紫陽花
雨の季節ですね
雨の日って家で過ごせるときは
とても好きです
静かに物を考えたり、
落ちついて本を読んだり、
雨の夜は、雨音を聞いていると
落ちついて眠りやすくなったりします
小さな雨音でも
結構どしゃぶりという感じでも・・・
雨の香り、
というのもありますね
降り始めのときの
アスファルトが、叩きつける水滴と化学反応を起こすような・・
軽い倦怠を引き起こす
そんな匂い
傘のビニールと長靴のゴムが混ざったような
懐かしい学校の放課後を思い出すようなときも・・
梅雨に相応しい花といえば紫陽花・・
雨に濡れたつややかな葉の風情
雨を含んだ毬状の花の重たげな趣き
ちょっと調べてみたのですが
花びらが四つある小さい花が群がって毬のようなので
古くは「よひら」と呼ばれていたそうですね
あじさいを「紫陽花」と書くのは
夕陽どきの雲の色のように
次々と花色が変化するからではないか
ということですが・・
この「紫陽花」の字を「あぢさゐ」と訓(よ)ませたのは
源 順 (みなもとのしたごう)が作った
平安時代の辞書「倭名類聚抄」なのだそうです
白楽天が紫の花を形容的に表現したのを
転用し「あぢさゐ」の表記として定着したそうです
何回読んでも意味がわかりませんが・・・笑
・・とココまで書いてきて
もしかしたら古くからの(笑)読者の方は
「あれっ? これ読んだことがあるような・・」
なあんて何となく覚えていて下さったでしょうか
そ、一昨年書いた記事なんです
六月のほとんど同じ頃のものですが
この頃はまだ写真の載せ方がわからなくて
文章だけで書いていました
今朝、これから雨がとてもひどくなるので今の内に
ってことで「あじさい寺」に、と知人に誘われて行ってきました
雨は少し降っていましたが、
予報に反してまだまだ大丈夫なようで
時には一つの雨粒も落ちない状態の時も・・
だから傘も差さなくてよかった時も多くて
わ~い、撮りやすいぞー なんて思っていたのですが
意に反して鑑賞に堪え得る写真は撮れませんでした
ここを昨年訪れた時は時期が過ぎていて枯れたものも多く
それでも残っている紫陽花たちは綺麗だったのですが
今日、見頃であったはずの花はどうも昨年ほどではなく、
形自体が整っているものがとても少なく感じました
その年によっていろいろなんですね
菖蒲も先週撮ってみましたが同じ場所でも昨年の方が美しく、
花の量も随分多かったように感じたのが不思議でした
なぜなんでしょうね
春の気候がいつもと同じじゃなかったせいでしょうか
それで写真は昨年のあじさい寺で撮ったものを、
あ、一番上の一枚だけは近くの公園で撮ったものです
そして記事はこれまでのあじさい記事を纏めて
添削したような形にしてみました
考えること感じること、想いなんて毎年そう変わらないことも
ブログをやってみて気づいたことの一つです
私の中の引き出しが少ないことの証明のようなものですが
これまで生きてきて蓄積されてきた想い、のようなものが
貧弱ながらでもあるとすれば、それはそう変わらないまま
ある言葉をキーワードに繰り返し思い出されてきます
万葉以来 詠まれている花ですが
日本原産の花の色は
あくまで藍色なのだそうです
色が変化するものは
改良種の影響らしいです
へぇ・・ そうなんだ・・・
でも紫陽花ってホントにいろんな種類があるんですね!
こんなこともこの日に知りました
~紫陽花も 花櫛したる 頭をば うち傾けて なげく夕ぐれ~
(与謝野晶子)
花言葉は「移り気」 「高慢」 「謙虚」 「ひたむきな愛情」 など・・
ええ~っ、これも紫陽花? って驚きながら・・
ジューン・ブライドを思わせるようなこんな花たちも・・
まるでウェディングドレスのよう・・
雨の匂いが感じられ
濡れながら咲くイメージは
ほのかな鬱情をたたえているようで
明るいけなげさも
ゆれる立ち姿も
なにか暗いところに光がさすような・・
そんな感じでもありますね
寺山修司の歌に紫陽花を詠んだものがありました
~森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめむとするに紫陽花くらし~
俵万智の歌にも出てきます
~思いきり愛されたくて駈けてゆく六月、サンダル、あじさいの花~
六月といえば水無月・・
水無月(みなづき)
きれいな言葉ですね
水が無いのではなくて
「の」にあたる連体助詞の「な」で
「水の月」という意味で
陰暦六月は田に水を引く月なので
そういわれるようになったそうですが・・
梅雨はゆううつだけど
情緒のある
すてきな月でもありますね