フリーランチの時代/小川一水 | 読んだり観たり聴いたりしたもの

フリーランチの時代/小川一水

気が向いて久々の小川一水。全5話の短編集。相変わらず素晴らしい出来映えだ。
例によって、説明語り口調も全開で、ああ、小川一水を読んでいるんだな、と満喫できた。

まず語るべきはこれ。この本を読んだら、誰しも、おっと思う点があるハズ。
それは、「Slowlife in Starship」に出てくる逸話だ。
人間一人がどこでも生きてゆける個人用の生命維持装置の出現により、太陽系内に拡散した人類、とくに、小惑星帯に個人で気ままに暮らすベルターたちがいる時代。主人公は、半ベルターで、一人乗りの宇宙船を駆って小遣いを稼ぎ、気ままな生活を楽しんでいた。あるミッションを請け負い、トランスポンダを修理しに向かった、とある小さく変哲のない「く」の字型の小惑星でトラブルに合う。150年前に地球の小国が打ち上げた探査機の遺物であるターゲットマーカを回収して一儲けを企む男と鉢合わせしたのだ。
その探査機「ハヤブサ」とはもちろん、あのはやぶさだが、作中では、ハヤブサはここにたどり着いたあと行方不明になったと男は語る。作品が書かれた当時は、確かに行方不明になっていたのだ。しかし、実際にはハヤブサが奇跡のリカバリーと帰還を果たしたのは誰しも知る所である。著者もよもやと思ったろう。後日には臍を噛んだか脱帽したはずである。

表題作は、異星人とのファーストコンタクトもの。異星「人」かどうかは分からないが、巨大な知的演算処理を行う存在として描かれている。また「Live me Me」では、巨大なコンピュータによる、人一人の人格の生成、という現象を描いている。前の短編集でも見られたが、小川一水はこうした演算による知性と人格の生成にこだわる点がしばしば見受けられると思った。

一番引き込まれたのは「Live me Me」。自己の在処、についての佳作である。
ある女性が事故で脳死寸前の状態になってしまう。何も感じられず、体は微動だにせず、何も訴えられない。その女性を人間社会に繋ぎ直したのが、ハイペットと呼ばれる脳の状態を精密に検出する脳センサと、シンセットと呼ばれる遠隔操作する人型ロボット、そしてそしてそれらを繋ぐコンピュータの技術である。
シンセットのカメラを通して物を見、センサで音を聞き、アームで物に触れる。主人公は、かつて自分であった、ベッドに横たわったままの人の形をした肉塊よりも、シンセットが自分自身の在処であると感じるようになっていく。このへんは石黒さんの研究と同じ感覚だね。
彼女は、彼女を支えていた技術者の求婚を受け入れ結婚した。シンセットは改良を重ね、人としての法的な権利も獲得する。しかし、ある日巨大地震が彼女の居城である病院をおそい、単なる脳の容器として存在してた彼女の肉体を破壊する。脳センサが外れ、死に瀕している元の自分を発見した時、彼女は自分自身の在処という問いを再度突きつけられることになる。
脳センサが外れている以上、今こうして考えているのが、その肉体の脳では無いことが明らかであるからだ。
私は誰?
とまどう彼女は、直後、伴侶だった技術者ががれきの下で事切れているのを発見する。悲嘆に暮れ死をも考える彼女。
しかし、その後、彼女に生まれた生への意志。元自分だった人間を自らの手で安らかに送るラストシーンは、知性を持つ意志というものの屹立とした尊厳を鮮やかに描いて感動を呼ぶ。

不老不死の技術を手にした人類の混迷を描いた「千歳の坂も」。ハインラインの「愛に時間を」を少しだけ思い出した。
国家が不老不死化を国民に強制する時代。そうした国家組織に勤める主人公の役人は、どうしても処置を拒否する老女の真意が気になっていた。時代により国や政治の構成が代わるたびに、不死化は義務になったり違法になったり、不死を享受する裕福層と妬む貧困層、そして宗教的許容の可否による対立。人類は以後千年近くに亘り混迷を極めた。その時間軸に沿って展開するパノラマ感が、短いページで非常に上手く書けている。リズムが良いのだろう。

「アルワラの潮の音」は、時砂の王という長編の続編らしい。その長編はかなり評価が高いのでちょっと気になっている。ただ、こちら短篇の内容は、悪くはないがとくにどうと言うこともない感じの、普通のアクションだった。


小川一水
フリーランチの時代