりあったのでむりだったが)、ほかのタクシーを使って支出があることをケンケンゴウゴウ。
妥協点に達したところで、おっちゃんは立ち上がった。

「ヤッラ、ヤーヘクマット!ルクソールへ行く時間だ。送っていくよ」

「駅までの道は封鎖されていて、タクシーは駅に入れないって聞いたよ」と言ったら、
「大丈夫、絶対に電車に乗せるよ!さあ、出発だ」

おっちゃんはでかい…
友だち3人と私がバックシートに座るのはちょっときついけど仕方がない…と思っていたら、
「ヘクマットは前に乗りなさい。お客さんに窮屈な思いをさせてはいけないよ」と言うではありませんか。
そんなわけで写真のようなスタイルで車に乗ることになった。
後部座席から友だちが撮った写真は、なにやらとても緊迫感がある。
運転席におっちゃん、助手席におっちゃんの義弟と私。

厳重警戒で道路が封鎖?
こ~んな乗り方、アジアじゃあるまいし、カイロでも当然違反です。
でも誰にも止められることなく、ギザ駅までまっしぐら。

私たちは何事もなかったかのように、ほぼ定時発の寝台車に乗ってルクソールへと向かいました。

アルハムドリッラー

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 あれから1年…
 あっという間に月日は流れてしまいました。  

 去年の今頃はちょいちょい、被害にはあっていたものの、通いなれたエジプトで3時間や4時間の遅延では何とも思わなかったというのが、本当のところです。
 これが東京であれば大騒ぎですが、エジプトです。

 ヨルダンからエジプト入りした私はまず、港での雑なパスポートコントロールに、ちょっと安心していました。警戒態勢ではないと思ったのです。
 パスポートの取り扱いには安心どころか不安を覚えましたが、この話は別の機会に。
 そして、カイロ行きのバスがすぐに出発しない事に、何も感じませんでした。
 またそのバスが、なかなか国道へ出ない事もおかしいとは思いませんでした。
 さらに、バスが年中止まるのも、シナイ半島からアレキサンドリアにかけてちょっとデモが広がりつつあるらしいから用心しているのだろうと楽観視していました。

  1回目 バスがちょっと止められる。 
  2回目 運転手が降りる。
  3回目 「タバコ1本数くらいなら降りてもいいよ。そのくらいで動く」と運ちゃんはあごをなでている。
  4回目 何か事故があったらしく、交通整理しているらしい。ここで待つらしい。
  5回目 警察官が乗ってきて、「どこ行きで何人ぐらいのっているか」チェックしにきました。
  6回目 そのうち止まったきり、全く動く気配がなくなりました。

 お行儀のいい日本人でも、こ~んな状況に慣れ切ったイラン人でもないエジプト人たちは「オレが状況確認してくる」と、何人か出て行きました。
 運ちゃんは首をすくめるばかりで全く要領を得ません。
 さてさて、ここからです。
 戻ってきた人達の言っている事が全部違うのです。
 「事故だって」「ツアーバスで乗り遅れた人がいて探しているらしい」「バックが紛失したらしい。外国人が騒いでいるらしい」「道路を封鎖しているみたいだ」

 私の後ろにはアラビア語が全く分からないヨーロッパのバックパッカーの女の子が一人。
 エジプト=南国で、夏の恰好でがたがた震えあがっています。早くカイロについて欲しいというのに、バスの中はクーラーがガンガン効いていて寒いです。
 外気温は10度くらいです。私はダウンのコートを着ていましたが、それでも寒かったです。
 アラブのバスでは良くある事ですが、クーラーを入れるのが最高のサービスと思っていて、冬でも冷房が効いているのは珍しいことではありません。
 今回はさすがのエジプト人も「寒い!クーラー消してくれ!」と、リクエストがありました。
 問題は、冷やすことは絶対の国ですが、温めるということに関しては非常に遅れている国です。外気温10度以下でじっとしていますから、とにかく寒いです。
 「クーラー切ったのか?」と、また声が飛びます。「とっくに切ったさ」と運ちゃん。
 おしくらまんじゅうでもしますか?と言うくらい、寒くてすることがありません。
 その間も、外にいる軍隊だか警官高と話をして戻ってくる人たちがいますが、全く要領を得ません。

 前の席には、耳の遠いおばあちゃんが小さくなって座っていました。暗いバスの中で黒ずくめのおばあちゃんがむっくり起き上がって私に尋ねました。
 「それで?いったい何が起きているんだい?」
 「判らないけど、当分カイロにはつかないみたい。大丈夫?」と聞くと、
 「私は大丈夫。ほらいっぱい着ているし、食べ物もある。息子が迎えに来るから電話だけしておくよ」
と言って、大きな声で電話をかけていました。
 「もしもし?なんだかわからないけどね、バスが動かないんだよ。判らないよ!知らないよ!とにかく当分つかないよ。どこまで来たかって?ここは何処?(運転手が答えて)○○だって」

 カイロについた時、午前0時を回っていました。
 大抵のバスはタハリールを通るものです。ところがこのバスがついたのは空港に近いさびれたバス停でした。
 人と車でごった返したバス停で、早く宿へ行きたい私はうっかりしていて、後ろにいたヨーロピアンを見失ってしまいました。
 タハリールやラムセス駅、トルゴマーン(カイロで一番大きいバスステーション)でもない、こんなへんぴなところに放り出されるとは夢にも思っていないはずです。
 朝ヨルダンを出てきた私自身、これから手ぐすね引いているタクシーと交渉しなければなりません。
 ごめんなさい!ぼったくられるけど、必ずホテルにはたどりつくからね!と、心の中で謝りながら、タクシーを探しに「目の前に居並ぶ運転手を蹴散らして」道路へと出て行きました。
 私がなぜ降ろされたところの検討がついたかと言えば、それはエジプト航空病院の灯り。
 前の年、カイロのママが骨折して入院していた病院の近くであったからです。それがなければ、いったいいくらで交渉したら良いか全くわかりませんでした。


 思い返せば、デモの被害にエジプト上陸直後からあっていたのです。

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2

イスラミックブルーに「究極の青を見た」と書きましたが、そこではあえてそれが何であるかについては触れませんでした。
 生生しいお話はこちらで…

9

 ラマダーンや犠牲祭の頃、アラブを旅した方の中には、こういうシーンをご覧になったことがある方もいらっしゃることでしょう。
 私はご縁がなくて、羊さんをしめるのを見るのは初めてでした。
 何かを予感したかのように、連れてこられるのをものすごく嫌がる羊さん。しかし、肉屋さんの手で静かに命の灯火を消しました。
 耳元でささやかれた神の言葉…
 神の言葉をささやきながらしめた肉しか口にしてはいけないとクルアーンには書かれています。
 そこにはいろんな意味がありますが、実際に見ていて感じたことは、命をいただく生き物に対しての感謝と、天国へ導かれますようにと言う願いが込められていると思いました。
 イスラーム社会で、人は生まれてくると先ず、耳元でささやかれる神の言葉…
 死にゆくときもこうして、ささやかれながら命を終えることが出来るならば、安らかに逝けるのではないかと思いました。

8


 べろ~んと皮をはがれた後は…
 解体ショーの始まりです。

3

 「ヘクマット、日本人の女の子はカワイソーとか、キャーとか言うもんじゃないのか?」と、アハマドお父ちゃんに言われました。
 奥さんにも「見てないで部屋に入りなさい!」と言われました。
 い~や~だ~!
 この日私は子守を頼まれていましたが、チビちゃんはほったらかしにしてこの剥いだばかりの美しい青に見とれておりました。

4


 肉屋さんは良く自分の指もうっかり落としちゃうというのに納得の包丁裁き。

5


 台所でびっくりしたのが、ガスダニの上に置かれて焼かれている羊さんの頭!
 脳みそ食べるのかなあ…
 お父ちゃんに「良く切れる包丁買ってきて」と頼まれましたが、これを見た後では「日本は魚の国だから、肉切り包丁はドイツのゾーリンゲン!がいいと思う」とお返事しました。妙に納得していました。
 しまったことに、翌日のカイロ行きのチケットを買っていた私は、婚約式もご馳走にもありつくことが出来ませんでした。ナンテコッタイ!

 





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は

 

最近、ムハンマド・アリモスクでちょっとヤダナと思っていること。
 それは、どんどん観光地ずれしてきて、モスクの前が市場のような土産物屋街になってしまったこと。
 私のカイロの居候先のサーミーの口癖じゃないですが「ナンデスカコレ!」
 昔は光化学スモッグも少なくて、遠くまで千のミナレットが見える美しい景観でした。
 せめてその当時に思いをはせて…と目をつむるも、五月蝿いことこの上ない!のであります。

む

 スーク(市場)でしょう?これでは…
 いや、このツタンカーメンの頭巾には心惹かれましたけどもね。。。
 モスクは静かな場所であってほしい…という私の願望。



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2pide 


 このお皿、直径40センチの大きなお皿です。立派なトルコ風ピザ、「ピデ」が焼き上がりました!
 具材は先だって料理したレバーです。やはり、1キロのレバーを3人で食べるのは無理があるというものでした。 


3pide


 マーガリンとトマトピューレ(生のトマトかホールトマトが良いとのことでしたが、お正月の台所にトマトの出番なし…)、とろけるチーズ、クミンを混ぜて出来上がり。
 皮は、パンを作るのと同じ要領です。

1pide


 皮を楕円に伸ばして、具材を乗せ、後は舟形に、端を折っていきます。
 エジプト風であれば、折り紙の布団たたみにして、具材を完全に覆ってしまいますが、かっこうとしてはこの方が可愛い!と思います。
 出来上がりは最初の写真!
 チーズをさらに上からかけたり、トマトやピーマンをトッピングするのもいいですね。
 辛いのが好きな私は、やはりしし唐を入れたいです。
 カレー粉を混ぜ込んでもいいし…と、バリエーションは多いです。








 

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