●生徒のスイッチが入るとき(2)
S君が入塾してきたのは4年生の3学期、ちょうど塾の新学期が始まる2月でした。それまで通っていた大手塾では下から4番手から3番手のクラスをいったりきたり、あまりに多くの宿題を抱えて、ちょっと行き詰っていた時でした。「勉強は耐えるもの、そして、その苦しさに耐えることが努力」そう思ってがんばっていましたが、本音はやはり「たえられるかな????」と受験そのものに疑問を抱き始めた頃でした。
私の教室でも、女の子の優秀な生徒の影で目立った存在ではありませんでした。偏差値も50程度をうろうろと、志望校も偏差値55程度の中堅校でした。でも、着実に算数の基本を知らず知らずのうちに身に着けていきました。これが後に開花する大きな下地になったのです。
6年の夏の前でした。この時期は受験勉強の疲れがピークに達する時でもあります。漠然と、今からどんな学校を目指せるのか、彼に質問されました。
「六甲か、がんばれば甲陽くらいは」
彼はそれまでの志望校には疑問を抱いていました。がんばってもそこにしか合格できないのならと、もう一つがんばるスイッチが入りきらなかったようです。
「えっこっ甲陽ですか・・・・・」
彼のその頃の偏差値は52程度、とても届きそうにもない学校の名が私の口から出たことを驚き、
「ほんとうですか」と聞き直しました。
「君は国語が得意だから、算数の今までの下地をちゃんと活かせばこれからぐんと伸びるよ。算数に自信がつけば理科も自然に伸びてくるからね」
夏期講習に参加する彼の姿勢が変わりました。自分のことはじぶんで責任をもつ・・・そんな「他人まかせにしない」姿勢が身につきました。自分は合格したい、すると、今自分がやらなきゃいけないことがはっきりと見えてくる、そんな姿勢に。
算数の下地が少しずつ表に表れてきました。徐々に成績があがってきました。間髪をいれず、少しの変化も見逃さずにほめられることで自信がついてきました。11月まで週1回のペースで続けた水泳でつけた体力もがんばりを後押ししました。
私と二人の難問解説授業にもくらいついてきました。冬を迎える頃には、堂々と甲陽を狙える位置に自分をもってきました。
風花がまう厳冬の夙川の土手を甲陽に向かいました。
そして、夕闇が迫る頃、教室の電話が「こ゜っごうかくしましたー」と鳴り響きました。
合格校 甲陽学院中、明星特進