台湾から従妹が娘と来る知らせを英語のメールで受け取りました。100歳の母の長兄の子供が、母に会いたいという内容でした。4時~5時に来て1時間位でおいとまする内容で、すっかり気持ちが楽になっていました。
その後細かい情報をメールで求めましたが、返事がありません。
親戚から仲介を頼まれた日本人に数十年前に帰化した友人から電話があり、なかなか予定が決まらないことが分かりました。
大晦日の朝、友達の電話で、訪問が6時半から7時になること...
食べ物を持って行くこと。駅に迎えに来なくてもいいこと。
さあ、大変です。
中華お節までは、注文していても後は何も準備していません。
冷凍保存していたものを解凍したり、買い出しに走りました。
ポテトサラダはたっぷり作り置きがあるし、夕方には、作家さんの手料理が、ご主人によって届けられました。黒豆、伊達巻、五色なます、タコの酢の物、と助けられていて何とか平静を保っていました。
台湾人なので派手にテーブルいっぱいにしよう!とだけ考えて・・・
ぴン ぽン
玄関の前には11か月のバギーカーの赤ちゃんを含め5人がずらりと並んでいます。
えっ? なに? ギョ ギョ ギョ
メールの中の英文は、娘と行くとだけで複数の文字は何処にも見当たらなかったはず・・・・
そうだ!!
甘かった自分に気が付いた。そうなのです。中国系は結婚式だっていつでも家族、一族 皆くるのが常識だった。細かい人数なんでどうにでもなる中国料理の世界でもある。
一心不乱で台所に飛び込み寿司やデザートや海産物の量を増量した!
この台湾のご家族は生エビを食べる習慣がなかった様子でした。
エビを食べるように促しても笑ってるだけ・・・そこで石焼フライパンで焼きました。
ホタテや私の作った雑煮やポテトサラダ、購入した太巻きや鹿肉バルサミコ+フレッシュオリーブかけなどは人気でした。
翌日の元旦に台湾の叔母と電話すると、叔母はすでに彼女らが大勢で日本に行くのを知っていたし、本当は、もう一人婿が来る予定だった!と知らされました。
これが台湾では普通んこと!
日本生まれの私が、すでに普通で無くなっていたのです。
でも大宴会に慣れていたのでクリヤー!!!しました。
こうして分かりにくい英会話でなんとか無事に宴会はおわりました。けど疲れましたね。
真夜中になっても洗物が続き、翌朝も洗物。
その後、甥っ子家族、
兄の家族が、と続いて母に挨拶にきて元旦は終わりました。