不協和音の季節 | ~しなやかに生きる~

不協和音の季節

   またひとしきり 午後の雨が

   菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

   眼(まなこ)うるめる 面長き女(ひと)

   たちあらはれて 消えてゆく


   たちあらはれて 消えゆけば

   うれひに沈み しとしとと

   畠(はたけ)の上に 落ちてゐる

   はてしもしれず 落ちてゐる


     (中原中也「六月の雨」より、一部抜粋)

  

~しなやかに生きる~-q


水無月の憂鬱な雨は

不協和音を奏でるかのよう・・


灰色の空は鈍い光を降ろして

万象に染み入るが如く・・



梅雨の雨が降ると

中也のこの詩を思い出します


たちあらはれて 消えゆけば・・

たちあらはれて 消えてゆく・・


このフレーズがしっくりくるのは

雨に洗われる菖蒲や紫陽花が女性を想わせたり

美しい情景には哀しみも似合うからでしょうか


詩の考察、「面長きひと」についても

過去に書いていますので繰り返しませんが

愛したひとの面影を雨の抒情に重ねているのでしょう


これに続く後半は転調したようにリズムは変わりますが

雨が土に沁みてゆくように哀しみが浸透していく作品だと思います


不協和音が常にBGMとして鳴り響いていたような彼の人生は

梅雨の季節にあって、どう雨の音を聴いて、どう雨の景色を見たのか・・

想いを馳せれば切なさに胸が詰まってくるようです


~しなやかに生きる~-a


最近、時々想うのです

私がもし、今10代だったら・・


もしブログを書いていたらどんなことを書いていただろうって・・


20才頃から、30代・・ いえ、その後

2年前のブログを始めた時点までの年月は

どう考えてみても物理的に不可能だったと思うので

現実的なこととして推測してみることができません


でも、今多くの中学生、高校生、小学生だって書いているように

私もそれまでの期間に出会っていたら書いていたかもしれない・・


多分の確率でそうじゃなかったかと考えます

それなら例えば、どんなことを書いていたのか・・


おそらく中学か高校生、

ノートに出鱈目な詩のようなものを書いたりしていた私は

そんな詩をブログに載せていたでしょうか


決して恋愛詩ではない詩。

それでも恥ずかしくてできなかったかも。


それならさしずめやっぱり、

社会風刺的なことを皮肉めいて書いていたのか・・

その可能性が一番大きい気もします


私の心の奥底にも不協和音が流れていました

でもそれをどうかしようとは思わなかったのです

それが「生きる」ということなのだと理解していました


これはブログを始めた初期のころ書いてもいるのですが

少し私自身の若い頃のことをお話してみますね



若い頃は随分、 

生来持ち合わせている複雑な感情と

戦ってきたような気がします


ただ、その感情を表に出しては 

生きて行きにくいだろう、ということにも気がついていました


それで心の奥底に沈め、

長い間、自分自身に問いかけながら

秘かに、一人で、答えを見つけ

結果、思うまま自由に

楽しい交流の中、生きてきたと思います


この表に出ない内に隠している不協和音の気持ちの部分を

誰かにわかってほしい、とはあまり思わなかった気がします

協和音の部分で生きることはごく自然なことだったからです


そういう気持ちでいられたのは

おそらく芸術を愛する気持ちを

授かっていたからだと思うのです


本を読んでは、

自分と似たような考え方の人が

かつてこの世に存在したんだ、と安心し・・


音楽を聴いては、

こんなに美しい曲を作る人がいるなんて

世の中も捨てたもんじゃないな、と思えたり・・


絵画を観ては、

こんな風に自分の目に映る優しい人や

面白い人が数多くいるんだ、と考えたり・・


映画を観ては、

こういう観点で世の中を捉えている人達がいて

それに触れられるという幸福感に浸り・・


こういう芸術の素晴らしさを知ることで 

青春時代というものも明るく楽しみながら過ごせた気がします


将来の大部分を占めることになるであろう

音楽だけに固執していては

今の私はいなかっただろうと思います


しかしこんな時でも常に心の奥底に潜む

やりきれない俗世への不満は消えることなく存在していました


こんな時に私を助けてくれたのが

中原中也の詩、ではなく「日記」でした


もちろん詩に惹かれたのが先でしたし

当然のように好きなものは幾つもありますが

詩だけではココまで傾倒することはなかったと思います


世の中也ファンは多いと思いますが

日記はまだ読んでいないという方がいらっしゃったら

ぜひ読んでいただきたいなぁと思うんです


特に悩み多き若き人たちに。

何かの答えが見つかるような気がします。

かつての私がそうだったように。



今、教養文庫から出ている中村稔氏の編んだ詩集を開いていますが

上の詩のページに添えられている日記の部分を書いてみますね

1934年と記してあるので中也27歳の時のものだと思います


 ★人が僕よりも幸福なのは、

    人が僕よりも「完全」を想見しないからである。


 ★僕は泣きながら忍耐する。そして僕の求めてゐるのは、

    感性の甚だしい開花だ


 ★僕は自身のこんなにも賤しい身に、

    なんでこれ程の光栄があるのかわからない。

   云ふに云はれぬ神経へのいためられ方への寛怒の心の故か、

    それともウソのつけぬ心の故か、ーーー

   僕はそれらの心を自ら非常に高く評価する時と、

    又非常に安く評価する二つの時を持つ。

   が、僕は知らうとしまい、僕はただ物の哀れへ浸ることの

    いよ深きを希求するばかりだ。

 


全ての日記全集の4巻に書簡とともに収録されていますが、

購入するまで行かなければ図書館での閲覧だけでもお薦めしたいです


断片的にはいろんな著書で引用されているものの

単行本としては見かけたことがありませんが

もしかしたら新しいものが出ているのか、そこは知らないでいます


 ~しなやかに生きる~-s


何だかまとまりのない記事になってしまいましたが

こうなったついでのように久々に本の紹介をしてみます


中也は近年、尾崎豊との共通性を探られるようになりましたが、

類稀れな感性、夭折ということで同様の、より近いんじゃないかと感じる

あと二人の、もうすでにこの世にない詩人がいます


一人は過去の記事で何度か書きました「山田かまち」

そしてもう一人は「岡真史」くん。


いつだったか、詩集「ぼくは12歳」で時のブームとなりましたが

当時読んだ時のショック。12歳が書いたとはとても思えないものでした


生きていれば二人はほとんど同年代なんですね

生れたのも、この世からいなくなったのも約2年差があるだけ、


先に生れてあとを追ったかまちは17才、真史くんは12才、

その共通する鋭利な刃物が光るような感性に圧倒されます


コチラにはかまちの本があります⇒悩みはイバラのようにふりそそぐ


新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫)/岡 真史

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