小学4年か5年の頃、家にひとりでいると電話がかかってきた。出てみると、マンガ雑誌のアンケートとのこと。聞いてみるといきなりパンツをおろしてオチンチンを出してと言われた。
普通ならこの時点で切ってしまうのでしょうが
大人に対してガチャンと切ってしまうことができない子どもだったので素直にしたがった。
オチンチンを揉んでみて、擦ってみて、言われた通りにしているとオチンチンから白いものが出てこない?と聞かれた。まだ精通前だったので出なかった。そういってしばらくやり取りをしていると、会えないかな?と言ってきた。
同じ市内の駅前にこれないかという。好奇心は行ってもいいと思ったが親が怒ると思って行かなかった。相手は男性。自分も男。おませだったので男同士でもいたずらする大人がいることは知っていた。1年くらい経った時また同じような電話がかかってきた。内容も同じようなこと。その時にがまん汁が出た。その時も誘われたけど行かなかった。小さい頃から父親から何かとあいまいなだけど強い期待とお前はダメな奴という否定を繰り返されて育った。今、あの時誘いに乗って電話の男性と会っていたら、いたずらはされただろう。その日の内に帰れたとしても夜遅くになって親にどこに行っていたかを問いただされただろう。素直に本当のことを言ったかわからないけど、何かが変わったはず。もしかしたらそのまま帰ってこないかも知れなかった。今は何で行かなかったのか、行ってみたら何か今とは違う人生を送っていたのでは?と思う。そのあと、時々誘いに乗って会った後のことを想像してはおかずにしてオナニーをしてた。今の状況が嫌なんだろう。当時に戻って誘いに乗ってみたい。
昨年末、自傷がエスカレートして来て止められないので入院しました。一月半で退院してすぐ受け入れてもらえるB型の施設で体験、2週間後正式利用のための手続きを始めた矢先、鬱がひどくなった。引きこもり状態で仕方なく買い物などに行くと体が小さく震える。なんとかしないとならないので外に無理やりサイクリングに行った。帰りに車とぶつかる。怪我らしい怪我はない。自転車はフロントタイヤのリムが曲がって走れない。只今修理中。なんか外に出ない方がいいのかな😭
この2週間くらい不安感がハンパない。
漠然とした不安😖💧何に対してなのか?何が不安なのかわからない。ただ、精神障害者であるという事、ギャンブル依存症であるという事、年齢、無職、等々いろんな事で不安です😫
そして最近の話題の代議士の差別的発言に対しての憤り、それを擁護した人の故意と思われる錯誤を装った差別。その人たちを擁護する人たちもたくさんいるのでしょう。差別とはマジョリティがマイノリティの生存権を侵害する事、そして最大多数の利益を求めるがあまりマイノリティに対しての政策を怠る事、それをマジョリティ側に立っている人が言う事、それを擁護する人たちに共通してマイノリティに対しての差別意識。差別意識を持っていることが前提として自分たちの主張が批判された途端に言い出す言論の自由というお題目。憲法に書かれている自由とはあくまでも権力側に立っている人がそうでない人の権利を侵害しない事、その言論を弾圧しないためにある物であると思います。今批判されている人たちの発言の自由、言論の自由と声高に発言している人たちの立場は権力側にあるにもかかわらず、被害者であるかのような言い分。その根底に流れるマイノリティへの無知と無理解を元にした思想から生まれる危険なものを感じ取った事は無関係ではないと思います。何故なら、その文章に書かれている「生産性」という言葉を元にした思想は神奈川で起きた大量殺傷事件の加害者の思想と共通しているものだからです。今現在、精神障害者である自分がセクシャルマイノリティに対しての差別に憤りを感じるのは障害者の生存権を侵害される危険性を強く感じているから、そしてそのすべてのマイノリティに対して対しての差別的思想がいつ現実になるか、その可能性がないとは言えない現実。いつでも起こりうる障害者への権力者の人権を無視した弾圧。その先にはマイノリティの隔離、もしくは突飛な発想であると思いたいが最終的にはジェノサイドと成りうる思想である否定できない可能性。ただ差別的発言や主張を支持する一般人もいつでも差別される側にされる事を覚悟してください。いつ何時障害を持つ身になるかわからないのですから。
そしてこの不安が杞憂に終わる事を願っています。