あれから1年…
あっという間に月日は流れてしまいました。
去年の今頃はちょいちょい、被害にはあっていたものの、通いなれたエジプトで3時間や4時間の遅延では何とも思わなかったというのが、本当のところです。
これが東京であれば大騒ぎですが、エジプトです。
ヨルダンからエジプト入りした私はまず、港での雑なパスポートコントロールに、ちょっと安心していました。警戒態勢ではないと思ったのです。
パスポートの取り扱いには安心どころか不安を覚えましたが、この話は別の機会に。
そして、カイロ行きのバスがすぐに出発しない事に、何も感じませんでした。
またそのバスが、なかなか国道へ出ない事もおかしいとは思いませんでした。
さらに、バスが年中止まるのも、シナイ半島からアレキサンドリアにかけてちょっとデモが広がりつつあるらしいから用心しているのだろうと楽観視していました。
1回目 バスがちょっと止められる。
2回目 運転手が降りる。
3回目 「タバコ1本数くらいなら降りてもいいよ。そのくらいで動く」と運ちゃんはあごをなでている。
4回目 何か事故があったらしく、交通整理しているらしい。ここで待つらしい。
5回目 警察官が乗ってきて、「どこ行きで何人ぐらいのっているか」チェックしにきました。
6回目 そのうち止まったきり、全く動く気配がなくなりました。
お行儀のいい日本人でも、こ~んな状況に慣れ切ったイラン人でもないエジプト人たちは「オレが状況確認してくる」と、何人か出て行きました。
運ちゃんは首をすくめるばかりで全く要領を得ません。
さてさて、ここからです。
戻ってきた人達の言っている事が全部違うのです。
「事故だって」「ツアーバスで乗り遅れた人がいて探しているらしい」「バックが紛失したらしい。外国人が騒いでいるらしい」「道路を封鎖しているみたいだ」
私の後ろにはアラビア語が全く分からないヨーロッパのバックパッカーの女の子が一人。
エジプト=南国で、夏の恰好でがたがた震えあがっています。早くカイロについて欲しいというのに、バスの中はクーラーがガンガン効いていて寒いです。
外気温は10度くらいです。私はダウンのコートを着ていましたが、それでも寒かったです。
アラブのバスでは良くある事ですが、クーラーを入れるのが最高のサービスと思っていて、冬でも冷房が効いているのは珍しいことではありません。
今回はさすがのエジプト人も「寒い!クーラー消してくれ!」と、リクエストがありました。
問題は、冷やすことは絶対の国ですが、温めるということに関しては非常に遅れている国です。外気温10度以下でじっとしていますから、とにかく寒いです。
「クーラー切ったのか?」と、また声が飛びます。「とっくに切ったさ」と運ちゃん。
おしくらまんじゅうでもしますか?と言うくらい、寒くてすることがありません。
その間も、外にいる軍隊だか警官高と話をして戻ってくる人たちがいますが、全く要領を得ません。
前の席には、耳の遠いおばあちゃんが小さくなって座っていました。暗いバスの中で黒ずくめのおばあちゃんがむっくり起き上がって私に尋ねました。
「それで?いったい何が起きているんだい?」
「判らないけど、当分カイロにはつかないみたい。大丈夫?」と聞くと、
「私は大丈夫。ほらいっぱい着ているし、食べ物もある。息子が迎えに来るから電話だけしておくよ」
と言って、大きな声で電話をかけていました。
「もしもし?なんだかわからないけどね、バスが動かないんだよ。判らないよ!知らないよ!とにかく当分つかないよ。どこまで来たかって?ここは何処?(運転手が答えて)○○だって」
カイロについた時、午前0時を回っていました。
大抵のバスはタハリールを通るものです。ところがこのバスがついたのは空港に近いさびれたバス停でした。
人と車でごった返したバス停で、早く宿へ行きたい私はうっかりしていて、後ろにいたヨーロピアンを見失ってしまいました。
タハリールやラムセス駅、トルゴマーン(カイロで一番大きいバスステーション)でもない、こんなへんぴなところに放り出されるとは夢にも思っていないはずです。
朝ヨルダンを出てきた私自身、これから手ぐすね引いているタクシーと交渉しなければなりません。
ごめんなさい!ぼったくられるけど、必ずホテルにはたどりつくからね!と、心の中で謝りながら、タクシーを探しに「目の前に居並ぶ運転手を蹴散らして」道路へと出て行きました。
私がなぜ降ろされたところの検討がついたかと言えば、それはエジプト航空病院の灯り。
前の年、カイロのママが骨折して入院していた病院の近くであったからです。それがなければ、いったいいくらで交渉したら良いか全くわかりませんでした。
思い返せば、デモの被害にエジプト上陸直後からあっていたのです。