暗いお話にもかかわらず、読んでくださる皆様ありがとうございますm(_ _ )m


コメントに隠れてるキーワードはないかと、捜しながら読み返してますよ 
smile


妹とやっと離れた中学時代。


妹は養護学級で、いじめられもせず毎日を楽しんでいる様子
私は決して妹が嫌いなわけじゃないよ。

前に住んでいたうちのお隣さんに、大好きなお兄ちゃんがいた。
そのお兄ちゃんは高熱がもとで、聾唖者になってしまったけど
途中から障害者の学校に行って
絵をかいてお話ししてくれたり、折り紙教えてくれたりよく遊んでくれた。
引っ越してからも散髪に来るたび、遊んでくれる優しいお兄ちゃんだった。


妹に知的障害があっても、それにあった学校に行ってれば、リンチ事件なんかなかったと思う。
それを示してあげれない祖父母と強く言えない母が、嫌だった。


だって、祖父母や母は順番から行ったら先に死ぬ。
残された妹が一人で暮らしていけるようにするのが、親じゃないのかなって・・・
中学生の私でも考える事だもの。


なぜそんなことを考えたかというと、うちの母にも病気が襲ってきた。
子宮体ガンかも・・・って言われ、全摘手術。
手術中輸血、その後放射線通ってたけど、細胞診では良性だった。
今だったら大問題だよね!
辛かっただろうに、、、店は閉めずに頑張ってたな。


薬剤師になりたいと思いだしてから、新聞配達してたんだ。
毎朝4時起き、朝刊120部。中学2年まで続けてたよ。
小学生中学生ができるバイトって、牛乳配達か新聞配達だったもんね。


祖母が強固に反対していた大学。なんとか少しでも近づきたくて。。。




私は小さな時から月に一度は扁桃腺で高熱を出す、これがのちに災いするとは思わず過ごしてた。


私が行ってた中学は、2つの小学校が集まる。
妹はやっと離れたけど、半分は私の事を知ってるわけ 
いつものように教室の隅で、本に盾にして周りを見ている子だった。


男友達がやたら増えた、私。
なぜか 
女の子のおしゃべりに入って行けなかったから。
引っ込みじゃないよ!
ある意味距離を置いておかないと不安だった、っていうのが正直なところ。


グループでする作業の時は、いつも一人残ってしまう。
そんな時、男の子が「こっち入れよ!」って声かけてくれてね、いつも男の子と作業班。
それは反対に女の子から「妬み」を買う羽目になったけど、気にしなかった。


小学校から中学校に「この子はこういう事があって・・・」なんて書類に出ていたんだろうね。
数学教師の担任がソフトボールの顧問で「入らないか?」って言ってくれて
「やったことがないし・・・たぶん仲間に入れないと思う」って答えた。

「大丈夫だよ~!俺がキャッチボールから教えるから」と熱く語るので
「仮入部でいいですか?」ってことから始まった部活。
一年後半でレギュラー入り、ポジションサード、近畿大会準優勝までいった。


この担任、家の床屋の常連さんだったことが後でわかった。
学校横の床屋、悪いことはデキマセン。
母が「習い事しているけど、いじめにあって仲間に入れない」とでも言ったのだろうか?
数学の時間は毎回指される。


朝刊配達していても部活していても、勉強はしっかり手は抜かなかった。
馬鹿にされるのが嫌だったから
偏差値で試される中学生時代、私の人生の中で一番楽しかったかも


初恋もした 
その先輩にコクられ、映画を見に行ったり博物館も連れて行ってもらったな~。
音楽の時間、教室の窓側一番後ろが私の席。
この時間その先輩は体育の時間でグラウンドを走り回っていた。
先生の目を盗んで、小さく手を振り合ったりしてねp(*^-^*)q


中3、修学旅行の二日前扁桃腺炎から急性腎炎起こして一か月半入院で行けなかった。
以後月二回の定期検査と運動制限、減塩食で過ごす羽目になる。


みんなに冷たい目で見られ不良と呼ばれていた男の子のグループから、お土産もらったのには感激したーっ
朝礼で貧血起こした時も「大丈夫か?」って、保健室連れて行ってくれたし、私には優しかったな。



体調戻らないまま高校受験、滑り止めの私立なんて祖母にまたなんて言われるかしれないので受けない。


中学の美術の先生の奥さんが美容室をやっていて、
同じような境遇で仲のいい同級生が、そこで住み込みしながら働くと聞いていたので

美術の先生に「もし市立落ちたら私立受けてないので、私もお願いしていいですか?」と聞いてあった。
「そんなことはないだろう!   でも、もしかって時は家においで!」と言ってくれてた。

私立受けない時点で、専門学校のパンフレットと申込用紙まで用意してた。



母は「これからは散髪屋じゃなくて美容室の時代よ!」とよく言ってたからね。




校内でも先生が3人しか選ばないという難関高校に受験を決めた。


戸籍謄本が必要と聞いて祖母に取りに行ってもらい提出したが
離婚後、実父は「死んだ」と聞かされ育った私、生きていたし~・・・ 
しかも担任も読めない難しい名前  
職員室に呼ばれて聞かれてもわからない ~


祖母が事あるごとに「いらん所ばっかり似て、あんたは!」と言われ続けて育ったので実父の話はタブー
仕方なく夜こっそり母に「名前なんて読むの?って先生に聞かれた」と報告、教えてもらった。




「絶対大丈夫 」というお墨付きまで頂いたのに・・・受験番号110番、何か危険な気配



受験前日、扁桃腺炎とまた急性腎炎&流行の風疹になってしまい39度の熱、急遽入院 
赤いブツブツ出て、保健室隔離でお受験 
最悪ーーーー

受験終わって  に戻り、点滴。
神様なんていやしないって、つくづく思ったね。
発表の日、行かなかったよ。
落ちたのは手ごたえでわかってたから。


 一人 から直接、職員室の担任のところに行ったら、私の顔見るなり涙目(泣くなよ~と思った
泣きたいのはこっちだ、でも失敗した自分が悪い


「先生、美容専門学校の手続きしてください」と書類を持って自分で選んだ道を言った。

「私立追試で受けれるところあるから、受けようよ。親御さんにも話に行くからね」と担任。

「私立、本当なら中学から行ってるはずだったのに、祖母が反対で受験できなかったし行かないから」と私。

「一応ね、先生、話さないといけないから、、お家に行くね・・」そうだよね、、、私の意向は伝えたし、いいか~。
 


  に戻ってベッドに潜り込み、悔し涙 

あんなに頑張ったのに 
入院しても勉強ちゃんとしてたのに 

どうしても私が行きたい道には行かせてくれないんだなって、
悔しくて悔しくて思いっきり泣いた なくなくなくなく



とにかく自立して、夜間でもいいから高校行こうと決めていた私。
実家にはもう私の居場所がなかった。
祖父母といがみ合う義父、間に入って母と私が取り繕う。
もう御免だ



二日後、  に祖父母と母と担任が揃って来た。
きっと私が美容学校に行くことを承知したからだろうと思ってた。



ところが・・・母が・・・
「別れた父ちゃんに、お前は引き取りたいと言った子供を高校にも行かせないのかと思われるのが嫌だから、
私学追試受けてほしい」と言い出した。


祖父母も
「世間体っていうのがあるのよ、大人の世界には。だから私学行きなさい 」命令口調で言う。


・・・・・・・・ ・・・・えーーーーーっ なんで今更世間体 ・・・・



怒り爆発


だったらなんで中学から行きたいところ受験させてくれなかったのよ 
修学旅行も諦めて受験させてって言ったのに、今度は世間体で私学行けっていうの 
母ちゃんの別れた父ちゃんなんて関係ないやん
私、働きながら高校行くから 
 」  病気も吹っ飛ぶ勢いな大声で怒鳴った。

 

あまりの爆発に 



 ・・・・・・・・・・・担任、ドン引き・・・・・・・・・ ダッシュ



こんな私誰も知らない、見せたことがない。



母はすぐ泣く。。。泣きながら
「お母ちゃんのためやと思って、私学受けて一生のお願いだから、頼むから受けて


なんで母ちゃんのために行きたくもない私学行かんなアカンねん(-""-;)・・・・アホらし・・・・( ̄へ  ̄ 凸そっぽ向く。


祖父が
「これからは高校ぐらい出てないと、先で困るよ。じいちゃんも頼むから行ってほしいなっ!」



「だから~~、高校行かないって言ってない!働きながら夜学行くって言うてるやん。
 迷惑かけないように、美術の先生の奥さんのところで住み込みして美容学校も行く!」曲げない私。


祖母が
「夜学なんて程度低いのに、、、働きながらって簡単に言うけど、両立なんて出来ないんだから、
言う通りにしなさい




「ご意見承りました~~~ !追試出来るってことは程度低いに決まってるやん」(ーoー)フン



担任
「受けてみるだけ受けてみようよ。後はまた話し合えば良い事だから・・・ねっ」



「嫌だ  なんで行きたくもない所受けさせるの 受かったら行けっていうの解ってる~」



母が真っ青な顔して、病室の床に座り込んだ。




具合まだ悪かったのか?と、心配してベットから降りたら・・・・・



土下座して床に頭すりつけて

「あんたには悪いことしたと思ってる!頼むから私学受けて、お願いお願い 」泣きながら言う母。





・・・・・・・やめて・・・・・・見たくない・・・・・ううっ...・・・・・



母は悪いことなどしてない、選んだ相手が悪かっただけ。


結局、母には勝てなかった。


祖父母には
「私は家を出る!働きながら私学も美容学校も行く!もっと母ちゃん大事にしてあげて!」はっきり言った。


祖父母、渋々私が出した条件認めた。



担任がすぐ手続して、行きたくもない高校受験と美容学校通信制2年。


受験、これが問題??と思うほど簡単。
10分で裏返してうつぶせで寝てたら、
見まわってた高校の先生が「終わり?」と聞いたので「はい」と答えた。
「見せて」というから見せたけど・・・「ほほう、、、、、」と、返してくれた。

成績1番特待生で入学、学費免除!ちっとも嬉しくないんだけど …母は喜んだ。
入学式、なんと母が初めて公の場に出てきた。
最初で最後の帰りのランチ、母は笑顔だった。


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日中、高校へ行き、戻ると美容室の仕事。通信で美容学校、夏休み講習。ナガラ族の始まり~

ペタしてね
人がいいのか悪いのか・・・母には勝てない一生のお願いは続くのだった。。。。