アイリス?



その2.


宗教でその教えが、

変化進化していると言って、

信者様を惹き付けたり、

新たに獲得させる手段として、

その様におっしゃって

おられるのではないでしょうか。


サムシング・グレートと

その子どもである人間との間の

創造目的や意味や願いが、

毎年変化したりすると、

それこそ何を信じたら良いのかや

その学びの最終到達地点や

目標が無い見つからない、

無駄な努力や人生に

なるのでは無いでしょうか。

神様はそんな非常な存在では

決してないと想います。


あるいは、宗教者の方が

教祖の方々が教えられるのは、

ややこしく難しくされるが故に、

その様に通い続けなければ

理解出来なくなるのでは

ないでしょうか。


僕の考えは、真理は一つ、

単純明快だと確信しています。


ですから、このようなこの世の真理こそ、

単純であり、しかも、誰にでも

簡単に理解できることで、

それを日々いかに実践するか、

ただただこれだけではと想います。


よって、宗教で一度や二度は

人としての哲学や

生きる意味や目的を学ぶことは、

大変必要ですが、

しかし、知ったら学んだら、

そこにのめり込むのではなく、

日々実践が、つまりこれが

修行として身に着くことと

なると想います。


通いう続けることは、

その団体の指導者に

コントロールされている結果です。

自立して自らの力で

切り拓く人生を送ることが、

本当の御恩返しや

親孝行ではと想いますが、

いかがでしょうか。


終わり。


蛇足、

参考までに、僕の宗教に対する考え方は、

個人の救いまでは出来るようですが、

しかし、決してその宗教では世界平和は

不可能です。なぜなら、今の世界を観てみると

それぞれが批判や非難ばかりして、

決して認め合っていないからです。

これでは僕が望んでいる世界全体の皆が

幸せには決してなれないのではないでしょうか。

ですから、宗教では世界平和の実現は

決して実現しないのはと想います。

やはり、一人一人がサムシング・グレートと

直接つながる方法しかないと想います。


今日も一日、良いことを学んだら

即実行できる日でありますように。

御蔭様で、ありがとうございます。